明日へのうた

労働運動は社会の米・野菜・肉だ。

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2009年6月8日

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秋葉原大量殺傷事件一周年

 「殺す相手は誰でもよかった」――あの秋葉原大量殺傷事件から1年が経つ。今日の毎日夕刊に載った「『恨み』が刃を向ける時」という特集記事。先月21日に逮捕された中大教授刺殺事件と並べて「心の奥で培養させた怨念を計画的に爆発させたような、異様な事件」と分析している。

 確かに二つの事件とも「怨念」という共通項があるとは思うが、私は別の角度からこの問題を見ている。それは「喪失した労働感覚」ともいうべきものだ。労働というのは本来人間が社会の一員として生きていくための存在理由のようなもの。ところが、それが感じられない、手ごたえがない。そして若者を虚無に走らせる。

 秋葉原事件の犯人は、派遣労働者として仕事を転々とした生活を送ってきた。かなりきつい労働だと思うがその先に幸せな将来は見えない。しかもその仕事さえもいつ奪われるかも分からない。

 中大教授刺殺事件の犯人は「卒業前年の忘年会で先生に話しかけてもらえず、自分が疎外されていると感じた」と殺人動機を述べたという。警察は、自分の不遇は教授に原因があると思い込んだ末の犯行と見ている。私は、ここでいう「自分の不遇」なるものに注目する。「みんなは大学で学んだ電気関係の知識を生かせる会社に進んだが自分は違った。次々と転職し、社会生活にもなじめない」――これが犯人のいう「自分の不遇」なのだ。

 2人の殺人犯に共通しているのは、「労働」に対する不満だ。自分の労働が社会から疎外されている。それは特に若者にとっては根源的な社会への不信感となる。その不平・不満・不信感を埋めるのは、それこそ私は労働組合の存在だと思う。高度経済成長のとば口で労働者になったおれたちも、大量生産システムに組み込まれ、機械の一部のように取り扱われて大いに不満を覚えた。その閉塞感を突破しようといろんな試行錯誤の上に行き着いたのが労働運動だったような気がする。

 今日は私の誕生日。72歳まで一応なんとかやってこれたのは、ひとえに「労働運動」のおかげだと感謝している。

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