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壷碑  〜多賀城碑 京を去ること一千五百里〜

あやめを見た後は、例の壷碑(つぼのいしぶみ)を訪れた。
もうこれで三回目となると、ボランティアガイドの説明もほぼ頭に入っている。

非常に鮮明な文字はかの芭蕉翁も感激したものだった。
神亀元年(724年)の多賀城の建設、改修された天平宝宇六年(762年)にこの碑が建造された。

『京を去ること一千五百里・・・・』今でも文字はたいへん鮮明だ。碑の中央上部には大きく『西』と彫られ、碑は正確に西を向いている。

古来から言い伝えがあったようだが、江戸時代初めまでは土に埋もれていたようだ。それが風化を防いだのかも知れない。
水戸黄門の時代かもしれないが今のように手厚く護られるようになったとか。お堂は3代目。今のは明治の初め。

芭蕉は仙台を発し岩切を通ってここ多賀城に来た。
そして、この碑を見てたいへん感激したのだ。

むかしよりよみ置る哥枕、おほく語傳ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石は埋
て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。
行脚の一徳、存命の悦び、羈旅の労をわすれて、泪も落るばかり也。

 (松尾芭蕉 奥の細道より)

最後の文章は文字通りだが、
「碑に会えたのも旅の行脚をしたおかげで、生きている喜びを感じ、旅の苦労を忘れて、ただただ涙が落ちるばかりです。」

ほぼ千年の昔の碑文が芭蕉の眼に鮮やかに映ったのだ。

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あやめ草足に結ん草鞋の緒
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この俳句は仙台出発の折、世話になった方から餞別の草鞋をもらった。それにちょうど季節のあやめを結ぼう。という意味。

あやめは菖蒲湯とか、端午の節句の飾りとか、魔よけの意味があった。
そのあやめを草鞋に結べば旅の危険から身を護れようということ。

あやめの由来が解かって初めてこの俳句の意味が理解できるというものだ。

この句碑は近年建てられたとか。
ボランティアのご老体は、「全く評価していません。・・・」
とこちらの説明は全く眼中にないようだ。
確かに。薬師堂がふさわしい場所だ。

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