八半亭(YAHANTEI)のブログ

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前衛派の旗手たち・三十三の一(重信・邦雄・修司・克衛らの周辺)

(その三十三の一)

 かって、高柳重信関連で次のようなことを記した。

http://yahantei.blogspot.com/2006/06/blog-post_25.html

・・・

一夜       ヒトヨ
二夜と      フタヨト
三笠やさしき  ミカサヤサシキ
魂しづめ    タマシヅメ 

夜をこめて    ヨヲコメテ
哭く        ナク
言霊の      コトダマノ
金剛よ      コンゴウヨ

まして      マシテ
大和は     ヤマトハ 
真昼を闇と   マヒルヲヤミト
野史に言ふ  ヤシニイフ

 高柳重信の句集『日本海軍』所収の三句である。「三笠」・「金剛」・「大和」と、日本海軍を代表す
る艦船である。「三笠」は日露戦争で活躍し、「天気晴朗ナレドモ、浪高シ」を発した艦船。「金剛」は
昭和十九年の末に台湾沖で撃沈された。「大和」は世界最強の艦船で終戦直前に坊の岬で撃沈された。重
信の句集『日本海軍』は、幾多の数奇な運命に翻弄された艦船の名が一句に封印されているという、不思
議な句集である。その一句一句は、その艦船とその艦船と運命を共にした人々の「魂しづめ」・「言
霊」・「野史」の「呪文」のようでもある。ここにおいては、重信は多行式のスタイルを活かしながら、
それに縛られることなく、縦横無尽に駆使しながら、一つの、重信固有の、鎮魂歌を樹立したのである。
ともすると、多行式の、そのスタイルに囚われがちであった、そして、その結果、自己にのみ解読可能の
ような「詩想の記号表現化」の世界から脱出して、「魂しづめ」・「言霊」・「野史」の「呪文」のような「鎮魂歌」の世界、すなわち、新しい「詩想の樹海」へ踏み入ったように思われるのである。

・・・

アウトローの俳人・橋本夢道から、これまた、アウトローの俳人と目される高柳重信のその異端の句の幾
つかを見てきた。しかし、今、脳裏を去来するのは、果たして、彼らはアウトローの俳人であったのかと
いう、そういうレッテルではなく、中身そのものへの問い掛けである。この問い掛けの、おぼろげなる自
問自答の「自答」は、ここではしばらくパスすることとしたい。

  目醒め     メザメ
  がちなる    ガチナル
  わが盡忠は  ワガジンチュウハ
  俳句かな    ハイクカナ 

高柳重信の『山海集』所収の一句である。この句も「日本軍歌集」という題名の中の一句で、あたかも
「軍歌」のように口ずさめばよいのかもしれない。そして、確かに、高柳重信は、「俳句に盡忠した」、
その生涯であったということを実感する。そして、つくづく思うことは、この重信ほどの覚悟をもって、
「俳句に盡忠した」人は・・・? またしても、この自問自答である。
高柳重信は、もう一つのペンネームによる句集の、『山川蝉夫句集』を残している。こちらの句集に収録
されている句は、「これならわかる」と皮肉にも歓迎の挨拶を頂戴した句という。重信は、これらの句に
つては、「思いついたときの、即吟のもの」との記載を残している。そして、ここで、上記の自問自答の
自答のヒントのことであるが、「これらの即吟は、『俳句に盡忠した』、その結果の一つの証し」であっ
たということを、ここに記載しておきたい。『山川蝉夫句集』の、それぞれの題名の中の一句を抽出して
おきたい。


「春」   蛙田や帰りそびれし肝試し
「夏」   五七五七と長歌は長し青葉木菟
「秋」   月明の山のかたちの秋の声
「冬」   まぼろしの白き船ゆく牡丹雪
「雑」   友よ我は片腕すでに鬼となりぬ
「補遺」  逝く我に嫌嫌嫌の芒原        ・・・

