維新電信 〜民族派活動日記〜

ひむがしの大樹のもとの神がたり四方の草木もことやめて聴け 平田篤胤

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日本のお正月

別の日記で、3日間に分けて書いたものをここに転載します。
維新電信は現代仮名遣いですが、別の日記は正仮名遣いのため、そのまま正仮名遣いでの転載になります。


「高千穂」の看板
 新宿駅の南側のサザンテラスに広島の特産品を売ってゐる「広島ゆめてらす」といふ店があるのだが、その隣は宮崎県の特産品を売ってゐる店「新宿みやざき館KONNE」がある。
 紀伊国屋で本を探して、家に帰る前に「ゆめてらす」にでも寄っていこうと思ひ、イルミネーションを眺めながら歩いてゐた。すると突然「高千穂」と白地で書かれた看板が目に飛び込んできた。何の看板だらうと思ひ、近づいてみると「歴史と伝統」と書かれてゐる。どうやら観光の看板のやうだ。この看板が立ってゐたのが、「ゆめてらす」の隣の「新宿みやざき館KONNE」だ。近代的イルミネーションが輝く中で、「高千穂」と書かれた看板があったことに驚いた。この看板には意義があるだらう。
 この店には当然、宮崎県の東国原知事のポスターも貼ってあった。東国原知事は今注目の政治家の一人であらうが、私にとってもやはり注目の政治家である。「徴兵制」を言ったり、それを非難されると、「徴農制」と言ひ換えたのは記憶に新しい。私は言ひ換えた「徴農制」の方が「徴兵制」よりも良いと思ふ。より日本的発想だ。私は軍隊といふのは最も近代的なものと思ふ。「近代」の最たるものは核兵器と生物化学兵器だ。
 そして、この知事はさんまの番組だったと思ふが、「天孫降臨」と書かれた焼酎をお土産として持ってゐた。そして、宮崎を「天孫降臨」の地であると言ってゐた。天皇陛下の祖先であることも言ってゐた。
 この東国原知事の徴農制といふ「農業重視」と「天孫降臨」には思想的一貫性を見ることができる。(つづく)


豊葦原瑞穂国
 「農業重視」と「天孫降臨」の関係は古事記や日本書紀の天孫降臨の段やその付近を読めばわかる。
 古事記では邇邇芸命の段の「1天孫の誕生」で「この豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ」とある。そして、日本書紀では、三大神勅の一つ天壌無窮の神勅で「葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」とある。
 古事記と日本書紀では表現に違ひがあるが意味としては、稲が瑞々しく実る国は 天孫、即ち 天皇が治めるといふことにならう。
 また、斎庭の穂の神勅には「吾が高天原の所御す斎庭の稲穂を以て、亦吾が兒に御せまつる」とある。
 これは、「高天原の神々が、皇孫に稲の穂をことよさされ、これを植ゑて天上でしてゐたままを、地上のくらしとするなら、天上の風儀のままの至上の国ができると約束された」(原文正字体・正仮名遣い『二十年私志』保田與重郎著)ことだ。
 天孫降臨の言依さしは農業を重視、もっと正確に言ふなら米作りとならう。
 だから、私は「徴兵制」よりも「徴農制」の方が良いと思った。
 東京・代々木といふ地で今からすぐに水田を持つのは不可能だ。だから私は今年の秋頃だったと思ふが、来年は、バケツで稲を育てることに挑戦することにした。これはJAでは「バケツ稲」といって、すでに学校教育でも取り組んでゐる学校もあるやうだ。
 この米作りを毎年毎年繰り返す循環生活が日本の伝統的生活であり、その伝統は様々なところで見られるが、「お正月」もその一つだ。(つづく)


