新ハイキング よもやま情報

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 石森長博さんには、福井県のバンビラインをご寄稿いただきました。

石森さんから寄せられた自己紹介です。
鶴来山岳会(石川県)の会員として50数年間、山歩きを続けています。
1970年の岩手国体の山岳競技に選手として参加。その後山岳協会理事として京都や北海道での国体山岳競技審判員を経て、1991年地元開催の石川国体では競技運営責任者を務めましたが、自然の山を会場とする競技に違和感を覚え次第に競技と離別し、山の文化を探求する道に入って行きました。
日本山岳修験学会に入会して学術的な講演や論文に接し、修験道の歴史や痕跡をたどる山歩きが続きました。山岳修験の開祖と崇められる役行者ゆかりの山や、開創した寺社の探訪をフイールドワークとして全国各地を巡り、昨年の山歩きは60回を数えました。
新ハイキング誌との出合いは東京勤務の際、土地勘のない関東の山歩きガイドとして購読し、93年9月に入会しております。
「せせらぎ」欄に投稿したことがきっかけで、編集部からの依頼があり、2007年5月号(№619)に「霊峰白山の魅力」の寄稿を最初に、本年3月の№737号まで通算57誌、お世話になっています。
写真は15年7月、飛騨新道(伴次郎街道)の大滝山南峰(2614.5m)でのものです。

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鶴野さんには、「明神ヶ岳」をご寄稿いただきました。鶴野さんからのメッセージを紹介します。

 私と『新ハイキング』誌との関わりは、35年前にさかのぼります。第316号(昭和57年2月号)に投稿した「随想」が掲載されたのが、始まりです。
 それ以来、紀行やガイドも掲載されるようになりました。今日でも、年に4〜5本、紀行文を投稿しています。
 私には、好みの山域は特にありません。50余年山登りを続けてきて、
70歳を超えました。山登りができるのもあと4〜5年ではないかと実感しています。
 したがって、国内のまだ登っていない山々に、標高の高低や、有名か無名かを問わずに、一つでも二つでも多く登りたいと強く願っています。

 最近は、茨城県の八溝山、男体山、竪破山、高鈴山、吾国山などの山々に

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登っています。
 また、北は北海道の利尻山から、南は屋久島の宮之浦岳まで登りましたが、東京都内に住む私にとって、関西地方の山々は空白地帯です。そのため、一昨年からは、努めて三重、滋賀、奈良、兵庫県の山々にも登るようにしています。
 今年登りたいのは、藤原岳、大峰の山上ヶ岳、武奈ヶ岳、氷ノ山などです。時間だけはたっぷりありますが、東京からは遠く、交通費がかさむのが悩みです。
 私にとって山登りは、しょせん「遊び」にすぎません。従って、遭難事故を起こしたり怪我をして、他人や家族に迷惑をかけることをしてはならない、と常に自戒して計画を立て行動をしています。
             (写真は1611月俱留尊山山頂でのものです)




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 上村幸司さんには、美ヶ原でのスノーシュー紀行をご寄稿いただきました。
 上村さんのコメントをご紹介します。

 1997年に「新ハイ」に入会し、同じ都庁の職員という関係もありHリーダーの山行を中心に本部山行に参加してきました。
 私と新ハイとの関係は意外と古く、自宅にある『新ハイ』誌の一番古いバックナンバーは昭和43(1968)年5月号です。渋谷の大盛堂で買い求めていました。
40代になり職場に山の会を結成して本格的な雪山を除いて月1回ほどの山行を行ってきました。しかし40代後半になって『新ハイ』誌に書かれている本部山行にひかれていきました。
 「新ハイ」に入り、多様で多彩な人が多いことに驚かされると同時に、そういう人たちと知りあえたことは私にとっての財産だと思っています。
 最近は親しくなった新ハイの仲間と、夏は北・南アルプス、冬は八ヶ岳を歩いています。
 写真は、1603月八ヶ岳・硫黄岳山頂です。
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祖父川さんには、「藤沢七福神」をご寄稿いただきました。
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祖父川さんからお寄せいただいたコメントをご紹介します。
どうして新ハイへ入会したか、今となっては全く記憶にありません。初代社長の沢田さんとは親しくしてました。横浜支部に所属して40年以上は経過してます。
好きな山は、南会津の山や阿武隈の山(約50回)。甲斐駒ヶ岳:沢登りや表登山口の黒戸尾根より10回。丹沢 約400回。富士山も、60歳代末までは須走口から日帰り登山を楽しんでました。
外国の山も15回は出かけています。エベレストやK2を遠望しています。故田部井淳子さんとは、ネパールヒマラヤで、野口健さんとはチベットでお会いしています。
 故望月達夫さんや故川崎精雄さんとは、日本山岳会、南会津山の会のご縁で数多くご一緒してます。今は、いつの間にか自分が最長老になってしまいました。
 現在、ハイキングや史跡めぐり、民俗芸能に親しむとともに、新ハイ他、『山と高原』、『岳人』など、山岳誌や、ガイドブックなどへ寄稿してました。
 元神奈川県自然公園指導員(丹沢担当 10期20年 任期定年まで)
 現神奈川県民俗芸能保存協会/現相模川流域協議会等に所属しています。

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 森田俊男さんには、天覧山―高麗丘陵をご寄稿いただきました。森田さんからのメッセージをご紹介します。
 5歳頃より祖父に連れられて、陣馬山や奥多摩、奥武蔵の山登りを始めました。地図を頼りに歩く山ではなくて獣道か藪山でしたので、どこを歩いたのか思い出せません。その影響でしょうか、山仲間からは一緒に歩くと必ず藪があると、いつも言われています。
 山に行くのではなく山に帰るという姿勢、ただ山にいるだけで満足、そういう山を求め登って登っています。山を歩くだけで満足のコースを、新ハイキング誌上に紹介したいと思っています。
 ホームグランド奥武蔵の代表的コースは歩き尽くしましたので、穴場コースを探しています。「山登りは奥多摩に始まり、奥多摩に終わる」という祖父の言葉もあり、奥武蔵の山だけでなく奥多摩の山にも目を向け、興味あるコースの発掘に心掛けたいと思っています。
 昭和30年頃に祖父から「ハイキング・ペンクラブ」という山の会があると教えられました。祖父がどんな山の会に関係していたのか分かりませんが、祖父は大正〜昭和にかけて、北アルプス全山を走破していますので何か因縁があったのかも知れません。頭の中に祖父の「ハイキング・ペンクラブ」があったのでしょうか、迷わず自然に、新ハイキングクラブに入ってしまいました。そして会員歴も50年以上になってしまいました。
 入会当初に初代「澤田社長」から電話やお手紙で色々とご教示頂いたことや、二代「小林社長」から原稿を書くように言われ、書き始めたこと、市川元編集長から「安・近・短のコース」を紹介してほしいと言われたことなどで、山登りの目的が定まり、山への情熱がさらに高まったものと思っています。
 高齢になってしまいましたので、無理を強いるような山は体力的に難しくなりました。これからも新しいコースを発掘して、紹介出来ればと思っています。
 写真は16年2月檜原城址・檜原城山でのものです。
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