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さて、越前・越中・越後にこれだけの出雲や筑紫の神々が祀られている根拠が、前に見てきたようなことからだとすれば、国譲りで敗れた建御名方(タケミナカタ)が、科野の諏訪に逃走した経路も、このルートであったことが推測されます。
しかし、伝承によればタケミナカタは、オオクニヌシが妻問いをした越の国のヌナカワヒメの子供とされています。ここでは、タケミナカタは宗像系海人族に連なる神で、諏訪で陸化した海人族ではないかと考えました。そのあらすじは、次のようなものです。
タケミナカタは、オオクニヌシと一緒に越ルートの航路を開拓した、宗像系海人族の首領「タケムナカタ」でした。したがって、越にも多くの足跡を残し、知り合いも多かったことでしょう。その中に、ヒスイの原産地のヌナ川(姫川)や、小滝川の首長たちもいました。ヌナカワヒメはその内の、呪術的な霊力を持った女首長だったのです。
オオクニヌシが妻問いをしたのも、ここで採れるヒスイを交易対象品としたかったからです。オオクニヌシとヌナカワヒメは擬制婚のような形で、地域間の絆を作ります。タケミナカタは交易のための航海の指揮をとる一方、ヌナカワヒメの養子のような形で絆を深めたのです。
ヌナカワヒメと出雲の関係は、国譲り事件以前に確立していました。ところが、国譲りの事件が起こったのです。タケミナカタは、敗走します。そして、越のヌナカワヒメ一族のところで庇護してもらうことにしました。敗走ルートは、日本海沿岸を航路としていた既存の交易ルートでした。
タケミナカタは、タケミカヅチに諏訪で追いつかれたと『古事記』は書いています。しかし、これはストーリーであってタケミナカタを追いつめるまでには、かなりの年月があったと推測されます。つまり、越の国まで逃げてきたタケミナカタは、いったんヌナカワヒメ一族に庇護されますが、自分の住みかを求めて、信濃川をさかのぼって諏訪にたどり着いたのです。これには、海人族の陸化のノウハウがあったからです。
ところで、「海人族の陸化」とは聞きなれない言葉ですが、世界各地で認められている現象なのです。特に、南方系海人族には良く見られます。ミャンマー、タイ、ベトナムなどの山岳民族が、ルーツは海人族だったということが良く指摘されています。海を相手に暮らしていた一族が、どうして簡単に陸化できるのか疑問に思われます。しかし、そこには意外な事実があるのです。
まず、彼らは中国江南系の海人族でした。先にも紹介しましたが、彼らは発酵保存食の作り方を知っていました。発酵保存食は、味噌、醤油、漬物、そして魚を漬けて保存することなどです。味噌や醤油は、豆類を原材料とします。したがって、山中でも原料が取れるのです。さらに、根菜類の加工も上手に行うことができました。そして、根菜類の栽培には海岸の山で行う焼畑農業のノウハウがありました。その上、信濃川やその上流は、サケやマスが遡上し、アユやヤマメの漁労もできたのです。
こうなると、海人族といえども、海に頼らずに生活できるのです。これが、「海人族の陸化」といったものです。タケミナカタは、一人で敗走したのではなく、一族と敗走したのでしょう。そして、タケミカヅチの追っ手を逃れ、諏訪にたどり着きそこで海人族の持つ食糧・食品生産や、その方法を伝え、諏訪の人たちと暮らし始めたのです。
古代出雲の神タケミナカタが諏訪の開拓者と崇められ、信濃国一の宮「諏訪大社」に祀られたのは、こうしたいきさつからではないかと考えるのです。そして、タケミナカタは海蛇をトーテムとした宗像系海人族ですから、諏訪大社も竜神・蛇神・水神を崇めることになったのではないでしょうか。次回にしたいと思います。
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信濃川は大きな川ですので、船でさかのぼることも容易だったのでしょうね。下諏訪が上諏訪の北にあるのも、タケミナカタが北部から入ってきたためでしょうか。
2007/8/12(日) 午後 3:49 [ mar*co1*71 ]