日本のお正月
 我が国では米作りを基盤とする共同生活をしてきた。そのために、「年」についても実は米が基盤となってゐる。一年とは、米が収穫できる一回の周期のことを指す。米作りの周期を「年」として数へたのである。春に田植ゑを行ひ、春から秋にかけて育てて、秋に収穫をする。そして冬を越す。これが米作りの一回の周期であり「一年」といふことになる。そしてこれは「年」だけでなく「齢」にも当てはまる。神社に行って厄年は何歳だと見てみると「数へ年」で書かれてゐる。この「数へ年」といふのは生まれた時が「1」で、お正月に一つ増える。
 なぜ生まれた時が「1歳」なのか。それは米作りの共同生活を何回送ったかを数へるからだ。生まれた時から「1回目」の共同生活を送ることになる。そして先ほどの「年」の概念から考えれば、その共同生活の区切りはやはり、年末と年始になろう。つまり、年末に米作りの共同生活が終わり、正月から再び米作りの共同生活が始まるのだ。だから、正月に皆一斉に1歳年をとることになる。今、多くの日本人は「齢」を満年齢で考へるやうになったが、この考へ方は「個人主義」的発想なのだ。こういふところにまで西洋近代の思想が日本人を覆ってゐる。
 米ができる田は、春に田植ゑが行はれて、秋になると収穫が行はれ、冬を越す。このやうに一年が経ち春になると再び田植ゑが行はれて、田は「甦る」。この甦りの始まりが正月だ。この米作り、または米を食べて生きていく生活は、人生において永遠に繰り返される。だから、米作りの言依さしの神勅を「天壌無窮(天地とともに永遠に続くの意)の神勅」と云ふ。また、「悠久の日本」と云ふのもそのためだらう。童話『一月一日』にも「年のはじめのためしとて 終なき世のめでたさを」と「終わりなき世」と歌ってゐる。
 米作りのはじめに当たる新年は永遠の甦りとしてめでたいものとして祝ふ。だから、新年の挨拶は「あけましておめでとうございます」なのだ。お正月は米作りを基盤とする伝統的共同生活を今尚日本人が続けてゐることを意味する伝統文化である。(了)

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「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の日本橋と「日本の橋」

 11月10日、雨のために「まほろば」は中止。「まほろば」では映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」について話そうと思っていたので、別の日記に記した感想をここにも記載する。
 このブログでは、現代仮名遣いで書いているが、別の日記は正仮名遣いを使っているので、そのまま正仮名遣いでの転載。


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」が話題を呼んでゐる。これは、定年退職を迎えつつある世代の人達の子供のころが時代背景になってゐることが一つあると思ふ。だから「昭和」を懐かしむことがヒットの要因になってゐるのだらう。
 この「続・三丁目の夕日」を浪曼派的視点からの評価をしていこう。
 まず、この映画には昭和三十年代の「生活」が描かれていゐる。そこには、現在のように「個」が重視されてゐる生活ではなく、「共同体」の生活が描かれてゐる。このやうな生活だったから、隣近所とも家族のやうな付き合いができたのだらう。この生活を描いてゐるのは前作からちゃんと引き継がれてゐる。
 堤真一が戦友会に行き、戦友を連れて帰ってくる場面がある。堤は戦友に「死んだ戦友のことを思ふと幸せになって良いのだらうか」と言ひ、戦友は「良いんです。戦友の分も幸せに」と答える。この時代の人達の戦友への思ひと、幸せになっても良いのかとゐう葛藤が描き出されてゐる。その時に、台所にゐる薬師ひろ子と掘北真希は蛍を見つける。「東京にもゐるんですね」と掘北が言ふが「初めて見た」と薬師丸は答へる。次の日、「戦友は帰ったのか?」と堤は聞くが、「夕べはお一人でしたよ」と薬師丸は答える。この場面は特攻の母と特攻隊員の話を思い起こさせる。
 この映画の見所は、「日本橋」だと思ふ。とは言っても、単純に「空が見える日本橋」の表面的な風景といふことではなく、作者が意識したのかどうかは分からないが、この橋に奥深いものが描かれてゐる。
 まず、薬師丸が子供達を連れてこの橋を渡る場面がある。そこで薬師丸が「懐かしい」と言ふ。かつての恋人との思ひ出の場所なのだが、その恋人は出征して現在はどうしてゐるのか分からない。すると、そこへ、昔の恋人が現れて、少し話して別れる。これ以上の発展はない。もしかしたら、「空の見える日本橋」を見せるため、そして、子供に「ここの上に道路が作られる。高速道路って言ふらしい」という発言をさせるためだけに、このシーンがあるのかも知れない。しかし、これがラストシーンをより意味深いものとする。
 「橋」というのは、道の「端」と「端」を「つなぐ」ものだ。これは断絶している物(者)と物(者)をつなぐ(結ぶ)働きを意味する。日本橋の上で、かつての恋人と出会ふといふ設定は、断絶してゐた人と人の結びである。とともに、過去と現在といふ時間を「つなぐ」ことも表現してゐる。
 そして、ラストシーンもこの「日本橋」だ。橋の上で、吉岡、小雪、子役(名前を知らない)の三人が夕日を眺める。これもこの三人が結ばれてゐることを表現しているとともに、今度は「現在」と「未来」をつないでゐることを表現してゐる。
 この二つのシーンにより、「過去―現在―未来」が表現されてゐる橋となる。
 このシーンから、保田與重郎の「日本の橋」を思ひ起こす。「日本の橋」には「ただ道より橋は新しく、つねに橋は道の果に、以上へのためにあって、流れを越えるものであった」とある。この映画でも、三人がそれぞれ道の果で行き詰まり、苦悩し、そしてそれを乗り越えた後に、夕日を眺めるラストシーンで橋が描かれている。
 この映画もやはり「日本の橋」のやうに、日本の風景と精神的素晴らしさが描かれている。
 このやうに「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は浪曼主義的傾向の強い映画だった。

