みそは、クレーが大好きなのですが、特にこのヘンテコな天使の絵に心惹かれてしまうのです。
クレーの「新しい天使」は、この絵の持ち主だった、ヴァルター・ベンヤミンによって、
「歴史の天使」という別の名を与えられました。「歴史の天使」?
もしそんな天使がいるのだとしたら、その「新しい天使」/「歴史の天使」は今、
日本をどんなふうに見つめているのでしょう? そんなことを考えてみたのです。
東日本大震災以来、うちのパパは、せっせとベンヤミンの著作や関連書を読んでいます。
いろんなことを考えさせられました。
ユダヤ系ドイツ人思想家。代表作『パサージュ論』をはじめ、実に広範にわたる思索と執筆は、
いささかも古びれることなく、21世紀に生きる私たちに、多くのことを語りかけてきます。
ベンヤミンの事実上の絶筆となった『歴史の概念について』の第9テーゼに出てくる「歴史の天使」。
「歴史の天使」は翼を広げ、目を見開いて飛んでいるのですが、その顔が向けられているのは、
過去に対してであるというのです。「歴史の天使」にとって、「歴史」は「進歩」の歴史ではなく、
破壊の連鎖だというのです。いつの時代でも人々は、幸せを思い描き、よりよい世界を期待して
未来に希望を託して生きてきたのですが、「歴史」が先に進むことによって、だんだん素晴らしい
ものが実現しつつあるわけではない。廃墟のうえに廃墟が積み重ねられていくのが「歴史」の
真実なありさまなのだというのです。
「歴史の天使」は、懸命に廃墟に留まり、破壊されたものをもう一度組み立てなおし、失われ、
忘れられた死者たちを「救済」したいと願っているのですが、歴史の廃墟の中に降り立つことが
できません。「楽園」から吹き付ける「進歩」の強風に逆らうことができず、否応なく、「未来」へ
押し流されてしまうからだ、というのです。
ああ、ベンヤミン! 「歴史の天使」というモティーフで、あなたは何を伝えたかったのでしょう。
人知れず傷つき、損なわれ、失われていった過去のあらゆる死者が、事物が、瞬間が、
メシア的な「今の時」(それは究極的には「最後の審判」の時なのですか?)に、
すべて贖われることを、あなたは願っていたのでしょう?
神でも天使でもなく、同じように廃墟の中に朽ちていく人間のひとりでありながら、
ベンヤミン!あなたは「歴史の天使」のようでありたいと望んだのでしょう?
いま日本は、東北の被災地にうず高く積み上げられた瓦礫を前に、立ちすくんています。
震災直後のころは、無神経に「ガレキ」と呼ぶことさえ憚られたほどに、
私たちは、失われた家屋や学校、仕事場に想いを寄せました。しかし今は、まさに
打ち捨てられた厄介もの、廃物として忌避されています。
でも、それらは、被災地だけの瓦礫なのではなく、私たちの瓦礫なのでしょう。
私たちも「歴史の天使」と同じく、瓦礫を組み立てなおして贖うことはできませんが、
私たちみんなの手で弔い、心をこめて片づけていかなくてはいけないのでしょう。
「歴史の天使」はそれを最後まで見守ってくれるに違いない。そう思います。
みそ&パパ