日本海☆夕日パラダイス

久しぶりの岩盤浴は気持ちよかった。超☆きもちいぃ〜〜(^O^)/謎笑

母のこと。亡くなるまでとその後。

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GWと母の命日に寄せて。

GW・・・・あと二日で終わっちゃう。。。
 
したいことが山ほどあってしなくちゃいけないことも山ほどあって(笑)
読みたい本が山ほどあって考えたいことも山ほどあって
 
それらが全然できていないわけでなく
結構着々としてはいるのだけど
したいことの方が多過ぎて^m^
 
うれしいような焦るような(-_-;)
 
考えたらGWの最中は母の命日もあったのだった。
もちろん忘れちゃいないけど(・・・・忘れちゃいそうな予感もあり(^_^;))
 
GWの前半戦は(・・・←えっ!?ぜんはんせんって『戦い』が入ってるんだ・・・(@_@))
これが毎月あったらいいのに〜〜〜♪って思うだけで(^_^;)
つい命日を忘れてしまいがちだったので敢えてカレンダーに『命日』って書いておいた。
 
やはり書くと頭の中にインプットされるようで
きのう(5月4日)は朝からざわざわ・イライラ・そわそわしてしまった。
イライラは単にお年頃のせいかもしれないけど・笑。
 
2年前の5月4日に亡くなり5日にお葬式。GWの間にすべて終了させてくれた潔い母。
潔い・・・というかわたしがそう望んだのだ。
「お母さん・・・亡くなるなら誰もの仕事や学業に差し障りのないGW期間中にしてください」って。
その通りになった。
もちろんわたしのせいとかわたしが望んだから・・・なんて不遜なことを言うつもりはない。
昔から母の望みとわたしの望みが一致することは多々あったからそう思うだけ。
(今・考えれば「仕事や学業」なんて御立派なものはそれほどなかったもの。)
 
去年の命日は震災後すぐで(生きている間に『震災』という文字を使うとは思いもよらなかった)
「お母さん・去年死んどいてよかったね。」
「今年なら“震災にあってこんなことなら死んだほうがマシ”と言っていたかもよ」
とむしろ死んだことを喜んでいた気もする。
 
今年は命日に母の夢もみなかった。(そういえば最近でてこない)
 
当時は母の亡くなる少し前の楽しい出来事とか恋の話とか(笑)
精一杯やった“つもり”(自分への)で、ある程度の達成感みたいなものがあった。
 
今年になったら
病気を知ったときの母の気持ちとか痛みを我慢しているときの気持ちとか
入院しているときの夕方や深夜の気持ちとか
自分のことから母の気持ちへと、考えることがシフトしてきてちょっと切ないことの方が多い。
 
悲しいとかさみしいとか。そういう感覚とも違うのだけど。
 
あ・・・それか。。それがざわざわだったりさわさわだったり。
 
ま・・・無事に母に見守られてわたしたち家族は生きています。
 
お母さん。
東京で暮らす娘をどうぞお守りください。
本日もスキーに行ったオトコをどうぞお守りください。
じぃちゃんは元気ですよ。あと5年は生きるそうですから守ってやってください。
実家の人たち・親戚の人たち。できればお母さんが知っていた多くの人を守ってください。
 
きのうはきれいな花を飾りましたよ。菊はあえて入れなかったから〜。
好きだった「ほや」を探したけれど新潟にはなかった。太平洋側の食べ物なのかもね。
最後に食べたスイカは・・・ごめん。高くて買えなかった。しかも不味そうだったんだよ。
デコポンとマンゴーにしたよ。(わたしも好きだし)
 
 
 
「仏」の立場からいつのまにか「全能の神」扱いされている母であった。

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どうなってても故郷。

母の納骨式で多賀城市にある実家へ帰りました。
 
実は春のお彼岸までにお墓を建てて納骨して一周忌を迎える予定でした。
 
ところがお墓引き渡しの2日前にあの震災があり
実家の墓地は比較的・海の近くだったので津波の被害に合ってしまったのでした。
 
家の近くの交差点は相変わらず信号機が動いていなく
警察官が交通整理をしています。
 
お墓まで車で15分。
辺りはずいぶんと片付きましたが
家々の壁には津波の跡が残っていて
わたしの背の高さくらいまで真っ黒な一本線がついています。
 
道路沿いのアパートの1階に住んでいる人はほぼ皆無。
ほとんどが空っぽのまま。ガラスが津波で壊されたままの家もあります。
 
公園にたくさんの車が駐車していて
お祭りでもあるのかと目をやれば
なにか違和感が。。。。
 
すべて津波により流されて撤去された車の群れでした。
 
あのアパートの住民たちは。。。。
あの車の持ち主たちは。。。。
 
見ないように考えないようにして通り過ぎます。
 
墓地の入り口。
 
イメージ 1
 
入り口の鉄のフェンスがまだ曲がったままです。
あ・・・大丈夫。これ・・入口だから。。。
お墓は写っていないから。車も工事の人の車だから(笑)
 
