八半亭(YAHANTEI)のブログ

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利休の朝顔 そして、池坊の花の精神 

利休の朝顔 そして、池坊の花の精神 (『俳諧・俳句』の根本精神)
 
 利休の朝顔の話はよく知られている。秀吉が利休宅の朝顔の見事さを聞いて、それを見に行くと、評判の朝顔は全て摘み取られていた。そして、茶室に入ると、床の間に一輪の朝顔が生けられていた。「床の間の一輪を極めて立てんがために、庭の一切の花を摘んでいた」というものである。
 この「一輪の花を極める」ということは、池坊の花の精神の、「一輪にて数輪に及ぶならば数少なきは心深し」と相通ずるものであろう。
 そして、これはまた、「俳諧・俳句」の根本精神でもあろう。
 
『花いくさ』(鬼塚忠著・角川書店)
 
http://www.nishinippon.co.jp/nlp/item/286887
 
 
京都頂法寺の僧・池坊専好(初代)は華道の名手として知られる。茶人の千利休とは求道者同士、認め高め合う仲だったが、利休は豊臣秀吉の怒りを買って切腹を命じられる。その後も周囲の人々が非業の死を遂げる中で、専好は秀吉への復讐(ふくしゅう)を決意する。専好、利休が体現する「雅」と、秀吉の「俗」とのコントラストが鮮やか。著者は1965年鹿児島市生まれ。『カルテット!』『僕たちのプレイボール』などの著書を持つ作家・脚本家。=2012/02/12 西日本新聞朝刊=
 
http://book.akahoshitakuya.com/b/4041100690
 
 
茶人・千利休と親交が深く、たがいに尊敬しあっていた花人・池坊専好が、いけばなで仇討ちをする話。「私と秀吉様、求める美が違ってもよかったと思うのです。しかし、秀吉様は傲慢にも『美』ですら自分の意の従わそうとしているのです。」黄金の茶室を作ろうとする秀吉と「侘び茶」の新境地に達した利休の美意識の違いから、利休は非業の死を遂げる。秀吉の横暴な振る舞いが増していくとき、専好にまたとない仇討の機会が訪れる。省略と強調により、草木の生きている美から美を引きだす専好の花への思いが丁寧に描かれている。
 
池坊を学ぶものなら今なお手本とされる専好。茶の利休と互いを高め合う真の友として、利休や京の人たちの心を抱え、秀吉に挑む。専好が良く書かれすぎてないかとつい思ってしまって、小説として楽しみにくかったけど、戦国時代の京都の風景が興味深い。秀吉は元からキライだけど、この人はどこで間違ったんだろうと考えてしまう。もっと良い方向があったはずなのに。花は池坊のサイトでトピックス一覧の2011/11/01に載っていました。
 
P91
 
『一輪にて数輪に及ぶならば数少なきは心深し』という池坊の教えがあります。極限までに省略することによって、その命の輝きは増す。最高の趣向も同様。極限まで削ぎ落とすことによって、その時間その空間は研ぎ澄まされていくのです。
 
http://d.hatena.ne.jp/Syouka/20110808/1312819236
 
 
今日の生け花は、かきつばたの正花正風体一種生け。
 
かきつばたは、四季を通じて生けられる花材で、今日の作品は夏から初秋の姿。勢いよく成長している春とは違って、盛りを過ぎた姿を、やや変色した葉や、垂れた葉で表現する。
 
生け花では、たくさんの花を使って華やかな作品を作ることもあるけれど、この作品のように数を限定して生けることを非常に大切にする。
 
池坊には、「一輪にて数輪に及ぶ道理なれば、数少なきは心深し」という言葉がある。
 
花をたくさん飾るのではなく、あるものをどんどん落としてき、残った1輪を大切にする。そうすることで、取られた花の命が転化し、残った花は純化して美が凝縮される、という考え方だ。
 
