十二社 今昔物語

新宿区にあった十二社(じゅうにそう)にまつわる思い出を語るサイトです

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十二社池

弁天池ともいわれ、かつては隣接する十二社大滝とともに江戸の景勝地でした。
昭和43年(1968年)新宿副都心計画に伴い十二社池が埋め立てられ消滅しました。
現在の住友不動産西新宿ビル3号館(旧三省堂ビル)とパシフィックマークス新宿パークサイドが建っている場所が、池のあった場所になります。
「そば処福助」のある通りが最も低くなっているので、池の底にような感じがしますが、実際に池があったのは福助の裏側になります。(池の位置)
 
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十二社の池 (大東京淀橋区)
 
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十二社池畔之春雪
 
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東京名勝 十二社
 
十二社は、その昔、花街で芸者置屋、待合、料亭の営業が許可された区域でしたが、昭和30年代末には無くなってしまいましたが、池の周り(十二社通りの反対側)には黒塀がまだ残っていて、住宅地とは違った雰囲気のする場所でした。  「お富さん」の歌が流行して、子供達は歌の意味もわからずに歌っていました。
   粋な黒塀  見越しの松に
     仇な姿の  洗い髪 
       死んだ筈だよ  お富さん
       ・ ・ ・
 
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                               (淀橋十二社回想   山高登)
 
 小説家の宮嶋資夫は、幼い頃に行った十二社の池と滝について「大東京繁盛記」(講談社)にこう記している。
 
私は車夫の背中に負われて十二社の滝へ行った。寂しい町を長く歩いた。やがて広々とした竹矢来をめぐらした所に出た。(中略)
いつまで行っても同じような矢来と草だ。私は遂に泣き出した。
「もうじきだよ坊ちゃん、もうじき滝だよ」
車夫が背中をゆすってくれた。そうしてやっと滝についた。滝の口や、蝦ぼ(ガマ)の口から出る滝壺は暗かったが池には大きな鯉がいた。茶店が2、3軒並んでいるだけで、池のまわりは薄暗い森だった。十二社も寂しかった。
 
資夫が十二社を訪れたのは明治20年代前半のことで、その頃はまだまだ新宿も森閑とした片田舎だったのである。
しかし大正時代を迎えると、好景気と近隣の住宅地化によって十二社は絶好の行楽地となり、池畔には大きな料亭が建ち並ぶなど、花街としても知られるようになった。
最盛期には料亭約60軒、茶屋40軒余り、芸妓300人ほどを擁し、池にはボート、屋形船が浮かび、釣りなどを楽しむ人々の姿も見られたという。
その当時のことを田山花袋は「東京の近郊」(甲陽堂)の中に、
 
夜は、松の間に月の影がさしたり、涼しい風が池の上をわたったりして、感じが好いけれど、惜しいことには蚊が多い。しかし秋になると、この近所は一帯に西郊の特色を発揮して、天高く気澄むと言ったやうなひろびろとした感じを味ふことが出来る。
 
と、十二社の風情を綴っている。自然豊かで、しかも池があったればこその情景であって、新宿西口がかつてはこれほど風流な場所だったとは、今ではとても想像もつかない。』
福田国士「歴史探訪 地図から消えた東京の町」(祥伝社黄金文庫)より
 
 
 
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                                                        (この写真は熊野神社境内にあります)
 
 
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十二社大池  角筈熊野十二社権現・「絵本江戸土産」広重より
 
 
 

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