なんでアクセサリーだったんだろう?
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難しいことを書くつもりはないのですが
このカテゴリーはチッと語っちゃう
・・かも
いえ・・語ります
一番最初にアクセサリーの世界に入ったきっかけは ジュエリーデザイナーになりたかったから。。
じゃあ…
なぜジュエリーなの? お洋服じゃなかったの?
。
。
。
この間部屋を整理していたら 小学生の頃書いた「将来の自分」っていう作文が出て来て
それには「デザイナー」って書いてあったの。
子供の頃の夢は 確か「考古学者」だったと記憶していたけど、
書いた学年からみるとその後になりたいと思ったのがデザイナーっだったらしいのね。
その頃は単純に デザイナー=洋服 だったんだろうけど、
小学生の頃 〜五十路女の小学生時代ですからかれこれ40年前のお話ですナ〜
すでにデザイナーになりたいと思っていたんだ〜
とすっかり忘れていただけに、ちょっとビックリ。
そして時は流れて… 高校時代。
その頃、毎日一緒にいた友人が超のつくオシャレさんで、
それまでアクセサリーとか興味なかったのに 彼女の影響で アクセサリーに開眼したのを覚えてる。。
ちなみにその彼女とは10年位前に犬を通じて再会。。何年たってもオシャレな女で嬉しかったな。
話はもどって… 時代は LAブーム。
サーファーファッションが大流行の兆しを見せ始めた所で、
高校生なりに頑張っていた。。つもり。
なので最初に目覚めたアクセサリーはシルバー&インデアンジュエリー。
ターコイスばかり身につけていたっけ。 〜ターコイスは今でも好き
まわりの友人達もみんなそうだった。
でも、その超がつくオシャレさんは 私達が必死こいてシルバーアクセサリーを買っていた時に
サファイアのプチリングをつけていたり、カルティエの3ゴールドをさりげなくつけていたり、、
ゴールドのロングチェーンを何本も胸にゆらしていたり、、
一歩先行く感じで眩しかった。
ああ、大人っぽくてカッコイイな〜 宝石ってババ臭いと思ってたけど違うんだ〜
と ある意味カルチャーショックを受けていて
自分では気が付かないうちに 興味がジュエリーに向っていたんだと思う。
そんな多感な高校時代を過ごし、短大生になり、父に連れて行ってもらったニューカレドニア。
そこの免税店のショーウインドーに 小さい南洋真珠とルビーを使ってゴールドの枝に小花を咲かせ
ダイアがこぼれ落ちる朝露のようにデザインされたプチネックレスを見付けて 一目ぼれ。
そんな自然をモチーフにした さりげないジュエリーを見たのは生まれて初めてだった。
心が震えた
自分とは違う世界のものに魅せられて、欲しいとは思ったけれど、高級そうで買えるとは思えなくて
値段を聞く事も出来なくて、ただ見惚れているだけで終わったんだけど
「欲しい」が「ああいうアクセサリーを作れるようになりたい」
に変わるのに時間はかからなかった。
その出合いが「ジュエリーデザイナーになりたい」の種だったと思う。
。
。
。 そして…短大生だった私は その旅行の後
「あと2年学校に行かせて欲しい、4年制大学に行ったと思えばいいでしょ!」
と 突然 強引に親にお願いして
学校卒業したら「嫁入り修行でもさせて見合いでもさせんべ」と思っていた親にとっては
青天のへきれきのワガママを言い、全日制の宝石専門学校に入ったわけです。
初めて自分でやってみたい、勉強したい、と思ったことだったから、一生で一番勉強もしましたよ。
おかげで 〜ウソみたいだけど〜 デザインの成績はバツグンに良かった。
制作は××だったけど…
器用なのにナゼ××?と思うでしょ?
それはね… 言い訳になるけれど…
手指、手首を安定させる握力と腕力がないから ヤスリを平均的に真直ぐかけられなかったからなの。糸鋸も上手に引けなかった。。
この二つは致命的な欠点で、何を作ってもきたない物しか出来上がらなかった。。
光を反射する金属は 安定しない手先の欠点をキラキラとあぶり出してくれて
自分でも情けないほどヘタクソ……
こりゃ〜 ジェリー作家にはなれない、とあきらめもついたけど。
数年前その学校の学校案内を見る機会があり びっくりしたのは、
そこに若かりし日の私の写真がいまだに使われていたこと。。
校長とも仲良しで飲みに連れてってもらったっけな〜
何かね、成績よかったから先生受けも良かったんだよね。
それで…
デザインが(学生の割には)上手かったから
ちょっと …だいぶ…相当… 天狗状態のまま就職してしまって、
本当の社会の厳しさにガツンとやられ、
アマアマ根性無しだったからすぐヘコたれて挫折。。
その会社は人気があって2〜3次試験まであり、何人もの人を押しのけて合格したのに。。
辞めるって決めた時は 就職の保証人になってくれたおじちゃまに コンコンと説教され、
それでも…どうしても辞めたかったので 謝りまくって辞めたっけ。
あの時、もう少し根性すえて頑張っていたら今頃私、どうしてたかな?
デザイン室長くらいにはなれていて、部下もいたのかな?
ちゃんと勤め上げていたらもうすぐ定年。。退職金なんてタンマリあったのかもね。。
なんて時々妄想したりもするけど。
とまあ、若気のいたりでグ〜タラ人生に半分足を入れるわけですが、
企業デザイナーとして挫折したからといってジュエリーをすっぱり捨てられたわけではなくて、
ファインがつかないジュエリー。。要するに アクセサリー作り は好きだった。
材料は安価で 作るの簡単だし。。
そんな手軽さが性にあっていたのか 今までずっと続けてこられたんですよね。
そのおかげでブライダル関係のお仕事も出来て、
ティアラ や ネックレス、イヤリング、グローブ とか シュークリップ とかバッグ とか・・・
女子大好き
花嫁さんの介添えでは毎回感動させてもらい、幸せのお裾分けをいただいていた。
それより何より 泣くほど喜んでもらえるのはもっと嬉しかった。。 とっても 。。
けれど、人様の『一生に一度』は それはそれは重く、
根が真面目なので、天使の羽根ほどの軽さの失敗も許されないことがだんだん辛くなるし。。
極度の緊張からくるストレスで 胆石の発作に悩まされ、甲状腺の病気になっちゃうし。。
世間はバブル崩壊でジミ婚時代に突入し 予算は削られるし。。
であえなく敗退。。
やっぱり アマアマ根性無しは常に健在なのでした。
今の私だったら「アナタ、ツメが甘いからそうなるんですよ」としかってやりたいその時の自分。
そうやって ン十年 ずっと、ずっと、ヘタレの根性無しで生きてきたけれど、
そんな私でもずっと続けれこられたのが
やっぱり アクセサリーを作る事。。だったってわけです。
その2へつづく〜 |
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