お墓の隣にある浄化施設が壊れたままなので
なんとも言えない臭いが充満しています。
ハエも多い。。。。
 
それでも災害が引き渡しの前だったのは我が家には不幸中の・・・でした。
母のお墓はきれいに掃除して今回やっと引き渡して貰えましたが
まわりのお墓は曲がっていたり倒れていたり壊れていたり
地蔵が首ちょんぱです(ー_ー)!!
 
 
父とわたしたち妹弟。その相方。子どもたち。
家族が揃い・坊様にお経をあげてもらい
 
   「写真撮っても大丈夫かな?」(困ったモノが写ったりしないかな?)
 
   ほら撮るよ〜〜〜。じぃちゃん・じゃま〜〜。ほれこっち向いて〜〜。
   次はわたしね〜〜。今度はじぃちゃん入っていいよ〜。
 
   あれ?じぃちゃん・・・ぎっちょだから線香置くときの向きが違うんだわ〜〜。
   あらホントだね。わたしたちはこう置くもんね〜。
 
傍では小2の甥っ子が
   「緊急地震速報〜緊急地震速報〜♪ぴろろ♪ぴろろ〜♪」
   「児童の皆さんは机の下にもぐってくださ〜〜〜い。」
と地震ごっこで遊んでいます。
 
相変わらず我が家は我が家流の楽しくも穏やかな納骨式なのでした。

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母の命日。

5月4日は母の命日でした。
 
なんということのない普通の日を過ごしましたが
命日の朝にやはり母の夢を見ました。
 
不思議ですねぇ。しょっちゅう母の夢を見ているわけではないの。
でも節目節目には必ずでてきてくれるの。
 
母はわたしの見たことのない豪邸に住んでいました。(ぁ・・これ・夢の話ね)
台所には結び昆布が大量に作ってあって
でも作っている本人がいないのでわたしはその見たことのない立派な家の部屋をひと部屋づつ
母を探して歩いていました。
ひと部屋目〜〜。ふた部屋目〜。んまっ・この家広い。ここにも部屋がある。
五つ目の部屋の金色の布団に母が寝ていて「何か手伝おうか〜」と言うわたしに
「なにも手伝いは要らないよ」と応える母。
 
夢の中でわたしと母はいつも話せます。夢には色も付いています。
 
どうして結び昆布あんなにたくさん作ってるの?そしてここは誰の家なの?
 
母が何かを言おうとしたそのとき。
 
どんっ!「おはよっ!朝だよ〜〜!」どんっ!
 
夫です(-"-)
どんっ!はわたしのベッドを叩く音です(-"-)
朝なのは知っています(-"-)
それに今日は休みです。何時まで寝てたっていいだろが。。。(-"-)
 
この人はときとしてこういうことをします。ときとして・・・じゃなく毎日ですね(-"-)
 
あんだよっ!!せっかくお母さんの夢を見ていたのにっ!!
起こすなっ!ぼけなすっ!!
 
お育ちのよいわたしもついこんな言葉がでてしまいます(笑)
 
あれはどこだったのか。母は何を言おうとしていたのか。。。
 
去年の今日はお葬式の日でした(^.^)

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思秋期。

イメージ 1
 
思秋期なもので。。。
 
誰とも話したくなかったり
どこにも行きたくなかったり
夫が嫌いになったり(笑)
 
いろいろとあるんです(^^)v
 
口を開けば文句や愚痴が言いたくなって
それが自分でわかっているし
まわりの雰囲気もどよ〜〜んとするので
おとなしくしています(^.^)
 