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防衛省発足

 1月9日、これまでの防衛庁から防衛省へと生まれ変わった。防衛庁発足当時からの悲願がついに達成された。省へ昇格し、これまでは補足的だった、国際平和維持活動も自衛隊の主要な任務となる。
 さっそく共産支那が「日本が再び軍事大国に向け重要な一歩を踏み出した」と牽制をしてきた。核保有国である共産支那に批判されるようなことではない。しかし、私達はこの昇格を「重要な一歩」であると捉え、実際に日本の”自主独立”を取り戻すための「重要な一歩」としなければならない。

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平和の海?

 昨年11月のハノイでの日韓首脳会談で盧武鉉大統領が安倍首相に日本海を「平和の海」にしようという提案をしていたそうだ。安倍首相は「検討しない」と言い切ったみたいだが。
 韓国は日本海を東海という名称に変更することを主張している。
 そもそも韓国が何が「平和」だ。竹島を違法に”武装占拠”している韓国が日本海を「平和の海」と言おうとはまるでブラックジョークだ。「平和」を使用したいのなら、どう考えても竹島を返し賠償するのが先だ。

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山崎拓が訪朝

 自民党の山崎拓(安全保障調査会長)が9日に訪朝することを発表している。山崎拓は去年、北朝鮮から平壌招待の話を持ちかけられていた。山崎拓は「二元外交とか、北朝鮮にこびを売るとか言われると思うが、朝鮮半島非核化の実現のためには対話と説得の努力が必要だと信念的に考えている」としているが、政府は「首相官邸とは関係ない。この時期に行って、成果があるとは思えない」と指摘している。
 外交の戦略としての二次元外交なら有効だろうが、山崎拓も「政府とは連帯してない」と発言しているからどうやら政府の戦略ではなく、山崎拓のスタンドプレーだろう。そもそも北朝鮮が「対話」や「説得」に応じるならとっくに解決している。六カ国協議は「説得」には応じないという北朝鮮の結論が出ている。
 山崎拓が訪朝するのは勝手だが、日本に帰国するな。
 金さん、拉致被害者と山崎拓のトレードはどうでしょうか。山崎拓は日本のためには働かないけれど、北朝鮮のためにはよく働きます。まあ、共産支那のためにはもっとよく働きますけど。

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