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(三十五)
○ 秋風に草の一葉のうちふるふ (昭和三年)
○ 流れ行く大根の葉の早さかな ( 同 )
「以上、二句。十一月十日、九品仏吟行」との留め書きがある。この二句目の句についての山本健吉評は次のとおりである。
「早取り写真のように、印象明瞭、受け取る感銘もすばやい。詠われている。詠われているのは大根の葉だけであるが、そこからこの川が郊外の小川であること、そのやや川上で大根を洗ったりするなりわいが営まれていること、水がきれいであることなどが連想される。だが作者の興味は、流れてゆく大根の葉の早さに集中する。作者の心は、瞬間他の何者もない空虚さが占領する。よく焦点をしぼられた写生句であり、『ホトトギス』流の写生句の代表作とされるゆえんであるが、その場合この写生句が精神の空白状態に裏付けされていることを認めねばならぬ。俳句的写生の一つの典型を示している作品であると言えよう」(『現代俳句』)。この「精神の空白状態に裏付けされていることを認めねばならぬ」ということは、はなはだ受け取り方によってさまざまな解を生じさせるところのものなのであるが、「作者の心は流れ行く大根の葉と一身同体となり、そこに作者の心の一種の空白状態のような無我の境地に身を置いている」というように理解をしたい。そして、これが、虚子の、そして、「ホトトギス」の理想とした「写生」(俳句的写生)ということなのであろう。ここに、「作者の心」を重視する水原秋桜子は、虚子、そして、「ホトトギス」より遠ざけられることになり、一方、高野素十は、虚子、そして、「ホトトギス」の、その「写生」の正しい後継者と見なされてくるのである。下記の「ホトトギス」年譜の昭和三年九月の「四S(誓子・青畝・秋桜子・素十)」時代は、「ホトトギス」の第二期黄金時代の現出ともいえるものであるが、同時に、その看板俳人の一人の秋桜子の「ホトトギス」離脱と「馬酔木」の誕生の契機を氾濫しているものでもあった。
昭和元年(1926)
昭和二年(1927) 七月 芥川龍之介自殺。
八月 「写生の話」虚子。
十月 「秋桜子と素十」虚子。
十二月 「近代俳句思考」連載、秋桜子。
昭和三年(1928) 一月 秋桜子「筑波山縁起」発表、連作の始り。
三月 『虚子選雑詠選集』第一集刊(実業之日本社)。
四月 大阪毎日新聞社講演で虚子「花鳥諷詠」を提唱。
六月 『虚子選雑詠選集第二集』刊(実業之日本社)。
七月 東大俳句会機関誌「破魔矢」を「馬酔木」と改題。長谷川零余子没。
九月 山口青邨、ホトトギス講演会にて「どこか実のある話」を講演、誓子・青畝・秋桜子・素十を四Sと名付く。
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