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「兵法」と言えば、まず頭に浮かぶのは中国の兵法だろう。
じゃあ、日本の兵法は如何なるものだったのか。それを知るために、偶然見つけたこの本を足がかりにしたい。
「軍を発すべき二、三年も前より敵国へ間諜を遣わして、国家の風俗を知って後、兵を発すべし」
「敵と大河を隔てて対陣する時は、河端近く陣取ること悪し。二、三町も引き退いて取るべし。その故は味方より斥候出て馬を乗り廻す時、地形ひろければ、敵より見るに勢いあるものなり。敵懸かる時、半渡りを打つに利あり」
「推し出し行く道中にて、大河を前にあてて陣取る事なかれ。もしその夜、河向うに敵来るか、また大雨降りて俄かに水増して明日越しがたきこともあり」
「合戦の時に至りて、主将より唯今槍を始めよと使い来るといえども、唯今合戦をすれば我が負けと見極める時は、戦うべからず」逆(戦うなという命令が出ている時に勝てる機会がある時)なら戦うべし。
「敵の人数三百にして味方千ある時は、七百を隠して三百を以て戦うべし。徳を得る事五つ有り。一つには、敵、味方の小勢を見て侮りて急に戦い早く疲れる。二つには、大勢一同に戦えば大勢を頼りあいて、味方の気怠る。三つには、大勢進退安からず、小勢は自由なり。四つには、大勢には友(共)崩れあり、小勢にはなし。五つには、しばしば戦いて引き上げるに、敵、勝ちに乗り追う時、新手七百ありて追い返して、敵を敗せしめん」
「堅固の城は力攻めにすべからず。耕作の生じる時と米穀の実なる時、押し寄せて、これを切り捨て兵糧の盡(つ)きるを待つこと」
「城を攻める時日を定めることなかれ」必ず敵に知れてしまうから。日を決めず、事前に決めた合図で攻めるようにすればいい。
「兵糧は城中人数数千人に三万石余。この上は多きほどよし。塩は千人に五千石、大豆二千余石。油、干魚、干菜、海草、弓矢、玉薬、火縄、限りなく篭むべし。右は三年の蓄えなり」
他にも、陣形、こういうことがあったら不吉だ、首実検の作法など様々書いている。思っていたより、幅広い内容だった。
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こんにちは。
新陰流とは、刀剣のあの流派でしょうか。
剣士、兵法者、剣豪とかいろいろ称しますね。
現代の戦争には通じがたいかな。
剣法を兵法と称すのはなぜ。
2009/12/27(日) 午後 2:35 [ 日光山 ]
返信遅れました。お久しぶりです、日光山さん。
あの流派です。
現代でも孫子などが注目されるように、もしかしたら現代でも参考になる要素があるかもしれません。
何故かはわかりかねます。面目ないです。
今、所持している小説は
司馬遼太郎氏の「城塞」三冊。
森本繁氏の「明石掃部」
前田靖一氏の「ビスマルク革命」
の5冊を残したつもりですが、部屋を掃除していたらPHP文庫の島津義弘と後藤又兵衛の2冊が見つかったので、7冊になりました。
チャット会は行けたら行きます。
それでは、よいお年を。
2009/12/30(水) 午後 10:04 [ sanga ]
篠原由紀夫氏の「フォールオブケベック」を忘れていました。
正しくは8冊です。
2010/1/1(金) 午後 0:46 [ sanga ]