「数少なきは心深し」という言葉は、日本の伝統美を説明する際によく使われる「引き算の美学」にも通じる
 
能や水墨画、茶道など室町時代ころに発達した日本の伝統文化が、こうした考え方を背景にもっているのは、武士階級の台頭や禅の影響があるのではないかと思う。
 
空海が持ち帰った豊穣な仏教(密教)も、その後の日本では、「ひたすら座禅する」「ひたすら念仏を唱える」というように、余分なものをどんどん削ぎ落としていく形で発展したことを考えると、1点に集中するのは、日本人の考え方の特徴ではないかとも思う。
 
ただ一方で、歌舞伎のような、てんこ盛りの美、猥雑な美というのも、間違い日本の伝統文化として存在する。日本はアメリカと違って歴史が古いので、遡れば雅やかな平安時代の貴族文化もあれば、日本が世界に誇るべき縄文文化もあって、何が日本の伝統文化の本質かというのは、なかなか難しい問題ではある。範囲を広げると、共通項は日本の風土くらいしか残らないように思える。
 
ところで、「数少なきは心深し」という考え方を端的に示しているのが、利休と秀吉の朝顔についてのエピソード。
 
利休の屋敷に美しい朝顔が咲き乱れているという噂を耳にした秀吉は、朝顔を見に行くことを望んだ。当日、秀吉が屋敷を訪れると、庭の朝顔は全て引き抜かれていた。がっかりした秀吉が茶室に入ると、そこには見事な朝顔が一輪だけ生けてあった、という話だ。
 
この話が本当かどうかは、不明な点もあるようなのだが、少なくとも利休の美学を良く示している。庭でたくさんの朝顔を見た後では、茶室の朝顔に出会ったときの感動は薄れるだろう。よりすぐった最高の一輪に、朝顔の美を凝縮させたところに、利休の美学があるのだと思う。
 
それから、この話が本当だったとして、秀吉は本当に満足したのか、という問題もある。話のうえでは、秀吉は大いに感動して利休を褒めたことになっているのだが、黄金の茶室を作るなど、万事派手好みの秀吉の嗜好とは違うのではないか、利休のやり方はちょっとあてつけがましい感じがするというのが、個人的な印象だ。後に利休が切腹を申し付けられる背景には、そうした根本的な価値感の違いのようなものがあったのではないだろうか。
 
もうひとつ、私が最近なんとなく考えているのは、日本は「数少なきは心深し」という美学が通じる世界であり続けるのだろうか、ということだ。最近気になっているキーワードでいうと、こういうものは、間違いなくハイ・コンテクストな文化だと思うから、通じる人が減ってしまうかもしれない、という一抹の不安はある。
 
http://www.intweb.co.jp/basyou_oino/oinokobumi01.htm
 
百骸九竅(ひゃくがいきゅうけい)の中に物有り、かりに名付けて風羅坊(ふうらぼう)といふ。誠にうすものの風に破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終(つい)に生涯のはかりごととなす。
ある時は倦(うん)で放擲(ほうてき)せん事を思ひ、ある時は進んで人に勝たむ事を誇り、是非胸中にたたこふうて是が為に身安からず。暫(しばら)く身を立てむ事を願へども、これが為にさへられ、暫く学んで愚を暁(さとら)ん事を思へども、是が為に破られ、つひに無能無芸にして只(ただ)此の一筋に繋(つなが)る。
 
西行の和歌に於ける、宗祇の連歌に於ける、雪舟の絵に於ける、利休が茶における其の貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずといふ事なし。像(かたち)花にあらざる時は夷狄(いてき)にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化に帰れとなり。
神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
  旅人と我が名よばれん初しぐれ
   又山茶花(さざんか)を宿々にして
           芭蕉 「笈の小文」より 
 
 
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「俳句航海日誌百句」(五十六)

