○太朗 へ (物語)

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+ ものがたり 「破蕾」 83-11 +

イメージ 1

:太朗へ (まえがき 1):
http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/35790762.html
:    (前回のおはなし):
http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/36094749.html

*

色んな ものごとの端っこが、蜘蛛の巣のように、
絡まりはじめた というのもある。

また一つには、
長田の祖父チャンが 1カ月にわたる精密検査の結果、癌ではなかった と、判明したということもある。

そして、父サン自身、数年ぶりに行った健康診断で、病の萌芽は見当たらず と判定された こともある。

正直、はじめの頃よりは、ものがたりを育てる 熱が無くなった というか、水を遣るのを 怠りがちになった というか……
そもそも 花開かせることを目的として、植えてみた ものがたり でなし……

また、父サンがお世話になった館長さんが亡くなったり、甚大な災害から1周年となり すなわち機を逸してしまったり、それを言い訳にしたり、

君の自我が 急速に 萌えいづろうとするのを 目の当たりにして、
たとえ息子でも 君の名を 君の許可なく 冠することに、正当性を見い出せなくなってみたり……

風に吹かれた 蜘蛛の巣 のように、揺れてみたり。

強く吹かれすぎて ちぎれた それのように
形のあやふなまま、ひとまず 一歩を歩みだしてみる。

まずは、そうだな、胎教の話・死の話

*

君は憶えていない かもしれないが、
父サンの仕事が お休みの日の夜は、絵本を読んで 君を寝かせる のが、父さんの役目で、
そして 昨日は、(まさに昨夜の話だよ)
1冊を読み終えて、後から来た母サンが もう1冊を読んだ。
多分 まだ君が寝つけないのを知りながら、約束どおり 電気を消し

君は憶えていない かもしれないが、
君の 寝相の悪きこと 「風の如し」 で、
(これは、母サンのお腹にいる時から ずっとだ。萌えいづるように 君に手足が生え出した頃から、君が蹴るものだから、大袈裟でなく、母さんのお腹は 変形した。文字通り。外から 目で見て判るほど顕著に、変形した。君が蹴るたびに。看護婦さんが 驚くくらいに)
一晩の間に、時計まわりに 周囲を蹴りながら 何周もする。
寝床を一緒にするようになって、毎晩 何度 蹴られることか
また、時には 庭石のような硬さで 頭突きを喰らわされる。3歳児の頭というのは、ちょうど玄武岩みたいなものだ。

電気を消してすぐ、昨日は、母サンが 「痛い!太朗、そんな強くぶつかったら、母サンの鼻 折れちゃうよ!」と叫びを上げた。
「鼻が折れて、死んじゃうよ……」と。

すると、暗闇の中から、鼻をすすり上げる音が聞こえて、そして
「オ母サン、ホントに死んじゃうの? 死んじゃわないでよ……」
やがて 泣き声が だんだん大きくなった。

(昼間に、お墓参りに 行ったのも、少しは影響しているのかもしれない。あるいは、昨冬に、ヒィ祖母チャンの葬式を体験した のも、少しは何かのインパクトを 君に与えたのかもしれない。)

「オ母サンって、死んじゃうの?もう少ししたら 死んじゃうの?明日の明日 死んじゃうの?オ父サンも タロくんも 死んじゃうの?……」

暗闇の中で、かなり永い時間、君の色んな質問は続いた。泣きながら。

「大丈夫よ。オ母サン 死んじゃわないよ。オ父サンも太朗くんも 死んじゃわないよ……」

母サンは、何度も何度も なぐさめていたね。
そう、なぐさめる 他なかった。
それは
〈好むと好まざるとに関わらず 「必ず訪れる者」 だった。誰も、そこから目をそらすことはできない。〉〈その事実からは、逃げ場もなく、言い訳もできず、誰も、そこから目をそらすことは できない。〉
http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/35835752.html

まだ くっきりとした 形としては、もちろん、死というものを捉えられていないのだけれど、
(それは、40歳になった 父サンだって 同じだ)
何かにつけ 父サンよりも さらに「晩稲」だと思っていた君の、「生というものの確かさへの擬議」 「色は是れ即ち空 であることへの気付き」 の芽生えの到来に、
暗闇の中で 父サンは 少し驚かされた。

