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長篠城址への思い

この前の帰省では駿府城のほかにも愛知・岐阜方面のお城をぶらぶらとしてきました。

実家を出発して車で約20分。
徳川家康の汚点、武田信玄に負けた三方原古戦場につきます。
イメージ 1

これの他に何かなかったんだっけ?
ナビで史跡の検索してみたけど、
三方原古戦場ではなーんにも出てこない・・
この石碑だけか・・しょうがないね。
そうなの?なんかありそうだけどね・・あれこれうんぬん

と、その時、  コンコン!  
「どーされました?」見ると、静岡県警のお巡りさん。

東京のナンバーをくっつけた車が止まっていたので、不審者だと思われたらしい。
まあ、古戦場をさがしてだだけなので、ほんの数分で放免。
でもしっかり免許証ナンバーは控えて行きました。
なんだよ。


ここまでは前置きです。
ここから1時間くらい走ると長篠城址につきます。
長篠城は愛知県新城市(しんしろし)にあります。

私はこの長篠城って何回も行っているのに、いっつも消化不良です。

長篠城は武田勝頼軍が、織田信長の鉄砲隊に惨敗した有名な場所であります。
織田信長もおそれていた最強軍団といわれた武田軍を、
鉄砲を使うことで打ち破ったんですから、
戦の形態もこの長篠の戦いを境に大きく変わりました。
大きな意味を持っている場所であります。

 それなのに!

信長が武田軍の騎馬隊を寄せ付けないように作った馬防柵を
いまだに見てないんですから。
ここで命を落とした山県昌景は馬場信春のお墓も行ってみたいし、
武田勝頼の着陣したお寺や、
鳥居強衛門が泳いで渡った川も見たい・・・。

なーんだ、見てないところがこんなにある。
どんだけざっくりすぎる見方をしてるんでしょう。

夫ヒロシの持ち前の「せっかち」ってやつが原因でしょうか・・
こんなこと言うと、あとでヒロシからクレームがくるかも・・。
まあ、いいケロ。


  
長篠城資料館
イメージ 2

本丸跡
イメージ 3

子供の頃、浜松から東海道線に乗って豊橋まで行き、
そこから飯田線というローカルな電車に乗って
母親に長篠城址へ連れて行ってもらったことがあるんです。
この飯田線も山の中をぬって走っていて、無人駅もおおいのですが、
マニアにはたまらない線であるみたいです。
イメージ 4



あの山の向こう側が武田軍が陣を張っていたうちの一つです。
この柵のすぐ外を飯田線が走っています。
イメージ 5


ここ長篠の戦いにおいては鳥居強衛門の話が有名です。

武田勝頼の軍が長篠城を取り囲み、落城寸前になった時、
長篠城を守る奥平貞昌は岡崎城へ援軍を要請しようとします。
しかし武田軍の守りは固く、蟻のはいでる隙もありません。
この時、泳ぎの得意な家臣鳥居強衛門が夜陰に乗じ、
川を潜ってうまく武田軍の目をのがれて城から脱出。
そして脱出成功の合図にのろしをあげます。

それから岡崎城へ援軍を頼みに走ります。
岡崎城にはすでに信長の率いる3万の援軍が到着していて、
すぐに長篠城へ出発するとのことでした。

喜んだ鳥居強衛門はまた長篠城へとって帰ります。
そして「援軍がくる。」という合図ののろしを再びあげます。

ところがこの何回もあがるのろしを不審に思った武田軍。
鳥居強衛門を見つけてしまいます。
取り調べによって援軍が来ることを知った勝頼は
強衛門の助命、武田家臣として優遇することを条件に、長篠城へむかって
「援軍はこないから城を明け渡すように。」と叫べと要求します。
援軍なんかがきてしまえば、やばかったんですね。負けちゃうかもしれないもん。