 上記のようなことを記してから、どの程度の歳月を経たのか定かではないが、基本的には、それ程、高
柳重信像が変わってきているという感じはしない。ただ、その後に、新しい高柳重信に関する情報などを
知るに及んで、従前は暈けて見えなかったものが、「なるほど、そうだったか」というようなことが多々
ある。
 それらのことに関して、『証言・昭和の俳句(下)』(聞き手=黒田杏子)所収の「中村苑子」のものは大
きな収穫であった。

・・・
 
 四十八年に堀井春一郎さんが『季刊俳句』をお出しになった。これを堀井さんが意図されたもとは、富
沢赤黄男が昔出した「詩歌殿」です。「詩歌殿」というのは、昭和二十四年に赤黄男が遠大な理想を掲げ
て、短歌、詩、俳句の短詩型だけの一流の作家を集めて出した総合誌でした。
 まず詩人の堀口大学、小野十三郎、安西冬衛、北園克衛、稲垣足穂、菱山修三たち。評論は西脇順三
郎、歌人は前田夕暮、生方たつゑ、木俣修とか。俳句のほうでは飯田蛇笏、大野林火、加藤楸邨、高屋窓
秋、臼田亜浪、阿波野青畝。
 こういう方たちに原稿料が払えるほど、赤黄男はそんなにお金持ちじゃありません。どこからお金が出
たかというと水谷砕壺です。 ・・・

 ここのところは、次のアドレスのネット記事(「華の祭礼」)で、その「詩歌殿」の表紙の写真とその執
筆者を見ることができる。

http://stakof-x.blogspot.com/2008/08/blog-post_12.html
 
・・・

「詩歌殿」NO.1 昭和23年 編集者 富澤赤黄男 発行者 水谷砕壷 発行所 太陽系社 100円
     執筆者
評論 西脇順三郎 吉田精一 木俣修 三谷昭 高柳重信
詩 小野十三郎 大島博光 竹中郁 近藤東 安西冬衛 北園克衛 衣巻省三 菱山修三
俳句 飯田蛇笏 石橋辰之助 橋本夢道 大野林火 加藤楸邨 横山白虹 高屋窓秋 瀧春一 栗林農夫 甲田鐘一路 有馬登良夫 安住敦 日野草城 本島高弓 富澤赤黄男          水谷砕壷 
短歌 土岐善麿 筏井嘉一 橋本徳壽 長谷川銀作 坪野哲久 中野菊夫 松田常憲 近藤芳美 五藤美
代子 宮柊二

 この他に、高柳重信、そして、塚本邦雄らが関係した、「弔旗」・「メナード」・「黒彌撒」
・「反歌」なども紹介されている。

「弔旗」第一号 昭和23年 発行者 高柳重信 発行所 弔旗発行所 25円
執筆者 野原正作 楠本憲吉 渡邉貞治 加藤元重 高柳重信

「黒彌撒」創刊号 昭和25年 発行者 鳥海多佳男 発行所 黒ミサ発行所 20円
執筆者 高柳重信 加藤元重 鳥海多佳男 下野博志 櫻井邦彦 三角幸雄 岩片仁次 西野理郎 村松
達雄 安達昇 小林守男

反歌」No.1 昭和45年 発行者 須永朝彦 250円
執筆者 塚本邦雄 奥村憲右 山中智恵子 大竹蓉子 服部直子 種村季弘 中島幹恵 原田禹雄
                     ・・・

 これらを通して、戦後の、昭和二十三年当時の、高柳重信の姿と、そして、北園克衛・塚本邦雄などと
の接点の一端が浮かび上がってくる。そして、それは、まぎれもなく、高柳重信の「多行式俳句」の世界
は、詩人の北園克衛の世界や短歌の塚本邦雄の世界に伍して一歩も退かない、当時の俳人・重信の挑戦的
な「新しい俳句の世界」を生まんとする創造的な「俳句再生」の活動であったということができよう。

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