ついこの間までは、「オ父タンって、蝉みたいに お空飛べる?」 と聞かれていたのに……

*

どうしても、とりとめもなく 書いてしまうな……

では、胎教の話。

昨日の昨日、子供のための クラシック音楽のコンサートに、行って来たんだってね?兵庫芸文センターに。
君が大好きな NHKの「クインテット」 の。トランペットや クラリネットや 草の蔓がグルグル巻になったような 巨大な楽器まで、試し吹きさせてくれた 写真を、母サンがメールで送ってくれたよ。
君は本当に嬉しそうだった。

2歳になったばかりだろうか、初めて車で父サンの店に連れて来た時、いつも聴いていた童謡が途切れ、初めて大人の曲 「Merry Christmas Mr.Lawrence」になった。すると、
「タロくん、この歌 好き」 と。

母サンのお腹を蹴りまくっていた頃、それを なだめさせるように、クラシックやその類ばかり聴いていたからだろうか?
長田の祖母チャンと、そんな話になった。
君が生まれ、そして 病院から初めて外界に出た 日にも、
http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/16033960.html
病院のロビーでは クラシックのミニコンサートが行われ、母サンは物好きにも 永々とそれを聴いて帰った。
祖母チャンに さっき電話で言われて 思い出したよ。そういえば、その間、生後10日程の君も おとなしく耳を澄ませて(?)いたことを。
この前の 初めてのディズニーランドでも、乗物よりも 何度か遭遇したミニコンサートに、目を輝かせていたことだし。

父サンは、胎教などというものは、眉に唾して聞くタイプだけれど、何か それなりの 作用そして反作用は あるのかも知れない。
種が 風や 〈降りそそぐ陽〉 を感じる……程度には。

*

このブログ記事は、1記事5000字 と締め切りが決まっているのだけれど、
書ける所まで 続けることにするよ。

懸賞の話・浮世絵と平敦盛の話・豆本の話・なまず絵の話・人と防災未来センターの話 http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/35948168.html ・神戸市立博物館の開館の話・遺跡発掘説明会の話・キトラ古墳の玄武の話・新聞記事スクラップの話……

*

友達がラジオの懸賞にあたり、それで父サンは初めてディズニーランドに行ったのだけれど

「お年玉つき 年賀葉書」 (←君の時代でも まだこの商品は、完全には廃れていないだろう) の1等賞 に、君のオバサンが 父サンの妹が 当たり、(当時 ほとんど 誰も持っていなかった、必要とされていなかった) 家庭用ビデオカメラ というのが、我が家にやって来た。たしか、海外旅行だか国内旅行だか と、選べたんじゃなかった かな?

↑この一文は、余談で、
実は 父サンも、2度ばかり 懸賞に当たったことがある。それを、先日 思い出したんだ。

一つは (今 検索したところ、1990年 高校3年の時 に届いたようだ)
新宿書房 の 十二支のアンソロジー 3冊セット
http://homepage1.nifty.com/ta/0sa/shinjuku/an.htm
『龍の物語』 『ながすぎる蛇のアンソロジー』  『夢の蹄 -馬をめぐるアンソロジー』
で、
初めて 当たったのが、(新聞か何かを見て、応募したのだったか?)

「災害絵図集 −絵で見る災害の歴史−」:社団法人 日本損害保険協会 (1988年3月発行:非売品)

父サンが 中学3年……前回 書いた 小川光三さんの年賀状 の2カ月後だ。


記憶とは 〈たぶんに美化され 誇張されているはずだ。ちょうど ウィスキーが蒸留されるように。〉
ものなので、
先日、長田の家に それを確かめに行ったよ。
君が芦屋の祖母チャンに田舎で、耕運機に乗せてもらったり、種を蒔いたり、地下茎を刈り取っている間に、父サンは

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: 2乗の事情 あるいは 事情の2乗 :

やれやれ……

溜まってた のが、解消された のか? どうなのか……

解除されたのか? あるいは 解錠か? いっそ開城するか? 階乗されそうで……



大学の一般教養で、「○○の法則」 というのがあった。

事象は 一方的に 拡散はするが、決して 収束はしない
http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/35125200.html

経験則 として、1日なら まだしも、複数日 溜めてしまうと、

それを取り返すには、2乗 分の 手数 が必要となる。

2日なら 4倍。3日なら 9倍。4日なら 16倍。

時間が経てば経つほど、やっかい なこととなる。

(原発だって そうだ。何とかと何とかの 一体改革 だってそうだ。占い師の反論 や 球団間の取り決め だってそうだ。)



