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忘れられない日 1.17

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woodstock氏の昨日の記事阪神大震災が「リアル」でなくなる日を読ませていただいて、
これまで何度も書こうとして書けなかったことを、思いきって書かせていただくことにしました。


14年前のあの日、私は大阪にはいなかった。
関西圏外への長期出張の真っ最中だった。
いつものように、朝5時半起床。
同時にTVをつける。
朝のTVはほとんど時計替わり。


読売TV(日テレ)ズームインが始まる前の時間帯の番組を見て(聞いて)いた。
全国各地の話題を報じている途中、急に臨時ニュースとして震災の第一報を聞いた。
神戸にお住まいの某キャスターのお母様の生の声が流れてきた。
「タンスが倒れて・・・」
けれども肝心の神戸の局とは連絡が取れない状態だったと思う。


私は、ホテルで出勤の準備も忘れてTVに釘付けになった。
神戸がそれだったら大阪も大丈夫なワケがないし、子どもは無事だろうか、
神戸の友人は、親戚は・・・。
結局思うように情報が伝わっては来ず、少し遅れて出社した。


当時、幸いにも私は既に携帯電話を持っていた。
早めに連絡を取ったことが幸いし、子と両親の無事はすぐに確認することが出来た
その後は、もうどこへ電話をしてもかからなかった。
会社では、特別にTVを常時つけていた。


時間の経過と共に、亡くなられた方の数が信じられない勢いで増えていく。
阪神高速の落下した映像に、思わず涙がこぼれた。
そこは私がいつも仕事で利用している道だった。
それからしばらく、仕事は全部うわの空だったように思う。


神戸の友人の安否が確認出来たのは、震災から10日以上経ってのことだった。
ふと思いついて、友人の実家へ連絡をしたところ、
友人のお父様が避難所まで探しに来てくださり、無事合流することが出来たそうで、実家に帰っていた。
他の親戚知人等、全て確認出来たのは1ヶ月以上経ってからじゃなかっただろうか。
神戸の自社ビルも倒壊していた。


しかし、当時社内の様子はというと・・・、
心穏やかでない社員は、関西の関係者のみだった。
関西に縁もゆかりもない人達は、最初の頃など興味本位の様子で
「すごいなぁ、どんどん死者の数増えている、まだまだ増えるだろうな」
うちの会社、本社は大阪だったんですけど・・・。


あの日まで、私も関西には大地震は来ないと思い込んでいた。
でも、そうじゃないという現実に直面した。
そんな話を出張先でしても、ほとんど皆無関心。
「大丈夫よ、○○に大地震は絶対来ないから」


何を根拠にそう言えるのだろう。
目の前で、同じ日本の中で、これだけの大惨事が起こった直後だというのに。。。
心底悲しかった。
全て他人事。
この土地の人々が、特別無関心なのではない。


ただ、当事者とそうでない人との間に温度差があるのは事実。


直接あの大惨事を遭われた人々と、その関係者にだけ我が事であり、
それ以外の人々には、他人事としか捉えられない人が多いのではないだろうか。
これは何も「阪神淡路大震災」だけに限ったことではないだろう


天災は、誰のせいでもない。
あの日を境に

あたりまえの日常を失くした多くの方々

今なお後遺症に苦しんでおられる方

経済的問題

孤独死



問題は、まだ山積している。

天災にしろ人災にしろ決して他人事ではない。

明日は我が身。

今の日本人は、そんな心さえも失ってしまったのだろうか。


震災から半年後、私は神戸の友人宅へ見舞いに行った。
そこには壁が全て潰された家の屋根が地べたにあり、
商店街は形さえとどめてはいなかった。
友人知人は、ケガをした人はいたけれど、命に別状なかった。
けれども、同じ会社で神戸支社の方で亡くなられた方がいらした。




「何とか元気をやっています」 高石ともや
私は今もこの曲を忘れてはいない。
詩をじっくりと読むと、変わり果てた神戸の街を思い出す。




決して忘れてはならない教訓。

閉じる コメント(8)

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記憶はどんどん薄れて行きます・・・
震災を知らない世代がどんどん大人になって行きます・・・
伝えて行く事!それが経験した者の責任なのでしょうね。
あの時間に黙祷しご冥福をお祈りしました。

2009/1/18(日) 午後 5:48 ヒロ

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朝7時半頃、当時甲府にいた兄貴から電話があった。
以降1週間は、一度も電話は鳴らなかったと思う。
神戸に住んでいた会社の人間に連絡がつかず、
社長が韓国の知り合いに頼んで、国際電話で安否を確認した。
国際電話は当時、どこでもつながったんです。
そんなことを知らない世代が生まれてるんだもんな。時間ってすごい。

2009/1/18(日) 午後 6:24 woodstock

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あの時は電話すぐにつながらなくなりましたね(泣)
私は携帯を持っていなかったので公衆電話の方がかかりやすいということで
寒空の中並んだことを思い出します。忘れたくないし忘れてはいけない経験だと思います。

2009/1/18(日) 午後 10:47 こはむ

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奈良に住んでいる私も、神戸ほどではありませんでしたが、初めて体験した大きな地震でした。
あの後、しばらく体がいつも揺れているような妙な感覚が続いて、怖かったのを覚えています。。。
次の瞬間にも大地震はやってくるかもしれません。。。いつ地震が来ても冷静に判断して行動できるよう普段からの準備は大切ですね。
14年の時を経ても今なお苦しんでいる人達がいる一方、大震災を知らない子供達もどんどん増えてきています。
私達大人は、そんな子供達に地震の恐ろしさ、阪神淡路大震災から得た事(被災した中、お互い励まし助け合って復興の道を進んできた人たちの思いやりの心と真の力強さも含めて。。。)を忘れずに伝えていけたらいいですね!!

2009/1/19(月) 午前 0:47 nekokawa_oi

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ヒロさん
真摯な気持ちで、真実を伝え続けなければと思います。
あの悲しみを教訓として忘れないために。

2009/1/19(月) 午後 3:44 りりぃ

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woodstockさん
そうでした、会社も対応に追われ、国際電話を使っていたように思います。
今は、当時の教訓を生かし、緊急ダイヤルなるものが出来、
当時の会社にも緊急連絡なんちゃらいうものが出来ました。
神戸の成人式で、新成人のインタビューを聞いていたら、
もうおぼろげにしか憶えていない子達なんですね。
時間の経過を痛感しました。

2009/1/19(月) 午後 3:48 りりぃ

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こはむさん
忘れてはならない教訓ですし、忘れようにも忘れられない出来事だったと思います。
毎年自然と思い出します。

2009/1/19(月) 午後 3:49 りりぃ

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ねこがわさん
助け合いの気持ち、近所との連携、都会ではどんどん薄れていますが、
途切れさせてはならない地域のネットワークだと思います。
不本意ながら、震災以降、神戸を離れた知人がいます。
当時のことは、今も話したがりません。
それだけ大きな傷を負っているということなんだと思います。

2009/1/19(月) 午後 3:53 りりぃ

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