五六 目薬を一滴させば春の月
 
「春の月」は朧月に代表される。「歳時記」などには、「空気中の水分が増す春は、月も潤んだ感じがする。『秋の月はさやけきを賞で、春の月は朧なるを賞づ』と昔から言われる。月といえば秋の月をさすので、春の一字を加えて春季とする」との記述が見られる。
 詩人清水昶が、インターネットの俳句の世界に本格的に足を踏み入れたのは、還暦に前後する頃で、その年齢になると誰しも白内障のようなかすみ目のような症状を呈することと、この掲出句は関係するような雰囲気である。
 この句も、季語の「春の月」の説明的なニュアンスで、平明な、どちらかというと、月並みな句の範疇のものであろう。
 清水昶は、「現代詩と俳句、この相容れない器をひとつの感情として使用する事は出来ないものだろうか。俳句をビールの摘みとして、詩を酒の肴といったぐあい」(『現代詩手帖200010月号』所収「現代詩の終焉へ向けて…三好達治」)と軽い提言をしているが、事実、そういうニュアンスで作句していたという雰囲気でなくもない。
 そして、そういう、「俳句をヒールの摘み」というような姿勢が、ともすると、鑑賞する側に立つと、余りにも安易的過ぎるという印象が濃厚になってしまうような雰囲気なのである。
 上記の「春の月」の解説は、インターネットの一般的なものうちからの引用なのであるが、そこに例句として次のようなものが挙げられていた。
 
 
清水の上から出たり春の月 許六 「正風彦根蓁躰」
春月や印金堂の木の間より 蕪村 「蕪村句集」
浅川や鍋すゝぐ手に春の月 一茶 「文化句帖」
肥うつて棚田しづかや春の月 前田普羅 「飛騨紬」 
春の月ふけしともなくかゞやけり 日野草城 「花氷」 
春の月大輪にして一重なる 長谷川櫂 「古志」 
あたらしき畝光けり春の月 高田正子 「花実」
 
 これらの例句と比較して、例えば、許六・蕪村の「清水(堂)」「印金堂」と「春の月」の「取り合わせ」とか、一茶・普羅の「鍋すすぐ手」「肥うつて」の「具象的な実景的描写」、そして、草城・櫂・正子の「ふけしともなくかがやく」「大輪にして一重なる」「あたらしき畦光る」の「固有の発見」などに比して、やはり、一種の「物足りなさ」を感じてしまうのである。
 
 
 
 
 

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「辻式俳諧鑑賞詩集」(その十四)

 
その十四) 五月雨


辻征夫(貨物船)


五月雨  

さみだれや酒屋の酒を二合ほど
(雨ってのは
見ているものだな
傘屋の軒
酒屋の土間
どこからでもいいが
黙って見ているのがいちばんいい
するとなにやらてめえのなかにも
降りしきるものがあるのがわかってくる
なんだろうこの冷たさは
なんて
……
雨がやんだら?
ばかやろう
さっさと出て行くのさ)

☆ 不遜


さみだれや酒屋の酒のほろ苦さ
(「五月雨や」と・・・
「五月の雨」ではない 「五月蠅い」の
鬱陶しい 厭な雨だね
洋傘を持たない時に限って
土砂降りだ
丁度良い 酒屋で 立ち呑みしつつ
小降りになるのを待つか
だんだん 酔いが廻って来た
詩人辻征夫は
「黙って見ているのがいちばんいい
するとなにやらてめえのなかにも
降りしきるものがあるのがわかってくる
なんだろうこの冷たさは
なんて
……」
……これは ヴェルレーヌではないのか
「巷に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?」
詩人辻征夫は ヴェルレーヌが好きだったんだナ
「やるせなき心のために
おお、雨の歌よ !
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも !」
なんだか 酒が拙くなったナ
「消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す。
何事ぞ ! 裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず。」
まだ、外は土砂降りだ
「ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。」
恋なんか関係ないナ
恨み辛みは沢山あるナ
どうにも、酒が拙くなったナ
「五月雨や」と・・・
「五月の雨」ではない 「五月蠅い」の
鬱陶しい 厭な雨だね 
 
 


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「俳句航海日誌百句」(五十五)

