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:太朗へ (まえがき 1):
http://blogs.yahoo.co.jp/seiyudou/35790762.html
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淡路のヒィ祖母チャン (父サンにとっての 垂水のお祖母ちゃん)
が 亡くなったので、
今年の 年賀状 は無かったね。
君の写真入りの年賀状を、楽しみにしている親戚もいるだろうから、送っても良かったのだけれど、
しきたり とか 常識に疎い 父サンでも、君から数えて 3親等は、さすがに 近すぎた。
君を淡路に連れて行くはずだった その数日前に 亡くなった、というショックも少しはあった。
父サンは、白祖父チャン (キヨシじいちゃん。淡路のヒィ祖母チャンの連れ合いだ。地震にも生き延び、その翌年に亡くなった、君の会ったことのない ヒィ祖父チャンだ。) の死に目にも、僅か 半時間ほどの差で、間に合わなかったから……。京都から駆けつけているうちに。
本当に、命の炎というものは、少し目を離している隙に、尽きることがある。
はっと我に返った時には、既に 手遅れなことがある。
まわりの人が どう言おうと、父サンにとっては、大切な お祖父ちゃんだったから。
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「辰年の年賀状」 といえば、まず 思い出せるのが これ (↑) だ。
(この絵は、ずっと父サンの頭の片隅に、まるで蝋で封したみたいに こびり付いていて。このブログを書くため 20年ぶりに引っ張りだして来て、イメージと寸分と違わなかったことに、自分でも驚かされたよ。)
今から24年前、1988年(昭和63)、父サンが15歳 の時に貰った年賀状だ。
1回目の大学受験の時に、セロハン (お菓子か何かの包みを剥がしたものだ。当時は透明なフィルムが そう簡単には手に入らなかった) で包み、セロハンテープで封し、「お守り」 として 手帳に挟んでおいたものだ。
この年賀状をくださった仏像写真家 小川光三さんの 兄上 小川光暘さんが、
志願する 文学部の教授 だと知ったから かも知れない。
(君からすれば 信じられないかも知れないが、父サンは かつて 何でも取っておくタイプの人間だったんだ。それも、きちんと 整理をして!
持ち手のついた クリアボックス2個に、父サンの「過去」の断片が、いっぱい 詰まっていた。
茶色く変色した 震災当日の夕刊や、デートで見た 映画の半券や、庭師で使った セメントと砂利の配合率のメモや、初めて書いた 株主総会の議事録の草稿や、下賜された 菊紋の煙草の1本や、中学の美術のデッサンや……
時が積み重なり、過去の記憶が燃え尽きてしまうのを、恐れるように、いつくしむように。
時代ごと、テーマごと に、茶封筒に 分類して 入れてあった。
久しぶりに 開封してみて、小学校の通知票まで あったのに、驚いたよ。
自分のイメージほどは、良い成績でなかった……
そして、なんだか 書き散らかした文章や メモがいっぱい出て来た。この「ものがたり」に、直接的に影響させたくないから、まだ見ていないけれど)
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これは間違いなく 言えることだけれど、
