私家版・日豪の比較文化人類学 〜群れから抜け出した羊が見たもの〜

こむずかしいタイトルですが、オーストラリアに移住して気付いた文化の違いを書いています。

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フォーレを歌う

 私がメンバーとして参加している合唱団、
サンシャイン・コースト・コーラル・ソサィエティは2月から新しいシーズンが始まり、
毎週水曜日の夜の練習では今、フォーレを歌っています。

 フォーレの合唱曲といえば作品は多くはありませんが、
「レクイエム(Requiem Op.48)」は欠かせません。大人気の死者のためのミサ曲ですね。
それに劣らぬ名曲で愛されている「ラシーヌの雅歌(Cantique de Jean Racine Op.11)」と
「パヴァーヌ(Pavane Op.50)」。これだけを練習しています。

 演奏会は4月29日(2012年)に予定されていますが、
残念なことに、私は4月上旬から日本に一時帰国し、その足でニューヨークの
娘の所に遊びに行き、サンシャイン・コーストに帰って来るのは7月上旬という
予定を組んでいるので、その演奏会には参加できないのです。

 聞いてくれる人があって初めて演奏の意味があると言えば、その通りですが
練習でも、音楽を作り上げて行く過程の楽しさは十分に楽しんでいます。
練習はこれまで4回ありましたが、驚くことにすでに全曲を通して4つのパートが
合わせて歌ってしまいました。

 私たちの合唱団は特に難しい曲でなければパートの練習はなく、
初めて楽譜を手にした曲でも、いきなり合わせて歌ってしまうのです。
実力のある合唱団でなければできることではありませんが、
それだけに、純粋に音楽を築き上げて行く厳しさと楽しさが練習で味わえるのです。

 さて、そのフォーレの音楽。
なぜ、私たち日本人の感覚にもピタリとあって、共感できるのでしょうか。
学術的な分析は専門家にお任せするとして、
半音階を多用した無調的な曲の構成は誰でもとっつきにくいものですが、
なぜか私たち日本人には波長が合うというか、
柔らかで色彩的な響きに参ってしまうのです。

 バッハ以後のきっちりした平均律のドレミとラシドの旋法から解き放たれて
調性と形式と共に自由な音の流れの中で、グレゴリオ聖歌的でノスタルジックな旋律が
歌う者・聞く者に安堵、安心を感じさせる・・・・・・のだろうと思います。
調性にしたって、元々日本には西洋的な和声の概念すらなかった訳ですから
それに対する受容度は広いのかも知れません。

 さて、フォーレのこれらの曲のうち、レクイエムは40年ほど昔、日本の合唱界の重鎮、
水谷昌平先生の指揮で歌ったことがありますが、
その時テナーを歌ったのかベースだったのか忘れてしまいました。
今回楽譜を手にして、いきなりテナーを歌い出しましたが、自分でも不思議なくらい
よどみなく歌えたのです。

 レクイエムはラテン語の典礼文で発音に問題はないのですが、ラシーヌの雅歌と
パヴァ―ヌにはフランス語の歌詞がついています。
学生時代の第2外国語だったのですが、いい加減に勉強したのでこれが大変。
語尾の子音を発音しなかったり、その子音が次の母音とくっつくと発音されたりする
ところまでは何とか分かるのですが、
各々の単語の発音は英語の感覚ではまったくダメです。
幸い隣で歌っているジャンがきれいに発音しているので、教えてもらったり
聞きながら歌って、何とかごまかしていますが冷や汗ものです。

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リリングのバッハ:教会カンタータ全集

全体に強い個性を発散する演奏ではないが、その分、ムラのない高水準の仕上がり。

2012/2/24(金) 午後 0:14 [ クラシック音楽ぶった斬り ]

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