リサ・バティアシュヴィリ

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リサ・バティアシュヴィリ チャイコフスキー&シベリウス ヴァイオリン協奏曲集


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私にとって、この秋から冬にかけての大きな喜びは、まさしく、
リサ・バティアシュヴィリの新譜、チャイコフスキーとシベリウスの協奏曲集を聴くことでした。
毎日のように、聴き惚れていました。聴くたびに、何とも言えない幸福感にうっとりしてしまいます。

リサさんのヴァイオリンは、その深い音楽的理解にしても、ボウイングやフィンガリングの
自在なテクニックにしても、あまりにも事も無げに表現されていくので、ともすると、
その凄さが「自然」であるように聴こえてきます。しかしその桁違いのクオリティは、
私の場合、聴くたびに驚嘆の度を増していくのです。

再録音のシベリウス、初録音のチャイコフスキー、
いずれも、私にとってすでに掛け替えのないものになりました。

今回のパートナーは、ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・シュターツカペレ。
リサさんの音楽性とバレンボイムのそれがマッチするとはあまり思えず、
少し心配しておりましたが、ティーレマンとのブラームスのときと同様、
想像以上によく噛み合っていました。
チャイコもシベリウスも、ソリストのテンポ感、フレージングに丁寧に寄り添ってます。
SKBのサウンドは分厚く、重量感は満点。また歌劇場オケだけあって、響きはゴージャス。
究極の「合わせもの」を日々演奏している集団だけに、テンポにせよ、音程にせよ、
ハーモニーにせよ、互いによく聴き合って、集まるべきところにきちんと集まる。
そのアンサンブル能力は見事と言うほかありません。そしてオケだけになると、
盛り癖があるのは、いかにもバレンボイムらしい(笑)。

彼女のレコーディングは、今後も「巨匠」との共演になるのでしょう。レーベルの意向で。
当然、巨匠にも自身の経験、音楽観、作品理解、そして個人的な趣味があります。
自我の塊のような芸術家同士の、抜き差しならぬ「対決」が展開されるに違いない。
時には決死の綱引きがあり、時には信じがたいほどの一体感が生まれます。
彼らが繰り広げる激しい摩擦、燃焼と科学反応もまた、演奏芸術の醍醐味ですね。

シベリウスについて。
サカリ・オラモ指揮フィンランド放響との初録音から10年足らず。
あれも素晴らしい演奏だっただけに、今回、再録と知って驚きました。
でも、ここ数年の彼女のシベリウスを聴いていると、確かに進境著しいものがあり、
彼女としてもきっと、ある種の確信を得て、再録音を望んだのではないかと思います。
音楽的な構えの拡大と共に、彫りは一層深まり、ひたすら本質へ切り込むさまは圧巻です。
大きな音楽でありつつ、細部の彫琢は精密。聴き終わると、「アーメン」と唱和したい気分。
「げに、かくあるべし」と。同曲の録音史上、最高峰だと思います。
オラモ盤の引き締まった響きとキレの良さ、そしてバレンボイム盤での濃密な響きとスケール、
両方とも魅力に満ちたシベリウスです。比べて愉しむのもよいですね。
ついでに言えば、前回はストラド、今回はグァルネリ・デル・ジェスと、演奏楽器が異なります。
はっきり個性の違いが現れています。高音部のダイヤモンドのような輝きは前者の、
低音部の厚み、太さ、まろやかさ、人の声のような安心感は後者の最大の強みですね。

さあ、チャイコフスキー。
徹頭徹尾、歌い抜く。その一途さに、胸を打たれます。と同時に、
演奏はとてもナラティブな運びを見せています。物語の朗読のよう。歌と語り。その合一。

ですから、一音一音、一弓一弓、多彩な色合いとニュアンスを宿しながら、
どこもかしこも見事なフレージングで歌い上げていくと同時に、その音色の変化や
イントネーションは、より大きなコンテクストの中にすっぽりと収められています。
曲全体の大きなヴィジョンが見失われることは絶対にありませんが、
それは、建築的なコンポジションというより、文学的なコンテクストによる造形です。

どの楽章も、テンポの設定、設計が絶妙ですが、その組み立ては、
歌と語りが情感豊かに流れていくための〈呼吸〉と結びついているようです。
例えば1楽章、ソロ・ヴァイオリンのカデンツ風の導入から第1主題の提示へ。
作曲家が付した幾重ものスラーの意味を丁寧に汲み取り、小さな起伏で息を整えつつ、
導入句全体を完全にひとつの流れに収めていきます。続く第1主題の提示も同じ。
切々と歌いながら和声的な緊張と緩和を繰り返し、それらを大きなラインとして
連綿と紡ぎだしていきます。こうした歌と語りによる練り上げを繰り返しながら、
一息一息の呼吸の深さ、長さ、強さ、しなやかさが、どんどん拡大してゆく。
自在な緩急/強弱によって、〈時間〉のナラティヴな流れは伸縮を繰り返し、
ひとつひとつの言葉は意味=方向づけられ、やがて長大な物語に編み上がる。

その証は、展開部、カデンツ、再現部へと音楽的な深度を増していく点にあります。
難儀な提示部を経た後の展開部は、往年の巨匠も今日一線で活躍する演奏家も、
突然機械的になってしまったり、単なる技巧的処理の連続となってしまいがちです。
しかしリサさんの演奏は、展開部以降も、その歌と語りが一段と真に迫っていきます。
こういう演奏は簡単なようで、決して容易ではありません。まさに類稀なものです。

続く2楽章。これを聴いて、何か言い添えることなど、私には思い浮かびません。
歌と語りの醍醐味は、ここに極まります。
3楽章は一転、歌と踊りですね。リズム感、テンポの運び、もう抜群です!
アウアーのカット版を演奏していますが、この選択も含めて、私には文句なし。

リサ・バティアシュヴィリのチャイコフスキーは、大小無限の美しい弧を描く。
歌と語りの呼吸は、ささやかな休息に刹那、胸を緩めても、そこに留まることなく、
大きな物語を紡ぎ出すべく、終曲の彼方に向かっていく。
ロシアの平原を、どこまでも吹き抜けていく風のように、音楽は小節線を越えていく。

いのちを与えるのは、息だ。

1楽章の再現部の中に、この作品の白眉がある。
ほんの3小節、時間にしてわずか15秒ほど。プネウマがそっと撫でる野の花は、
明日には萎れ、枯れてしまうかもしれない。でも今日、それを美しく装ったのは、
ロシアの大地である。
こんなに愛おしく、慈しみ深く、小さな音符たちを祝福する演奏を私は知らない。
このCDは、そこを聴くだけでも、至福の喜びがある。私はそう確信してます。

みそ




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