大学の時の 「海上」保険論 は、好きな授業だったな〜、生命保険論 よりは よほど楽しかった。

ちょうど 浦沢直樹の 『マスターキートン』 が連載中で、

ロイズ社 が出てきたり、祇園祭の挿話があったり、ミニを乗り回していたり

(あんなに カッコ良くは ないけれど) 自分との共通点に ずいぶん勇気をもらった。

マンガを読まないタイプだったのに、アレには やられた……

キートンだったら たぶん こう言うだろう。走り続けていれば アキレスは亀に追いつく と。


第18巻の 最後のシーンで、遺跡の発掘作業 の手を止め、シャベル (庭師に言わせれば 剣スコ) をゆっくり降ろし、彼は汗をぬぐう。

そして にこやかな笑み を浮かべ、ものがたり は幕を閉じる。

そうだったな? ゆっくりでもいい。歩む しかない

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+ ものがたり 「蝋涙」 88-01 +

イメージ 1

:太朗へ (まえがき 1):
http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/35790762.html

*

淡路のヒィ祖母チャン (父サンにとっての 垂水のお祖母ちゃん)
が 亡くなったので、
今年の 年賀状 は無かったね。

君の写真入りの年賀状を、楽しみにしている親戚もいるだろうから、送っても良かったのだけれど、
しきたり とか 常識に疎い 父サンでも、君から数えて 3親等は、さすがに 近すぎた。

君を淡路に連れて行くはずだった その数日前に 亡くなった、というショックも少しはあった。

父サンは、白祖父チャン (キヨシじいちゃん。淡路のヒィ祖母チャンの連れ合いだ。地震にも生き延び、その翌年に亡くなった、君の会ったことのない ヒィ祖父チャンだ。) の死に目にも、僅か 半時間ほどの差で、間に合わなかったから……。京都から駆けつけているうちに。

本当に、命の炎というものは、少し目を離している隙に、尽きることがある。
はっと我に返った時には、既に 手遅れなことがある。

まわりの人が どう言おうと、父サンにとっては、大切な お祖父ちゃんだったから。

*

「辰年の年賀状」 といえば、まず 思い出せるのが これ (↑) だ。


(この絵は、ずっと父サンの頭の片隅に、まるで蝋で封したみたいに こびり付いていて。このブログを書くため 20年ぶりに引っ張りだして来て、イメージと寸分と違わなかったことに、自分でも驚かされたよ。)


今から24年前、1988年(昭和63)、父サンが15歳 の時に貰った年賀状だ。


1回目の大学受験の時に、セロハン (お菓子か何かの包みを剥がしたものだ。当時は透明なフィルムが そう簡単には手に入らなかった) で包み、セロハンテープで封し、「お守り」 として 手帳に挟んでおいたものだ。

この年賀状をくださった仏像写真家 小川光三さんの 兄上 小川光暘さんが、
志願する 文学部の教授 だと知ったから かも知れない。


(君からすれば 信じられないかも知れないが、父サンは かつて 何でも取っておくタイプの人間だったんだ。それも、きちんと 整理をして!
持ち手のついた クリアボックス2個に、父サンの「過去」の断片が、いっぱい 詰まっていた。
茶色く変色した 震災当日の夕刊や、デートで見た 映画の半券や、庭師で使った セメントと砂利の配合率のメモや、初めて書いた 株主総会の議事録の草稿や、下賜された 菊紋の煙草の1本や、中学の美術のデッサンや……
時が積み重なり、過去の記憶が燃え尽きてしまうのを、恐れるように、いつくしむように。
時代ごと、テーマごと に、茶封筒に 分類して 入れてあった。
久しぶりに 開封してみて、小学校の通知票まで あったのに、驚いたよ。
自分のイメージほどは、良い成績でなかった……
そして、なんだか 書き散らかした文章や メモがいっぱい出て来た。この「ものがたり」に、直接的に影響させたくないから、まだ見ていないけれど)

*

これは間違いなく 言えることだけれど、
君が生きていく中で、大きな曲がり角 と呼べる地点に、君はいくつか遭遇するだろう。
チロチロと燃えていた炎が、ふっと 風に揺れる瞬間が、いくつか在るだろう。

