節電は誰のため?
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「心頭を滅却すれば火もまた涼し」などと悲愴な心構えでなくとも 節電や暑さをしのぐ方法について喧しい昨今です。 でも、政治家や官僚が揃いもそろってネクタイなしで「クールビズ」をやっている光景は まったく異様。滑稽で笑って良いのかどうか首を傾げてしまいます。 原発事故を起こした無責任な東電と国民の安全と快適な生活より 電力会社に擦り寄る政府・官僚の姿勢のために どうして国民がせっせと節電に協力しなければならないのか、理解に苦しむところですが、 とりあえずは、エネルギーを使い過ぎていた「飽電・放電生活」を見直すという意味で この夏の電力使用を出来る範囲で抑えるのは意味があることでしょう。 確かに、デパートなど大きなビルは寒いくらい冷房を効かせ、 家庭では部屋のどこでも新聞が読めるほど煌煌と明かりを灯し、 夜の街も街路灯とネオンサインで昼間のようです。 電力逼迫の非常時でなくとも、こうした状況はどこか間違っていると思います。 家庭にエアコンなどなかった頃、私たちは様々な工夫を凝らして いくらかでも涼しさを作り出しました。 朝顔を窓辺に育てて緑のカーテンとし、夕方には玄関先や庭に打ち水をし、 風呂上りに縁台に出て団扇であおぐ時の心地良さを知っていました。 障子を外して簾をかけるのも年中行事。 床の間の掛け軸まで涼しげな絵柄に換えて気分からも涼を求めたものです。 ちぢみのシャツやステテコは夏の下着のスタンダードでしたね。 こうした生活は季節ごとのリズムにさえなって、それが当然のことでした。 こうした生活は現代の電力大量消費の生活に比べて、手間がかかり 面倒で、効率は悪く、効果は限られています。 だからと言って、快適性、満足感や幸福感まで格段に劣るとは言えません。 冷房を効かせてセーターを着ているのと比べればどれほど理にかなった暮らし方か、 またエコロジカルな社会だったか容易に理解できるでしょう。 とりあえず節電に協力するのは良いのですが、 注意深く見極めなくてはならないことは、政府と電力会社が何を考え、 企んでいるかです。 「電力が不足するので節電や計画停電をお願いします」というのも 裏には「こんな不都合や経済的な損失が出るのだから原発は必要でしょう」と 持って行きたいハラが見えるではありませんか。 総量的に困難かもしれませんが、逆に節電を軌道に乗せてしまって 原発はもう不必要という状況まで持って行くと嬉しいのですが、どうでしょう。 いったい福島第一原発の事故で、原発を推進し監督してきた立場の誰が どのような責任を取ったというのでしょうか。 たとえ野田首相以下政府と電力会社はこれから起こるかも知れない 重大な事故について、どのような責任を取るのか明確にしたとしても 埋め合わせの出来る責任など取りようがある訳でもなく、 その意味でも再稼働や原子力発電そのものも容認する訳にはいかないのです。 私たちは「ノー・モア・フクシマ、ノー・モア・ゲンパツ」と声高に叫ぼうではありませんか。 |



