2月
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2月に入りましたね。
昨年の2月は、雪が降る中、家族で九州まで旅行しました。
別府に行き、そこからフェリーで四国にわたり、、、、そしたら、突然街並みがかわり、立派な建物が出てきて、
その近くに原子力発電所がある看板を見つけました。
あれから1年ですね。
原発マネーってすごいんだなって思ったんですよ。
それから一ヶ月後に、、、、こんな状況ですもんね。
車が流されて、この写真を撮影した左側には、車が重なってました。
津波の怖さを知りました。夢中で写真を撮り、警戒区域になって入れなくなる場所の現状を伝えようと思いました。あまりの惨状に、言葉を失った1日でした。
どうなってるんだろう?
って思いましたけど、想像を超えると人間って何も考えられなくなります。
そこからの数日は、寝ることもできないまま資料作成をしました。
IFAWの会議では、資料として使われて
迅速な活動を求める提言をしてくださいましたけど、未だ実現しないままです。
それ以降も様々な訴えをしてきましたけど、大きな力で動かすことはできませんでした。
その反省を含めて、アメリカでは伝えてきます。
様々な愛護団体が活動した事実や、多くの人が苦しんだ状況。
なにより、上の写真のような場所が無数にあったにもかかわらず
自衛隊が活躍してくださり、迅速な道路状況の改善が達成された事実。
自衛隊って、
人を殺した数よりも、
多くの自国民を救った数が多い、世界でも珍しい集団でしょ?
海外の日本人の人々には
日本は、誇りに思える祖国と思ってくださいと言いたいです。
必ず立ち直れると信じています。
民間の力ってすごいんです!って伝えてきます。
日本人ってすごいんですよ!って伝えてきます。
牛を買取り、イベントした話とか、、、、
現地の農協の方々と様々な農家の方に対して手を差しのべることを実現したり、、、
そういう「つながり」が広がり、徐々に改善もしている一方で、
近いうちに広大な牧場が福島で閉鎖される方向で検討されていたり、
いいことや悪いことがまだまだ混在しながら一喜一憂している状態であること。
いっぱい伝えることがあります。
真実のみ、見てきたことだけを伝えてきます。
警戒区域では、大学主導の放射線研究が始まっています。
5月に現地に、招いた後輩の獣医師。3月から現地に出向き、週末ごとに訪れて
現地のために活動していた彼のおかげで、今の現状があると言っても過言ではないです。
農家の声を聞き、さらに殺処分の現場も見てきた彼。
いろんな葛藤があったんでしょうね。
これからもいろんな葛藤がありそうです。
研究チームには多くの恩師も参加しています。
無意味に動物を殺す獣医師は、その中に知りうる限りはいません。
安心してお任せしています。
ただ、安楽死の後の解剖は、行われるのでしょうね。
殺す動物実験ではなくて、、、、動物福祉にのっとったものであり、、、、そのデータが有意義なものとなり、
残った牛たちが、長期の経過観察を実施し、生涯飼育される。。。
それでも、どうも吹っ切れないわけです。
ここでも「命の境界線」が、引かれるわけです。
命というものが、どういった理由であっても線引きされるのって、おかしいのではないか?と思うのです。
結局、人間の手でコントロール出来ない力の暴走ゆえのこと。
自然災害もそうですし、原子力もそうです。
本当に、文明の歩みを止めてでも、考え直す必要ってあると思います。
今回のような場合には、どうするのが一番良かったのか?
その場面場面で最善を求めて活動してきました。
通常時から見たら、その場面でも最善というものが、とんでもない状況の中で最善を探したこともありました。
逃げ場のない現地の方々はそうするしかなかたのです。
本当に、安全な場所から被災地の発言をするのは今でも気が引けます。
だからこそ、現地に向かったのです。
辛い現状の中で、できることを探したのです。
時には邪魔になったかもしれません。
現場を知らない空気を読まない発言をしたかもしれません。
いや、色々とやらかしてきたことでしょう。
メディアでうったえるのも、全てが有効であったわけではありません。
多くの方に知ってもらえましたけど、それゆえの弊害もありました。
冷静に分析してみると、いろんなことがありました。
それを語ってきます。
どう判断されるかは、聞いた方にお任せします。
そういえば、ロスの告知が現地の日系の新聞に載ったそうです。
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