君が生きていく中で、大きな曲がり角 と呼べる地点に、君はいくつか遭遇するだろう。
チロチロと燃えていた炎が、ふっと 風に揺れる瞬間が、いくつか在るだろう。
父サンにとって まず最初のその地点は、1981年(昭和56) 小学校3年生の時だろう。
「ポートピア81」が開催され、無人運転の電車が走り出し、パンダが初めて神戸に来た年だ。
イスラエル空軍が イラクの原子力発電所を 爆撃した年だ。
ふと 父サンは、「宇宙」 とか 「時間」 とか 「死」 というものが、怖くなった。
そういうものが、気付かないうちに 自分の周りを覆っていることに、
それらと隣り合わせに 自分が「存在」 していることに、(そして それに気づかなかったことに) 怖くなってしまった。
そして、夜、眠れなくなってしまった。
(不眠は、就職して 仕事をしだしてから、自然と解消した。というより、あえて眠ろうとしなくても その時間を他に充てるすべを知る。変な所が遺伝するもので、君も少しその傾向があるけれど、だから……心配しなくても 大丈夫だよ。)
真夏、校舎の開け放たれた窓から、校庭を眺めていた。
5年生だか 6年生だかが、体育の授業で ドッチボールをしていて、
とても賑やかな 笑い声で、蝉も さかんに鳴いていて、眼が痛い 程の青空で、
それでも 同じ空の下で 「戦争」が現に行われ、空の向こうは 「ハテが判らない 宇宙」が広がり、
時間というものも いつ創始された ものか判らず…… それでも蝉は鳴き止まなかった。
先生に 「おい、ボーッと よそ見するなヨ」 と注意されても、怖さは いっこうに収まらなかった。
(「戦争」というものは、白祖父チャンから聞いた、歴史上の過去の出来事 だと思っていたので、爆撃のニュースは 子供心に かなりのインパクトだったのだろう。)
卵と鶏の どちらが先か? みたいな話になるけれど、
「仏像」 と 「仏教」 には、あい前後する形で、興味を覚えたのだと思う。
仏像に対する興味の方が、少し先行していたかも知れない。
当時 須磨にあった家は、あまりテレビとか漫画とか、友達が好んでいるようなものを 見せてくれない家だったし、
父サン自身も、それを良しとしていた。
(ちょうど 今の君と、まったく同じだ。口先では やれ 「海賊戦隊 ゴーカイジャー」 だの 「仮面ライダー 何とか」 だの言って 友達と同じにふるまっているけれど、本当の興味は 「掃除機」 とか 「耕運機」 とか、別の方角を向いている。―― 人がみな 同じ方角に向いて行く。 それを横より見てゐる心 :石川啄木 ―― だ。)
それに、仏像の世界は、実に ウルトラマン の世界に そっくりだった。
ウルトラマンの 「光の国」 って知っているかい?
まさに 須弥山的 世界だ。三千大千 宇宙だ。
どちらかというと、信仰の対象 としてより、彫刻としての 力強い美しさに惹かれた。
最初は やはり 動きのある 天部像が好きだった。
まずは 東大寺の四天王像、新薬師寺の十二神将像 から始まり…… 一番 心掴まれたのは、興福寺の天燈鬼・龍燈鬼だった。
そして、次第に 菩薩像、やがて 如来像 が好きになっていった。
仏像に強く興味を抱いていた 時代の、最後の方は、平等院の阿弥陀さん が一番好きだった 気がするな。
ほら、平等院の阿弥陀さん のお顔は、ウルトラマンに そっくり だろう?