とはいえ
 
感情はいつもどおりに動くし
食欲もあるので
 
尖閣諸島のビデオを見て
これは小説並みの出来事だ・・・・などと興奮しながら
 
ご飯をがつがつと押し込み
おかずが口に入っているのに違うおかずも詰め込み
ぁあ・・おいしい。
 
どんどん詰め込み
おいしいんだか勢いだけが欲しいのか。。。。
 
涙が流れ
泣きながらまたご飯を押し込み
 
そういえば母は最期の数週間はなにも食べられなくて
 
「口からものが食べられなくなったら1か月です。」
 
と医者に言われたことを思い出し
最後は本当にそうなってしまったのだけれど。
 
 
雨降りのひとりきりの部屋でテレビを眺め
美味しいと泣きながらご飯を食べるおんなの図。

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おもひでが消える日。

イメージ 1
あ〜〜そうだった。
忘れないうちに書いておこう。
 
おとといの朝に母の夢を見たのだった。
 
貞山荘から大場商店への道を母に手をひかれながら幼いわたしが走っていた。
母はこう言っていた。
 
「ほら急いで。。早くしないと空手チョップが終わっちゃう・・・」
 
 
空手チョップってなに?(笑)そして誰?(笑)いつの時代?(笑)
まさか力道山でもあるまいに。。。。(笑)(力道山の時代の子じゃありませんよ〜〜)
 
 
 
わたしが子どもの頃。
手がかからず親を困らせずモノを欲しがらず
扁桃腺の弱いおかげで幼稚園を中退し
家の中で20円のノートに絵を描いたり
1箱5円で4個入りのガムを4粒いっぺんに食べてしまい親からげんこつをもらったり(T_T)
たまに買ってもらえるぬり絵に色を塗ったり
誕生日かクリスマスに買ってもらったあまり面白くない本を一生懸命読んだり
 
そして若い頃。
高校に通うバス代を親に出させるのが悪くて1時間の道のりを歩いたり
朝ごはんは自分で作り弁当を詰め
自分のお給料で教習所に通ったり車を買ったり
部屋に置くベッドも成人式の着物も自分で払い
家には毎月3万円いれ
弟に買ってあげたバイクが盗まれた時も
父に内緒で母に8万円渡したり
 
多少・・自慢(笑)と恨み(笑)が入ってますがすべて事実です。
高校の頃からバイトはしていたので・たいていのことは自分で賄っていました。
 
母はわたしに随分と助けてもらった・・・と生前よく言っていました。
母とハタチしか年の違わないわたしは
「たまごは子どもというより相談者だね」と言われながら育ったので
それがよかったのか悪かったのか
およそ子どもらしくない
小学生の頃から色紙には自立と書くような子どもになってしまいました。
 
18歳の頃には出家にあこがれ四国のお遍路に行きたくて行きたくて(笑)
 
とここまでは前振りです(笑)
毎度毎度・長い前振りですみません<m(__)m>
 
少し前になりますがわたしの実父が来ました。
そのときに昔の話になって。
 
昔はなぁ・・・お金がなくて大変だったなぁ。。。。(うん・・そうだね〜〜〜)
キャサリン(わたしの妹)は電車代がかかるからってよく歩いたもんなぁ。。。。(歩いたね〜〜)
バイトも自分でしてたしなぁ。キャサリンはいろんなバイトしてたよなぁ。。。。(してたね〜〜)
 
ん?ってか。。。。いつになったらわたしの話がでてくるの?
わたしも随分してましたよ〜〜〜。。。
 
ところがいつになってもキャサリンの話ばかりでわたしの『栄光話』がでてこない。。。
 
どうやら父はわたしがあんなにいい子だったってことを
・・・・覚えていない・・というよりも知らないようなのです。
 
が〜〜〜〜〜ん!!(って実生活ではなかなか言いませんね)
 
親子にも相性と言いますか。母と上の子。父と下の子。みたいな?
出掛けるときも母が弟をおんぶしわたしの手を引き、父が妹を抱っこする。。。
そういう関係だったのかもしれません。
 
わたしと母の間の出来事はわたしと母のことだけであって
父には伝わっていないことが多かったのでしょうね(T_T)
 
これは少しショックでしたね〜〜。
 
母が亡くなったらわたしの過去の栄光(笑)を知ってくれている人は
誰もいなくなってしまいました。
 
思い出もいつか消えるんですね(T_T)
 
父がいっしょうけんめいにキャサリンの話をしているとき
わたしは横を向きながらちょっとばかり涙が流れました。
 
 
***写真は先週一瞬だけ晴れ間のあった日の夕日。
    ベランダに出て部屋方向にカメラを向けて撮りました。
    だから写っているのは窓にうつった夕日なんですよ。
 
***母の夢を見た夕・・・母のすぐ上の兄が亡くなりました。
***しんぶんエコバッグの作り方。近日載せます。(内緒記事で)

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開設日: 2005/12/27(火)


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