{「俳句航海日誌百句」(その三十九)
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(その三十九)
三九 退官の教授を惜しむ麦酒かな
「麦酒」(三夏)。「定年の恩師を見送る帰雁かな」という句もある。「退官の教授」と「定年の恩師」、「見送る」と「惜しむ」、季語の「麦酒」と「帰雁」、そして、「かな」の切字と、
同じような句作りである。しかし、二句を比較して、この掲出の「麦酒」の句よりも、「帰雁」の句の方が味わいがある。それは、季語の働きのように思われる。
『第二芸術』(桑原武夫・講談社学術文庫)の「解説」(多田道太郎)に、次のような記述がある。
「俳句の論理は8の字の論理だという説をきいたことがある。たとえば『閑かさや』と置く。『蝉の声』と置く。この二点のあいだには何のかかわりもない。むしろ対象的に切りはなされている。このどうにもつながらぬものを、身をくねらしてつなぐの俳句である。「岩にしみいる」という一句の機知がそれである。8の字――とは、二極ないし二点のあいだを、身をくねらせつつつないだときの、俳句の――そして俳人の――すがたを写したものであろう。」
この多田道太郎の一文に接して、やはり、詩人清水昶は、詩人であって俳人ではないという印象を深くする。
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参考にします。で、「身に覚えのない思い出7%」「ペラペラした物欲1%」「麗人7%」「鉈の重さで振りおろした気分7%」「トータル22%で唯我独尊」「残り78%は世相からの贈物」こんなのダメですか?
2011/12/3(土) 午前 0:54
世相から贈り物なし年の暮れ 不遜
何処で、どういう風の引き回しか、この多田道太郎の「遊び」や「歳時記」ものは、また、妙に惹かれますね。
2011/12/7(水) 午後 7:02