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こちらもまた娼婦とそこへ通う男性の話。
こちらは男性の心理ベースで描かれていて、
女性の方の真意は解らない。
男性の目に映る限りの女性の心理。
娼婦という職業柄、軀を拒否される事が無い。
全てがオープンに開かれている筈が、
一たび関心を持ってしまったら、
職業柄、気軽に口に出来る好きという言葉も、
濡れた瞳も、軀も、それが真実なのか、気を引く為の業なのか、
それが真実だと肯定するものが何も無くなってしまう。
原色の街の中に、娼婦の女性が意中の男性との行為の中に
「たしかなもの」を感じる場面がある。
だけど、この確かなものは自分の中の真実に過ぎない。
男と女っつーのは難しいもんすな。
言葉も軀も、疑ってしまえば全てが疑わしく、
自分の本当の全部の気持ちを相手に見せる事も
その逆も、どうしたって出来ないのか。
大人だから、余計に難しい。
正直で良いんじゃないか?と思う。
例えば、あの時私を好きだと言ったのに、あれはウソだったの?とか、
そうゆうの、あるじゃない?
大人だから、言葉や行為の責任を取らなければいけない気がしたり、
その行為の責任までは取る自信が無いってのは、たぶん誰でもじゃないか。
今は好き、明日もたぶん好き、くらいが一番ウソが無い本当の様な気がする。
今日は好き?今日は好き?って毎日聞いたり言ったり、それもまた面倒か。
だけど、お互いの気持ちを永遠だと過信していて、
気が付いた時には気持ちが随分離れてしまっていた・・・
というのは、とても辛い。
離れたなら離れたで、離れてますと言って欲しい所だ。
私が岡本かのこに興味を持ったのは一つの挿話からで、
幼少期に太郎が熱を出して数日寝込んだことがあり、
元気になってから母に「なんで見舞ってくれなかったのか!」と不平を言うと
「だって風邪っぴきの太郎さん汚いんだもの」と言ったそう。
そう答えられた太郎が母は正直だと喜んだという話。
かのこの母性の少なさと太郎の懐の深さはさて置いて、
母の態度を深読みして反芻して、その事ばかりが肥大して
必要以上に傷付いてしまう事も有り得るじゃない?
こうゆう事って往々にしてあり得ると思う。
分別とかいろんな事の為に誤魔化してしまって、
ややこしい事態に陥ってしまう。
だったら、最初から正直が結果一番誠実になる。
相手に、理想的であることを求めるのも、
宜しくない事態へと陥る一因だろうな。
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