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零戦虎徹

零戦虎徹(レイセンコテツ)


零戦虎徹とは、第二次世界大戦時最強の撃墜王と呼ばれた
岩本徹三(イワモトテツゾウ)のことです。

1916年〜1955年 
樺太生まれ、北海道と島根県で成長します。

士官学校出身ではなく、たたき上げで特務士官(終戦時階級は中尉)
まで昇りつめた、まさしく最強のエースパイロットでした。

彼は、戦後の手記で、202機の戦闘機を撃墜したと記しています。
初陣の日中戦争では緒戦で4機、半年間で公認撃墜14機を記録していますので
経験を積んでからのことを考えると、その数字はまさしく本物でしょう。

俗にエースとは5機以上の戦闘機を撃墜したものに与えられる称号ですから、
この202機はすさまじいですね。

日本の撃墜王といえば、大空のサムライこと「坂井三郎」が有名ですが、
岩本のように、戦闘機搭乗員として、日中戦争から太平洋戦争終戦まで
8年に及ぶ広大な最前線での戦闘飛行経験の持ち主は他にいません。
生き残っているだけでもすごいことです。
(太平洋戦争開戦時・空母瑞鶴戦闘機隊隊員23名のうち、終戦まで生き残っていたのは
 岩本を含めわずか3名であると言われています。)

彼の終戦時の飛行時間は単座戦闘機操縦者として驚異的な 8,000時間を超え、
離着陸回数 1 万 3,400 回を超えていたといいます。
(太平洋戦争後期の日本海軍航空隊搭乗員の飛行時間は、哨戒パトロールを務める偵察機・
 多発機では、最古参搭乗者でようやく1万時間〜7,000時間、空戦・格闘戦訓練が主務の
 戦闘機操縦者では、最古参で実質6,000時間〜4,000時間、20代前半で活躍中のベテランで
 実質約2,000時間近くであったといいます)



そんな名パイロットであった彼のエピソードですが、

1、神風特攻作戦に断固反対

「戦闘機乗りはどこまでも戦い抜き、敵を一機でも多く
撃ち落とすのが仕事だ。一度きりの命中で死んでたまるか。俺は否だ。」
と特攻を拒否したそうです。

2、全員短髪(坊主)の命令に断固反対で長髪をとおす

当時の八木勝利司令も見逃しています。岩本は短髪にするのが嫌だったというよりも、
意味のない命令に従うのが嫌であったのではないでしょうか。

3、視力は1.0なのに、なぜか誰よりも早く敵をみつける

これが大日本帝国海軍1、2を争う古参パイロット歴戦の勘というものでしょうか、
ちなみに坂井三郎は昼間でも星が見えるほど目がよかったといいます。

4、彼は自分のライフジャケットの背中に「天下の浪人 零戦虎徹」と書いていました

ライフジャケットのこの部分は本来、所属と名前を書くところです。
一説に自分のことを刀の虎徹に見立てていたといいます。



このエピソードを見ると、自分勝手な人間にみえますが、
そうではく、彼は信頼できる上司にはよく従い、また部下をかわいがり、
特に下からはとても人気があったそうです。
上司にはけむたがる人間も多くいたようですが、岩本を理解する柴田武雄、中野忠二郎、
福田太郎、八木勝利、岡本晴年、岡嶋清熊といった上官たちからは信頼を寄せられていたようです。

また、実際の戦闘もチームワークをとても重んじていたそうです。
けして一匹オオカミではなかったようですね。
通常、戦闘は3機編隊でおこないますが、彼の列機であった部下達も、
彼の列機であったから生き残ることができたと回想しています。
(これは坂井三郎の部下たちも同様のことを言っています。)

理不尽な命令には断固として反対し、自分の生き方をつらぬきながらも、
その生き方は合理的で筋が通っているため。皆に好かれ信頼されている。

うーん、天下の傾奇者「前田慶次」のようですね。

戦後早い段階で病気で亡くなってしまったことが惜しまれます。

岩本徹三
イメージ 1


零式艦上戦闘機(二二型)
イメージ 2

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