父サンにとって まず最初のその地点は、1981年(昭和56) 小学校3年生の時だろう。
「ポートピア81」が開催され、無人運転の電車が走り出し、パンダが初めて神戸に来た年だ。
イスラエル空軍が イラクの原子力発電所を 爆撃した年だ。

ふと 父サンは、「宇宙」 とか 「時間」 とか 「死」 というものが、怖くなった。
そういうものが、気付かないうちに 自分の周りを覆っていることに、
それらと隣り合わせに 自分が「存在」 していることに、(そして それに気づかなかったことに) 怖くなってしまった。

そして、夜、眠れなくなってしまった。

(不眠は、就職して 仕事をしだしてから、自然と解消した。というより、あえて眠ろうとしなくても その時間を他に充てるすべを知る。変な所が遺伝するもので、君も少しその傾向があるけれど、だから……心配しなくても 大丈夫だよ。)

真夏、校舎の開け放たれた窓から、校庭を眺めていた。

5年生だか 6年生だかが、体育の授業で ドッチボールをしていて、
とても賑やかな 笑い声で、蝉も さかんに鳴いていて、眼が痛い 程の青空で、

それでも 同じ空の下で 「戦争」が現に行われ、空の向こうは 「ハテが判らない 宇宙」が広がり、
時間というものも いつ創始された ものか判らず…… それでも蝉は鳴き止まなかった。

先生に 「おい、ボーッと よそ見するなヨ」 と注意されても、怖さは いっこうに収まらなかった。

(「戦争」というものは、白祖父チャンから聞いた、歴史上の過去の出来事 だと思っていたので、爆撃のニュースは 子供心に かなりのインパクトだったのだろう。)


卵と鶏の どちらが先か? みたいな話になるけれど、
「仏像」 と 「仏教」 には、あい前後する形で、興味を覚えたのだと思う。
仏像に対する興味の方が、少し先行していたかも知れない。

当時 須磨にあった家は、あまりテレビとか漫画とか、友達が好んでいるようなものを 見せてくれない家だったし、
父サン自身も、それを良しとしていた。

(ちょうど 今の君と、まったく同じだ。口先では やれ 「海賊戦隊 ゴーカイジャー」 だの 「仮面ライダー 何とか」 だの言って 友達と同じにふるまっているけれど、本当の興味は 「掃除機」 とか 「耕運機」 とか、別の方角を向いている。―― 人がみな 同じ方角に向いて行く。 それを横より見てゐる心 :石川啄木 ―― だ。)

それに、仏像の世界は、実に ウルトラマン の世界に そっくりだった。

ウルトラマンの 「光の国」 って知っているかい?
まさに 須弥山的 世界だ。三千大千 宇宙だ。

どちらかというと、信仰の対象 としてより、彫刻としての 力強い美しさに惹かれた。
最初は やはり 動きのある 天部像が好きだった。
まずは 東大寺の四天王像、新薬師寺の十二神将像 から始まり…… 一番 心掴まれたのは、興福寺の天燈鬼・龍燈鬼だった。
そして、次第に 菩薩像、やがて 如来像 が好きになっていった。

仏像に強く興味を抱いていた 時代の、最後の方は、平等院の阿弥陀さん が一番好きだった 気がするな。

ほら、平等院の阿弥陀さん のお顔は、ウルトラマンに そっくり だろう?


長田の 祖父チャンも祖母チャンも、宗教や美術 には、興味がなさそうだったから、
自分たちの息子が、急に そういうものに目覚めてしまって、内心は 心配だった かも知れない。
「ホンマに あんたは、変な子やねぇ」 とは言われたけれど、反対は されなかった。(もちろん、応援は されなかったけれど。)

こういう趣味・嗜好は、多分 白祖父チャンからの 隔世遺伝だ。
ほら、寝室にある 「世界の美術」 という全集は、白祖父チャンが 唯一残していった遺品で、当然のことのように 祖父チャンをすっ飛ばして、父サンが 受け継ぐこととなった。
前に ここに書いた、父サンが 物心つく前に行った 初めての美術館の記憶 も、隣には 白祖父チャンがいた。

*

よく憶えている。
「魅惑の仏像」 という写真集のシリーズは、板宿のダイエーの5階の本屋で買った。

(「色即是空の研究 (山本七平:著)」 という本も、同じ頃、同じ本屋で買った。これも父サンに 曲がり角を与えた1冊だ。)