ところが、この強衛門。
「2,3日のうちに援軍が来るから、もう少し頑張れ」と叫ぶ。

これを聞いた武田勝頼は激怒し、鳥居強衛門を磔にして殺してしまいます。
イメージ 6

強衛門が死をおそれずに仲間に援軍の知らせをつたえたおかげで、
長篠城は援軍がくるまで城を守り、この戦いに勝利します。

鳥居強衛門はその勇気をたたえられ、
その子孫たちは各時代で数々の手柄をたて、
現在もその家系は続いてるそうです。
鳥居駅というのも、この飯田線にありますよ。

この磔の絵が子供の頃から鮮明に心に焼き付いてます。
この戦いを機に名門武田家は滅亡への道を歩むことになります。
名将武田信玄の息子である武田勝頼はほんとうに不運な人生を送っています。
愚将といわれていますが、
本人のせいではなくまわりの環境が彼をそう見せているんだろうと思います。

子供の頃の思い出、そののちに知ったいろんな史実、
ひたすら広くてせつない設楽原。
またいつか行きたいとずーっと思い続けて、
その願いをかなえてくれたのは、夫ヒロシでした。

でも、夢がかなって、すべてばんざーいってわけでもなくてですね、
この消化不良な気持ちをどうやって解消しようか考える毎日であります。

閉じる コメント(16)

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鳥居、、みゆき・・・
違うか(爆)

強衛門の志にポチ!

2010/3/6(土) 午後 2:53 [ sei ]

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鳥居強衛門の看板、なかなかセクシーですね。笑
わたしも本で読みましたが、司遼か池波か忘れましたが印象的でした。

2010/3/6(土) 午後 7:43 har*t*mo67

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鳥居強衛門は、自分の命よりも仲間のことを大切にした武人でしたね。
武田勝頼にとっては、痛恨でしたが、そうした姑息な手段で敵の士気を落そうとしたことが仇になったのではないかと思っています。

鳥居強衛門のような男、これからの世にも必要な人だと思います。
自分のことよりも、仲間や国民といった方のために励む姿勢は、是非とも見習いたいです。

長篠城址は見どころ満載のようですね。
僕もいつか訪れたいです。

2010/3/6(土) 午後 11:17 桃の守

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papapaさん
最近は「鳥居」っていうと「みゆき」ですね (笑)
死をおそれずに、主君に忠義をつくした強衛門の勇気は
今でも称えられています。

2010/3/7(日) 午前 8:59 わさび

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harutomoさん
たぶん池波さんだったのではないかと思います。
子供の頃に連れて行ってもらったおかげで、
小学校3年くらいの時にはこの話を知っていました。
とても強烈でした。この看板も・・・。

2010/3/7(日) 午前 9:01 わさび

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桃の守さん
強衛門は武田軍につかまった時には、
もう死を覚悟していたんだそうです。
死というものが常に隣合わせだった時代。
主君のために、仲間のために死ぬという覚悟は、
現代ではなかなか理解できないと思います。
こんな逸話も残らないで、
亡くなっていった忠臣はこの時代にはたくさんいたんだと思います。

2010/3/7(日) 午前 9:07 わさび

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鳥居強衛門の看板は強烈ですね。長女を妊娠中、「徳川家康」前30巻(くらい)を読破しましたが、その時はまだブログなんてなかったと思いますが、wasabiさんのブログに出会ってたら、もっと楽しめたでしょうね。その頃は家康の母の気持ちにいたく感動した覚えがあります。

2010/3/7(日) 午後 10:04 レオママ

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レオママさん
すごいですね。30巻!
今の私はそんなに読めるかな。
第一子の妊娠中の時は一番ゆったりできる時間だったかもしれないですね。
家康のお母さんはとても優しいかただったようですね。
家康もこの於大の方には心をつくしたみたいです。
なのになんであんなに狸なのか・・・(失礼)
鳥居強右衛門をたたえて、鳥居という名前の駅もこの先にあります。
この土地の人はみなさん、強右衛門の勇気を誇りに思ってらっしゃることでしょう。

2010/3/7(日) 午後 10:46 わさび

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三方ヶ原は武田軍の戦いの巧さが光った戦いと記憶しています^^

歴史のコメントは後でコメントさせていただきますが、

この「飯田線」は、変わった駅名が多いので有名なんですよね♪

現在はどうなっているか分かりませんが、

小学生の頃その事を知って、「時刻表オタク」の自分は一度行ってみたいと思っていましたね^^凸♪

2010/3/8(月) 午前 10:39 ヨッシー

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さすがヨッシーさん。
前置きの三方原の戦いと飯田線に着目されるとは。