長田の 祖父チャンも祖母チャンも、宗教や美術 には、興味がなさそうだったから、
自分たちの息子が、急に そういうものに目覚めてしまって、内心は 心配だった かも知れない。
「ホンマに あんたは、変な子やねぇ」 とは言われたけれど、反対は されなかった。(もちろん、応援は されなかったけれど。)
こういう趣味・嗜好は、多分 白祖父チャンからの 隔世遺伝だ。
ほら、寝室にある 「世界の美術」 という全集は、白祖父チャンが 唯一残していった遺品で、当然のことのように 祖父チャンをすっ飛ばして、父サンが 受け継ぐこととなった。
前に ここに書いた、父サンが 物心つく前に行った 初めての美術館の記憶 も、隣には 白祖父チャンがいた。
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よく憶えている。
「魅惑の仏像」 という写真集のシリーズは、板宿のダイエーの5階の本屋で買った。
(「色即是空の研究 (山本七平:著)」 という本も、同じ頃、同じ本屋で買った。これも父サンに 曲がり角を与えた1冊だ。)
当時は 大きな本屋が そこくらいしか無くて、母親が買物をしている間、いつも そこに入り浸っていた訳だが、
どうしても その写真集が欲しくなってしまった。
(どの像の特集を目にしたか は、忘れたけれど。確か 第1回の配本は 第1巻の「阿修羅像」では なかったはずだ。)
もちろん、祖母チャンは買っては くれない。母親は子供に対しては、こと買物については、シビアなものだ。
後日、貯めていた小遣いを握りしめて、一人で買いに行ったよ。
当時 小遣いが、月に500円 だった。
写真集は、1冊 2千円もするのだ。それが 「全12巻 刊行予定!」 と謳ってある。君と同じく、お年玉は 手にできない家庭だ。とても 全冊 揃えられる訳がない。ここは 割りきって、自分の好きな仏像 が出た時だけ、買うことにした。今、長田の祖父チャンの部屋に 残してくれているのが、その全てだ。
実は、初めて 告白すること だけれど、父サンは、祖父チャンのお金を クスねた ことがある。
それも、何度か。
(祖父チャンは、父サンのこのブログを 欠かさず読んでいる みたいだから、これを見て 何と言うだろうか……)
当時 500円硬貨 というものが、初めて鋳造され、
祖父チャンは、それを 「2リットル入 ビール缶 (樽)」 に コツコツと貯金していたんだ。父サンの机の下 を置き場にして。
それまで 興福寺の阿修羅像は、それほど強く心を惹かれる像では なかったけれど、いつものように 祖母チャンの買物に 付き合って、本屋で 「ついに 第1巻 阿修羅 発売!」 と、その表紙の写真を見て、ひどく心を揺さぶられた。でも、既に 手持ちのお金は 尽きていた。
試しに、ビール樽に モノサシを突っ込むと、面白いように 500円玉が 出てきた んだ。
(一つ言っておくけれど、君は 絶対に、人サマの物や金に、手をつけては ならない。父サンも この時のことは、今でも……)
(祖父チャンは、ああいう気質だから、もちろん きちんと、お金を投入するごとに、多分 投入額を記したらしき メモを、樽の入り口に突っ込んでいた。あるいは、父サンの所業を、すっかり把握した上で、あえて何も言わなかったのかも 知れない。最終的に 何十万か貯まって、それを開封した場に 家族全員 居合わせたけれど……)
「第1巻 阿修羅像」 は、長田の家から 父サンが持って来て、今 君の寝ている寝室にあるだろう?
あれだ。
クスねたお金で、阿修羅と もう1冊 買ったはずだけど、本を包みに入れてもらう時に、阿修羅が いっそう こっちをニラんだ。そんなことをして 手に入れても、ちっとも嬉しい気持ちに なれないんだ、本来は。
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著者の 西村公朝さん と、小川光三さん に手紙を書いたのは、
シリーズが始まった翌年、1987年(昭和62)のこと みたいだ。
父サンは、その頃から、決してバイタリティーがある方では なかったけれど、
どうしても その感想を述べたかった。そして、巻末には、お二人の住所が 記されていた。
多分、中学生から 手紙が来たのが 珍しかったのだろう。
お二人とも、実に丁寧な 返信をくださった。
(公朝さんとの やりとりは、それで 終わってしまったけれど、小川光三さん は 更にお便りをくださり、そして年が明けて 届いていた年賀状が、これだ。)
(味をしめて、浮世絵に興味があった時代は、中右瑛さん とやりとりさせて頂くことになる。この話は また いずれ。)
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ダラダラと 長くなってしまったようだ。
ここらで、何か 落ちをつけなきゃ いけないな。
「君よ、心の火種を 絶やすこと無かれ」――消えてしまったように見えても、決して 諦めること無かれ。
掌でしっかりと、それを温め続けることだ。
そうすれば、いつか 確かに 燃え上がる日が来る。
笑われたって、貶されたって、……君の炎は 君しか守ることが出来ない。
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