当時は 大きな本屋が そこくらいしか無くて、母親が買物をしている間、いつも そこに入り浸っていた訳だが、
どうしても その写真集が欲しくなってしまった。

(どの像の特集を目にしたか は、忘れたけれど。確か 第1回の配本は 第1巻の「阿修羅像」では なかったはずだ。)

もちろん、祖母チャンは買っては くれない。母親は子供に対しては、こと買物については、シビアなものだ。

後日、貯めていた小遣いを握りしめて、一人で買いに行ったよ。
当時 小遣いが、月に500円 だった。
写真集は、1冊 2千円もするのだ。それが 「全12巻 刊行予定!」 と謳ってある。君と同じく、お年玉は 手にできない家庭だ。とても 全冊 揃えられる訳がない。ここは 割りきって、自分の好きな仏像 が出た時だけ、買うことにした。今、長田の祖父チャンの部屋に 残してくれているのが、その全てだ。


実は、初めて 告白すること だけれど、父サンは、祖父チャンのお金を クスねた ことがある。
それも、何度か。
(祖父チャンは、父サンのこのブログを 欠かさず読んでいる みたいだから、これを見て 何と言うだろうか……)

当時 500円硬貨 というものが、初めて鋳造され、
祖父チャンは、それを 「2リットル入 ビール缶 (樽)」 に コツコツと貯金していたんだ。父サンの机の下 を置き場にして。

それまで 興福寺の阿修羅像は、それほど強く心を惹かれる像では なかったけれど、いつものように 祖母チャンの買物に 付き合って、本屋で 「ついに 第1巻 阿修羅 発売!」 と、その表紙の写真を見て、ひどく心を揺さぶられた。でも、既に 手持ちのお金は 尽きていた。

試しに、ビール樽に モノサシを突っ込むと、面白いように 500円玉が 出てきた んだ。

(一つ言っておくけれど、君は 絶対に、人サマの物や金に、手をつけては ならない。父サンも この時のことは、今でも……)

(祖父チャンは、ああいう気質だから、もちろん きちんと、お金を投入するごとに、多分 投入額を記したらしき メモを、樽の入り口に突っ込んでいた。あるいは、父サンの所業を、すっかり把握した上で、あえて何も言わなかったのかも 知れない。最終的に 何十万か貯まって、それを開封した場に 家族全員 居合わせたけれど……)

「第1巻 阿修羅像」 は、長田の家から 父サンが持って来て、今 君の寝ている寝室にあるだろう?
あれだ。

クスねたお金で、阿修羅と もう1冊 買ったはずだけど、本を包みに入れてもらう時に、阿修羅が いっそう こっちをニラんだ。そんなことをして 手に入れても、ちっとも嬉しい気持ちに なれないんだ、本来は。

*

著者の 西村公朝さん と、小川光三さん に手紙を書いたのは、
シリーズが始まった翌年、1987年(昭和62)のこと みたいだ。

父サンは、その頃から、決してバイタリティーがある方では なかったけれど、
どうしても その感想を述べたかった。そして、巻末には、お二人の住所が 記されていた。

多分、中学生から 手紙が来たのが 珍しかったのだろう。
お二人とも、実に丁寧な 返信をくださった。


(公朝さんとの やりとりは、それで 終わってしまったけれど、小川光三さん は 更にお便りをくださり、そして年が明けて 届いていた年賀状が、これだ。)

(味をしめて、浮世絵に興味があった時代は、中右瑛さん とやりとりさせて頂くことになる。この話は また いずれ。)

*

ダラダラと 長くなってしまったようだ。
ここらで、何か 落ちをつけなきゃ いけないな。


「君よ、心の火種を 絶やすこと無かれ」――消えてしまったように見えても、決して 諦めること無かれ。

掌でしっかりと、それを温め続けることだ。

そうすれば、いつか 確かに 燃え上がる日が来る。

笑われたって、貶されたって、……君の炎は 君しか守ることが出来ない。

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+ ものがたり 「地下茎」 05-01 +

イメージ 1

:太朗へ (まえがき 1):
http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/35790762.html

:      (まえがき 2):
http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/35835752.html

*

「未来」 という うさん臭い言葉に加えて、
抽象的な単語の羅列で、しかも 語呂が悪いものだから、最初 なかなか憶えられずに、ずいぶん戸惑ったよ。「人と防災未来センター」の話だ。