三方原の戦いには後日談がありますが(おもらしではなく)、それはまたの機会にしますね。


飯田線は愛知県豊橋と長野県辰野を結ぶ線路で、無人駅も多いです。
こんな電車に乗ったら、いったいどこへ行ってしまうのか…。山の中の小さな駅で降りて、「なにか」を探しに行きたくなる気持ちになるような路線ですね。

2010/3/8(月) 午後 7:04 わさび

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いや〜変わっていますからね^^

三方ヶ原は書かれている通り、家康の汚点ですからね。

大まかであやふやな記憶しかないので、あとで日本史ノートにまとめてみます。

自分の記憶を呼び覚ますためにも^^

2010/3/8(月) 午後 8:45 ヨッシー

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いえいえ、私は嬉しいですよ。
飯田線のことを話して、こんあふうにノッテくれる方は
滅多にいませんから・・。
三方原は思いっきり地元なので、エピソードはいろいろ知ってますが、戦いそのものは今いち知らないんです〜泡

2010/3/8(月) 午後 11:35 わさび

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長篠の戦いは、鉄砲隊が今までの戦争に革命を起しましたね。

鉄砲の弱点だった砲弾するのに時間がかかるのを3段構えにする事によって連続して撃てるようにしましたからね。

この戦いによって、織田・徳川軍は飛翔し武田軍は没落していく。

まさに戦国時代のターニングポイントになった戦争の一つですね。

2010/3/9(火) 午後 3:52 ヨッシー

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今頃すみません、ヨッシーさん。
すっかり遅くなってしまいました。
鉄砲を三段構えにして打てるようにはしたけれど、
織田軍もなかなかの戦死者を出した戦いだったようです。
武田軍も侮れなかったんですね。
でも、長篠のあとの武田軍は悲惨です。
名門武田軍が滅びて行く様は哀れですね。

2010/3/17(水) 午後 10:35 わさび

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強衛門さんの勇気には感動しましたね。
いつも思うのですが、逆さ磔にあわされたのに絵は普通に上向いて
いるのですよね。でも髪の毛は逆立っているのでやっぱり逆さ磔?
謎です…(^-^ゞ TBさせて頂きますね。

2010/7/3(土) 午後 10:51 るな

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るなさん
コメントありがとうございます。
鳥居さんの話を聞いたのは小学校の低学年の時。
なかなか子供心に、この絵は強烈な印象でした。
周囲の史跡を微妙なせっかちの夫のおかげでまだ満足いくほど
回れてないので、一人でもきたい場所であります。

2010/7/4(日) 午後 9:14 わさび

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長篠のヒーロー鳥居強右衛門勝商

{{{     『磔に散る 烈士・鳥居強右衛門』 5月14日・武田軍は長篠城総攻撃を仕掛けた。城内に食料はあと4,5日分だけ。       その夜、鳥居強右衛門は徳川家康へ救護を依頼する使者として長篠城を抜け出た。   15日・朝ガンボウ山で、脱出成功の狼煙を挙げ岡崎に走った。岡崎には織田信長も到着して       いた。家康、信長の前で城の危機を訴え、回りの人々も感動した。使命を果して休養を       勧められたが、彼はすぐに引き返した。

2010/7/3(土) 午後 10:52 [ 旦さまと私 ]

長篠城(2008年11月23日)愛知県新城市長篠字市場22−1

{{{           『長篠城』 <要衝>  長篠の地は豊川をさかのぼって約25キロ、長野県、静岡県北部に通じる道中にあり、この辺り から平地は山に移っていく。江戸時代の豊川舟運も長篠城を越えるところで終点となる。戦国時代、 武田軍と徳川軍がこの城を奪い合ったいわゆる境目の城であった。 <要害>  長篠城の南面は宇連川、西は豊川、ともに50メートルの断崖である。なお本丸の西北は矢沢の険 しい谷である。平地へ

2010/7/3(土) 午後 10:52 [ 旦さまと私 ]

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