阪神・淡路大震災に係る文章

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風景が壊れている、そして私も……(1)

下掲の拙文が2000年度から筑摩書房の高等学校国語(現代文)教科書「ちくま現代文」に採用されるが、収載に当たっては、一部固有名詞等が変更されている。

★ ☆ ★

 去年の晩秋のことだったと思います。何かおにぎりでも買ってこようかと国道沿いのファミリーマートへ出かけ、ちょっと路地へ入って帰ろうとしたのです。ああここもこんなだったかとか、たしかこの辺に小学校の同級生の家があったはずだがとか思いながら歩いていて、あっつぶれた散髪屋がこんなところに移ってきてやってるんだ、よかったよかった、と思ってふと気づくと道に迷っているようでした。もっと南にあるはずの阪神電車の線路が間近で視野を遮っていました。なぜこんなところに線路が? と驚いた途端、曲がらなきゃいけない道を曲がりそびれ、家を少し行き過ぎる形になっていることがわかったのです。(*1)

 家まで3分ぐらいの、目をつぶっていても歩けると思っていたご近所でのことでしたから、われながらおかしくて、一人で吹き出しそうになったと同時に、そんなにも変わってしまったのかと溜め息つきそうになりました。

 

 ちょっとした路地に入ってみようと思ったのは、やはりどうなっているんだろうという物見の心があったからに違いない。観光とまで自分を苛むつもりはないが、見慣れぬ風景を見るというのは確かに新鮮なことであって、それが災いの痕であっても、目新しいということだけで足が向いたとしても、自然なことだったかも知れないが。そんなちょっとした気紛れがいけなかったのか。

 更地になり、あるいは前栽や敷石だけを残して裸の区画となってしまった家の跡を目にすることになる。ここもか、ここもか、と数える思いは、いったいどのような心持ちか。自分の住む家は残っている。家族も親戚も無事だった。なのに他人の家が潰れた跡を目にしては、そこで起こり今も続いているかなしみを想像して、自分がここを歩いていることのリアリティを確かめようとしているのか? 案の定、そんな空に架けたリアリティに足をすくわれるような形で、道を失っていたのだ。

 私たちは歩き慣れている道ではあっても、無意識のようにいくつかの目印を付けている。角のクリーニング屋だったりうどん屋だったり、あそこの家の犬はかわいいとか、小学校の同級生の家だったり。それらのものがことごとく失われていた。その上、小さい頃刈ってもらっていた散髪屋が場所を移したというのもフェイントだった。これが白昼、家から三分のところでの迷子の言い訳だ。

 

 道に迷ったことに気づいた瞬間というのは奇妙なものですね。それまで確かに自分をやさしく包み込んでくれていた風景が、急に色を変え、見知らぬ者を訝しむような顔つきになります。ここが私の住む魚崎だというのはただの思い込みに過ぎなくて、本当はどこかで不思議な路地に迷い込んで、見知らぬ遠いところへ放り出されているのかも知れません。

 

 家から駅までの数分間、大きなマンションと数件の比較的新しい家以外、ほとんどの家が全壊し、数人の方が亡くなられました。2年たった今となっては、多くの家が新築成り、更地を見ても道路の盛り上がりやひび割れを見ても驚かなくなっています。でも、たまにJR住吉駅のほうや甲南本通りを歩いたりすると、ああ、ここもこんなだったかとか、ここには洒落た家があったのになあだとか思われて、足どりが重くなります。でも一方で、あのまま放置されている爪痕はないかと、さがす目になっていたりしないでしょうか。応急修理されていた道路の盛り上がりや亀裂も、年度末を控えていよいよ本格的な工事が始まったようです。阪神高速が開通して高架を車が走っているのが目に入った時は、何だかクラクラしてしまいました。まだちょっと早過ぎるんじゃないの、と問い詰めたいような気分になって。何もなかったように新しい道路が、元と同じように、あるいは前よりよいものとして作られ、何もなかったようにたくさんの車がその上を走っている姿が、防音板に透けてシルエットのように見えるのです。またはネガのように。

 何もかもが何かの間違いなのではないかという、デスペレートな気持ちに陥りそうに。

 

 どうしても自分を責める気持ちから抜け出ることができない。被害がなかったことにおいて、何もボランティアといえるようなことをしなかったことにおいて、直後の何時間か何日かシャットアウト状態とでもいうべきていたらくだったことにおいて。

 懺悔したいような心がある。罪滅ぼしのような。たとえば日本海側に重油をすくいに行かなければというような。それはとりあえず言っておけば「お返し」ということなのだが、そのような言い方以上に、何か逼迫した矢も盾もたまらぬような思いがある。癒そうとしているのだろうか。

 

 どうにもいまだに不思議で自分でも納得できないでいるのですが、真冬の朝五時四十六分という時刻だったのに、しばらくして居間の窓から斜向かいのお宅が崩れているのが砂ぼこりの向こうにだがはっきりと見えたことです。はっきりと、数年前まで私たちも(かつてのわが家の方がかなり小さいとはいえ)同じ造りのそのようなところに住んでいた家がひしゃげているのを目にし、悲鳴のように妻を呼んでいました。

 

 おそらくあの大きな揺れの直後は、布団の中でしばらく妻と、これはいったい何だったのだろうと、呆けたように妙に冷静に、何ということなくおしゃべりをしていたのではなかったか。揺れの最後の方では確かにこのまま続けばこの家も崩れると恐怖を感じたとはいうものの、とりあえず家屋は無事だったというしれっとした安堵と共に、あまりの揺れに気を削がれてしまったせいか、不思議な空白に包まれていたような気がする。おそらくその空白感が長く続いたということだったのだ。

 

 しばらくして、様子を見に魚崎小学校まで歩きました。体育館にも運動場にもたくさんの人が座り込んでいました。パジャマの上から毛布や布団を羽織って。何人かは卓球台の上に横になっていました。妻に尋ねるまで、それが遺体だということに、全く思いが及びませんでした。

 そしてまた十数分後でしょうか、四軒南のペシャンコに押し潰されたお宅の屋根の上に茶髪の青年がよじ登って「あかんわ、あかんわ」とさかんに大声を出していたのを見て、「何をしているのだろう」と訝しく思ったのでした。

 

 シャットアウト状態とでも呼ぶしかない空白感とは、このようなことだ。他者への想像力が、愛と言ってもいいが、完全に剥落していた(もともと欠落していたなどとは言うまい)。大地が揺れたこと自体は、ただの自然現象で、などとうそぶくには少々きつすぎる揺れだった。とは言え、家が潰れたわけでもない。周りが完全に壊れた中で身の回りだけが残ったことで、かえって露わになった防御の反応だったのだろうか。

(つづく)

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