実際、父サンが着任した当初、外部からの間違い電話も多かった。
もっとも ヒドかったのは、単なる 「防災センター」=大きな施設でエレベーターを管理したり、警備員が詰める部署 との間違いだった。104で尋ねたら、この代表番号を教えられた とのことだった。
ま、父サンの仕事は、警備員 的な側面も、あったのだけれど……

当時は ね、「防災未来館」 と 「ひと未来館」 という名前だったんだ。

(その数年後に 「ひと未来館」 は役割を終え、2012年現在では 人と防災未来センターの、「西館」「東館」という名前になっているようだ。当初は ずいぶんと、色んな議論が紛糾したんだよ。「ひと館」の名前だって そうだ。漢字表記するとか、しないとか。展示内容だってそうだ。父サンは「ひと館」の閉館の場には 居合わさなかったけれど、試行錯誤のまま、役割を終えることとなったようだ。優秀なスタッフたちも、多くが結婚したり、他施設に移ったり。「ひと館」の3Dシアター『葉っぱのフレディー』を、君に見せてあげられなくて 本当に残念だ。)


ふだんは、(今から思えば 驚くべきことに) 両方の耳に トランシーバーのイヤホンを挿していたけれど、
(それぞれのシーバーから両館の情報が飛びかう中で、お客様の質問やクレームに、装着したまま 耳を傾けていたのだから、本当は失礼な話だ)
さすがに その時は、「防災館」の方だけを 活かしておいた。

ガラス張りの2重扉に、お二人の姿が近づいて来られ、玄関前に配置したスタッフの
「両陛下、入館されます」
のシーバーと共に、我々は頭を垂れる。
副知事 以下、県のみなさん や センター職員も頭を垂れる。お二人の気配が ゆっくりと我々の前を通りすぎる。気配が消えて 2拍子後に、ゆっくりと頭を元に戻す。すべて マニュアルどおりに、粛々と 時は積み重なる。

後ろ姿を こっそり横目で追ったけど、踵の高い靴を履いておられたからだろうか、
皇后の方が 少しお背が高かった 憶えがあるな。

頭を垂れる前に、ほんの少し お顔を拝見できたけど、お二人とも 実に模範的な、理想的な、笑顔をたたえておられた。
理想的な? ―― 何が 「理想的」かって、それは、地震からちょうど10年目 の神戸を、再訪するに 理想的 という意味だ。
広隆寺の弥勒菩薩のような、奥行きのある笑顔だった。あるいは、ほころび始めたハクモクレンのような。地に降りそそぐ春の陽のような。


ふだんは 入館者が、2千5百人から3千人の間だけど、例年 この日は 中庭で「追悼式典」 が開かれ、展示ゾーンも 「無料」となるので、その数倍の人が押し寄せる。
ただでさえ 導線が複雑で、アテンドに神経をつかうのに、この日は ふだんと違い、入館者に 神戸市民が (つまり被災者が) 多いので、クレーム対応や 小ハプニングの連続に おおわらわだ。

たとえば 前年のこの日、(日々 頻発する 小事件の中でも、特に印象的だったから、ここに書くけれど) 無料観覧された 一人の青年が、シアターの映像にショックを受け、「失禁」 されたことがあった。
(「倒れ」たり、「モドし」たり……というのは、わりと日常的なことだったけど、「失禁」されたのは、それが唯一だった。しかも、若い青年だったから)
スタッフからのシーバーの発報で 駆けつけ、バックヤードにひとまず お連れし、シアターの迫力を詫びてから、コンビニに 下着を買いに 走ったんだ。父サン以外は 若い女性ばかりだから、スタッフに買いに行かせる訳にもいかないし、さすがに 下着までは 施設に常備してなかったから。
で、
息を切らせて 戻ったら、彼は もう そこに居なかった……
オモテ導線 では、彼の姿を誰も見てないし、防犯カメラにも 映ってなかったから、きっと ウラ導線から 抜け出たのだろう。たぶん そうとうバツが悪かったのだろうな……。床に流れるほどの量だったから、ズボンも 隠しきれなかっただろうに……。どうやって 電車やバスに乗って帰ったのだろう?