 
五五 お寺の子葱坊主と遊びたきや

 「お寺の子」と「葱坊主」との「取り合わせ」も、それほど意表を付くものではない。それ以上に、この下五の「や」切りが、やや不自然な感じを受けるのは、普通には、「や」切りは、「上五」の名詞の後ろに来るのが一般的で、下五の「遊びたきや」というのが、ぎこちない感じを受けるのである。

  荒海や佐渡に横たふ天の河 (芭蕉)
  夏草や兵どもが夢の跡   (同 )
  古池や蛙飛び込む水の音  (同 )

 詩人清水昶は、詩人三好達治の俳句には関心があって、「現代詩を再構築する道は、どうやら達治が模索した俳句の世界に、まだ、火種がのこっているような気がする」(「現代詩手帖」二〇〇年一〇月号所収「現代詩の終焉へ向けて…三好達治」)と、現代詩と決別して、俳句の道に踏み入れて行ったのは、三好達治の俳句に傾倒したのが、その切っ掛けのようなのである。
 その三好達治の俳句というのは、この「や」切りの句などについても、いずれも、俳句の骨法を中心に据えたもので、スタイル的に、掲出の清水昶のような違和感を与えるものではない。

  菜の花やかずきやすまぬかいつぶり (三好達治)
  艸木瓜や山火事ちかく富士とほし  (同上)
  ゆく年や山にこもりて山の酒    (同上)
  夏風やてんたう虫を指の先     (同上)
  こすもすや干し竿を青き蜘蛛わたる (同上)

 三好達治は、その中学生時代に、高浜虚子の「ホトトギス」などで俳句に熱中していたことは、その年譜には記されている。それに比して、清水昶の方は、そのスタート時点は、俳句よりも短歌に関心があって、詩の世界の方に入ってからは、ほとんど、詩一本槍で、おそらく、俳句の基礎的な修練というのは経ていないように思われる。
 それに比して、清水昶の兄の清水哲男の方は、京都の学生時代から俳句の道に入り、長いキャリアがあり、「詩と俳句」との両刀使いの趣なのだが、昶の場合は、やはり、本技が「詩」で、「俳句」は余技という印象は拭えない。
 
 

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「辻式俳諧鑑賞詩集」(その十三)

 
その十三) 遠火事

[遠火事や少年の日の向こう傷
(ぼく《乱暴者》の ぼくです
どうしてぼくを乱暴者というのかよくわかりません
体育館の倉庫の中を目茶苦茶にしたときだってみんないっしょだったし
屋上から雪だるまを落したときもみんなで協力しあってやったのでした
でも今日は卒業式ですから 何もいいません
水に流します
掃除当番のときのように
バケツを蹴飛ばして水に流します
階下(した)の職員室に漏ったってしりません
将来ほ遠くに行きます
ロビンソンのように遠い島へ行きます
もともとぼくは五年生のときに
小さな島から転校して釆たのでした
入学したのはこの学校だったから
また転校して帰って来たわけです
あのときはみんなびっくりしていましたね
入学した頃の餓鬼大将が帰って来たからって
また餓鬼大将にされてしまったけれど
ほんにんはとても困りました
だってぼくはそういう素質がないもの
将来はほんとうに遠くへ行きます
船で行きます
先生といっしょになってぼくを乱暴者だという女の子がいないところ
クラス会の通知なんか届かないところです
中学もみんなと別の学校へ行くことになったのでお別れをいいます
さようなら)
    
夏    

夏木立少年の尿(いばり)遠くまで ]



貨物船こと、詩人辻征夫は
本当に面白い
何故 面白いかというと
同時代を生きてきたという
そういう 仲間意識と
「そうだ そうだ そういう
ことが あった・・・」
と、何か 「ほっと」する
そういう 世界を
確かに 言葉に綴っている
そして
遠い 遠い 遠火事のように
その遠い思い出が
蘇って来る


夏木立皆尿(いばり)して笑ったナ (不遜)
 
 
 
 
 

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