sgi ブログ

つれづれに書いていきます。

回答への下書き(3)

そこでtoo_fast_to_livetoo_young_toさんのご質問にあった三毒を読み返してみたいと思います。
 
>煩悩(ぼんのう)とは仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働きを言います。
おお、良いこと書いてありますね。これは問題解決にヒントになりそうです。
 
心身を悩ませ知恵を妨げるうんぬん・・・・
 
この知恵なんですけど、これはどういう知恵なんでしょう。
たぶんここでは男女関係を上手に作っていく知恵ということでいいだと思いますけど、この上手に作る知恵ってどういうもの、このなかに三毒に陥らないなんらかの知恵を持つ必要がありそうです。
 
仏教説話のなかに冬山に住むハリネズミの夫婦の話がありました。ハリネズミというのは体一面に針をもっているので、寒いからと言って近づきすぎるとお互いの針で刺しあいをして血まみれになり、かといって遠ざかりすぎると寒くて凍えしんでしまう。だからつかづ離れずの関係で上手に距離感を保つのが大事だというようなのがありました。これをすこし使ってみます。
 
依存心を持つ、という場合でもどこまで依存心に甘えて良いのか、その距離感をどんなふうにとるべきか、ということなのかな。甘えるにしても相手を押し倒すくらい甘えてしまうとこれはながつづきしません。相手が自分に甘えてくれるのを心地よいくらいに感じられるくらいの距離感、それがわかると長続きして、いつまでもラブラブでいられますね。
 
じゃその距離感をもっと具体的にどうすればとっていけるのか、なにか良いアイデアはないのか、ですけど、じゃもういちど仏教にそれを求めてみます。
 
とりあえず眠いので寝てつづきはあしたにでも・・・・
 

閉じる コメント(5)

閉じる トラックバック(0)

回答への下書き(2)

基本的に男女関係というのは、それが夫婦であれ恋人同士であれ、親子であれ、長続きさせようとおもえば、自然体でいくしかないと私は思います。不自然に自分を取り繕うと思っても、自分も相手もへとへとに疲れてしまうから。
なにかがあって片方が地獄のような苦しみにあえいでいるとします。そのとき、もう片方は本人の身代わりになって苦しんであげることはできないわけで、そのときは同苦するということが一つの癒しになるのですが、何をどう苦しんでいるのかわからない場合も結構あります。そんなとき、苦しんでいる側からすると、何も言わないでもいいから一緒にいて欲しい、と思うことってあって、ちかくにだまっていてくれるだけで癒されるということがあります。
男女関係と言うのはなにがあってもいつも一緒にいてくれるというところから出発していくものじゃないのかな。そのへこんだときに、すこしやさしくしてもらうとか、できないことを少しだけ手伝ってもらうとか、もっと嬉しいことは、苦しいけれど頑張ってることをほめてもらえること、自分のことをわかってくれてるっておもう瞬間ですね。そうすると、苦しいけれど、もうすこし頑張ってみようかなとかおもったりするものです。
だからやはりどんなときでも自然体でいるというのは大切なことじゃないかなと思うのだけれど。
でも、それが相手にとって負担になる場合があることもあります。too_fast_to_livetoo_young_toさんが心配するように、相手が重荷に感じてきて耐え切れなくなったなら、それで関係が切れてしまうということはあると思います。だから何があっても自分の気持ちを押し隠して平気な顔をして接していては、これは辛いはず。ではどうするのか。どうすればよいのだろうか?
 
 
 
 

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

回答への下書き(1)

昔、三谷由利恵さんと言う人がいて、其の女性は、郷ひろみさんのお嫁さんでした。
この人が郷ひろみさんから「愛される理由」という本を書いて出版して一時期話題になったことがありました。
愛される理由?なんともまあ、へんなタイトルだなあ、と我ながら思ったのですが、男と女では愛と言う場合、女は愛されることに、男は愛することに、その理由を求めるようにできているのかもしれない、と思ったものです。しかし女性がいつも男性から愛されることばかり望んでいるのではなく、愛しているから愛されたい、つまり愛されたいというのは愛されていなければい愛し続けていけないからというのがその裏側にあるのでしょう。でも、それは男とて同じで、相手から愛されていないと気づいたら、一方的に愛しぬくことなどできない相談です。
 
しかしながら、愛される理由をなぜ求めるのか。なぜ愛する理由ではないのか。
too_fast_to_livetoo_young_toさんの質問を見て、はたと思い当たる節がありました。それは女性の心理が男性よりも依存度が高いために、相手からの愛情を敏感に感じそれに反応してしまいやすいということがあるからなのかもしれない。と思いました。
そういう自分自身への不安定さに気づいているがゆえに、愛されているという理由を求めようとするのかも。また不安定になるとどうなるのか、質問にあるように
>煩悩の根源(人間の諸悪の根源)は貪欲(とんよく[1])・瞋恚(しんに・しんい)・愚痴(ぐち)です。
とあるように、このあたりの意識がむっくりおきてしまう。
sだからこそ、そうなったとしてもそういう意識がおきたとしても自然体であることが人間として幸せなのかとなる。
彼女の男性側は、それでも良いよ、と言ってくれる、でも本人はそうは言ってくれても、そんなのはイヤだ、なんとかならないのか、ということで、この悪い命が出たときに、それから脱出して自由になれるとはどういうことか、心を強く律することとはどういうことか、という疑問が生まれる。
 
現実問題として、なかなかそういうようになることはできない、だとすると、相手の男性におんぶに抱っこで、自分のありのままを受け入れてもらうしかないわけですけど、そういう自分のこころをコントロールできない自分を受け入れてもらうようになると、相手への依存度はより高くなってしまう。
もし、相手に依存し続けて、其の果てに相手から見放されたとしたらどうなるのか。それを考えることはそれ以上の恐怖以外のなにものでもない、失うことへの恐怖を持ちながらも、ありのままの自分を受け入れてくれる人がいるというのは本当に幸福なことといえるのだろうか?
 
なんですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

[ すべて表示 ]


.

人気度

ヘルプ

Yahoo Image

  今日 全体
訪問者 0 16270
ブログリンク 0 16
コメント 0 244
トラックバック 0 18

開設日: 2007/5/9(水)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.