多く来館されたVIPの中でも、やはり お二人の場合は特別だろう。

父サンが初めて見聞きした マニュアルの中でも、印象的だったのは、「お二人にお出しするお茶は、特別なものを用いてはならない。ふだん使いのものでなければ ならない。」 「茶碗や食器は、新品のものであってはならない。ふだん用いているものを、そのまま使用すること。」という項目だ。
(たしか、殺菌に、何度で何分間、ということまで 決められていたはずだけど) ふだんの来客用 そのままを使用することが 指定されていた。
(あくまでも 宮内庁側の指示が そうで、実際に センター側が 新品を使用しなかったのかどうかは、一介の下請け業者である我々の 関知する所では ないけれど。用意された そのままを、スタッフに運ばせるだけだけど。)

導線が複雑なので、本来なら、警備上、お二人が通られる間、他の見学者は いないに越したことはないのだけれど、この日は 神戸市民のための日でも あるので、排除するのは 「本末転倒」 だとか どうとか……
で、結局は クライアントの指示どおりに、
封鎖する時間帯を 極限まで縮める、綱渡りのスケジューリングとなった。

でも、さすがな ものだよ。
(よく 「分刻みのスケジュール」 と言うだろう?まさに、だ。)
お二人が 扉を入られ、館内をゆっくりと巡られ、そしてお帰りになるまで、すべて 数十秒以上の狂いがなかった。父サンは、その会社に入った日に、電波式の腕時計を買い、常にそれを着けていたから、その日も それとにらめっこ していたから、知っている。
数十秒の狂いも なく、歩まれた。
お二人は、そのような形で、日々 時を積み重ねて おられるのだ。


なんだか 永くなってしまったので、このお話は ここまでにしよう。
本当は、もっと 様々なエピソードが、その日は あったのだけれど。
(たとえば、その日 貰った 「菊の御紋入りの 煙草」 の話や、いつもどおりに バックヤードの扉を開けたら、機動隊(?) が5・6人 巨大なゴボウみたいな 地下茎みたいな 長い棒を振り上げていて、殴られそうになった話や、父サンが ぶら下げるIDカードの色を見て、いちいち敬礼されて こそばがゆい話や、銀の封印の話や)
もう 父サンには、未来永劫、役に立たない 話ばかりだ。
多分。
(何らかの功績により、仮に、天皇に お呼ばれすることは あっても ←「笑う所」だ 、お迎えするということは、未来永劫 ないだろう)

「未来」 という言葉は、雪雲のように うさん臭い言葉だけれど。

*

さて、2012年の世界 の話だ。

(君の暮らす世界でも、紙状の新聞は、まだ かろうじて生き残っているだろう)

紙面に評論家が、「東日本の震災のことを『3.11』と呼ぶのは、記号化するのは、あまりに事態を軽く扱いすぎている」 というような意見を載せていた。

父サンは、この論調が、ひどくトンチンカンな言説に思えて ならない。
あまりに圧倒的な出来事の前では、言葉は 残念ながら 無力なのだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/22591233.html
http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/34038184.html

目をそむける訳には いかぬ事実、記号化せざるを得ない 思いというものが、この世界には 満ちている。
どうか 君の栖む地が、平らかで 清らかで ありますように。

明日で、「1.17」 から 17年……

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: 「未来へ」 (再掲) :

「未来へ」  丸山薫  (詩集「涙した神」所載:1942年)
 
 
     父が語った
     御覧 この絵の中を
     橇(そり)が疾く走っているのを
     狼の群が追い駈(か)けているのを
     馭者(ぎょしゃ)は必死でトナカイに鞭(むち)を当て
     旅人はふり向いて荷物のかげから
     休みなく銃を狙(ねら)っているのを
     いま 銃口から紅く火が閃(ひらめ)いたのを

     息子が語った
     一匹が仕止められて倒れたね
     ああ また一匹躍(おど)りかかったが
     それも血に染まってもんどり打った
     夜だね 涯(はて)ない曠野(こうや)が雪に埋れている
     だが旅人は追いつかれないないだろうか?
     橇はどこまで走ってゆくのだろう?

     父が語った
     こうして夜の明けるまで
     昨日の悔いの一つ一つを撃ち殺して
     時間のように明日へ走るのさ
     やがて太陽が昇る路のゆくてに
     未来の街はかがやいて現れる
     御覧
     丘の空がもう白みかけている
 
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ブリューゲル 「雪中の狩人」

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開設日: 2008/7/10(木)


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