マイケルのココロ--FOREVERLAND

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Michaelの中の「Child」:世界一誤解された言葉

マイケル・ジャクソンさんの歌詞、詩、発言には、時々children, baby(子供、幼子、赤ん坊)といった言葉が登場します。文字通りの意味のことも、もちろんあります。
 
ですが「ずっと子供でいたいんです」とか「僕の中の子供が死んでいくよ」というような文脈で彼が使う「子供」という言葉は、childish=「責任のない、わがままな存在」という意味ではなく、
 
真実を見つめ、理想を追う無垢な精神」という意味であり、
地球の生命と一体になって自分の中にもある、無限の力を秘めた敬愛すべき存在」でもあり、
想像」と「創造」の源泉でもあると思います。
 

Michaelの「Child」と『The Neverending Story』

マイケルの世界観について、とても分かりやすいヒントがあります。児童文学の傑作『はてしない物語』を覚えておいででしょうか? (原題『Die unendliche Geschichte』、英題『The Neverending Story』ミヒャエル・エンデ作)
 
この物語で作者エンデは、ファンタージエンという想像の王国を統べるものに、「幼ごころの君」という名をつけています。
 
主人公は落ちこぼれのいじめられっ子。ですが、物語を作ることだけは得意な彼、ある本をきっかけに迷い込んだimaginationの王国で縦横に力を発揮します。でも想像の王国は、そこだけで完結していると、その本来持つ はてしない力を失ってしまいます。彼は冒険の中で、この「想像力」の性質に起因する内在的な問題に直面しますが、次のことを学び、精神的に成長して帰ってきます。
「imaginationの王国は、real worldにおけるloveと結び付いてこそ 
                 はてしない力を人に与えることができ、
 real worldは、imaginatonの王国の助けを借りてこそ 健やかな姿を保つ」
これがこの本の中核メッセージだと思います。本のラストの会話↓が、それを象徴しています。場面は、ファンタージエンという想像上の国を冒険することで、現実世界の愛に気づき、現実に向き合う強さを手にした少年が、本を盗んでしまった店のおじさんに謝りに行ったところ。少し長くなりますが、マイケルの世界観と重なりますので、引用します。
 
「それじゃ、おじさんはぼくの話をしんじてくれるんですか?」バスチアン(少年)はたずねた。

「もちろんだ。」(少年の冒険の話を聞いて、古本屋のおじさんの)コレアンダー氏は答えた。「もののわかった人間なら、誰だって信じるだろう。」

「正直いって、ぼく、信じてもらえるとは思っていませんでした。」バスチアンはいった。

「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」コレアンダー氏はいった。
「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そしてそういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」
、、、、
「どうしておじさんはそんなによく知っているんですか?もしかして、おじさんも、ファンタージエンにいったことがあるんじゃないんですか?」

「もちろんいってきたよ。」コレアンダー氏はいった。、、、
「ほんとうの物語は、みんなそれぞれはてしない物語なんだ。」コレアンダー氏は、壁にそって天井までぎっしり並んでいるたくさんの本を目で追った。、、、
「ファンタージエンへの入口はいくらもあるんだよ、きみ。そういう魔法の本は、もっともっとある。それに気づかない人が多いんだ。つまり、そういう本を手にして読む人しだいなんだ。」

「それじゃ、はてしない物語は、人によってちがうんですか?」

「そう思うんだよ、おれは。」コレアンダー氏は答えた。
「それに、ファンタージエンにいってもどってくるのは、本でだけじゃなくて、もっとほかのことででもできるんだ。きみも、やがて気がつくだろうがね。」、、、

コレアンダー氏のブルドッグのような顔が、一瞬、やさしく輝いた。若々しく、美しくさえ思わせる輝きだった。

「ありがとう、コレアンダーさん!」バスチアンはいった。

「おれの方がきみに礼をいわなくちゃならんよ。」コレアンダー氏は答えた。「きみ、ちょくちょく顔を見せてくれるといいな。おたがいの経験したことをはなしあおうよ。こういうことをはなしあえる人間はそうたくさんはいないから。」
、、、
コレアンダー氏はドアをそうっと閉め、二人(少年と父親)を見送った。
、、、かれはつぶやいた。「きみは、これからも、何人もの人に、ファンタージエンへの道を教えてくれるような気がするな。そうすればその人達が、おれたちに生命(いのち)の水を持ってきてくれるんだ。」
 
そう、マイケルが大切にした「自分の中の子供」は、「想像の王国と現実世界を行き来して、両方の世界をすこやかにする、無垢で無限の(はてしない)力を持つ精神」のことではないでしょうか。
 
彼は、想像の世界に翼をはばたかせることで、生命の根源とつながる深い知恵(生命の水)を得ると、それを現実世界に持って帰ってきて歌という形で広めています。ファンタージエンと現実とをつなぐメッセンジャーと言えるかもしれません。そして彼の歌は一つ一つが、人によってはファンタージエンの入り口となる「はてしない物語」なのではないでしょうか。

Man-child(マンチャイルド)=心に子供を持つ大人=理想を抱く行動者

マイケルは、「地球のいのちとつながった無垢な心」をいくつもの美しい詩にしました。(詩集『Dancing The Dream)
 
彼は92年のインタビューで「芸術の存在意義は、物質と精神、神性と人間性の融合です」と述べています。
 
マイケルの中の「地球とつながった無垢な心」は、「生命の力、喜び、真実の姿、理想、愛」など目に見えない精神を「音楽や詩」など人が感じられるモノへと移し替える、つまり精神と物質をつなぐマジック・ボックスだったわけです。
 
この創造の源泉のことを彼は「自分の中の子供」と呼び、生涯大切にしていました。それが「子供であり続けたい」という言葉。
 
この一言は散々誤解されているようですが、マイケルの言う「子供」は「無責任でワガママな存在」という意味ではなかったと思います。むしろ正反対。彼は、世の中に目を見開き、その真実を受け止め、責任を負う覚悟を持って「子供の精神」を守り続けていたと思います。
 
もし、「子供であり続けたい」が、「無責任にワガママに生きたい」という意味だったら、より良い世界、よりよいアートの追求など諦め、チャリティや音作りはいい加減にして、自分の責任の範囲を限定すればよかったはずですが、マイケルはそれをせず、THIS IS ITのリハーサルでも会場に真っ先に現れ最後に去るような男だったそうです(グラミー中継時のミュージシャン、アル・アレックスの証言)。
 
不思議なことに、世間的には諦めれば諦めるほど「オトナ」らしいと言われ、諦めず大きな責任を敢えて背負ったマイケルの方が「コドモ」と言われるようです。ですが実際のところはどうでしょう?
 
例えばキング牧師は、黒人の座っていい席が限定されているのが当たり前の時代に、「人種にかかわらず誰もが自由に座れる座席という、当時としては非現実的な夢」を見てそれを実現しようと行動し、命を落としました。では彼は、「現実を受け入れられないコドモ」だったのでしょうか?それとも彼は、見て見ぬふりもできたのに、敢えてより多くの責任を請け負って理想に近づこうと行動した「偉大なる夢見・行動人」だったのでしょうか??
 
例えばマンデラ氏は、アパルトヘイトの撤廃という、当時としては非現実的な夢を見てそれを実現するため、何十年も獄中にありました。では彼は、「現実を受け入れられないコドモ」だったのでしょうか?それとも彼は、諦めることもできたのに、敢えてより多くの責任を請け負って理想に近づこうと行動した「偉大なる夢見・行動人」だったのでしょうか?
 
マイケルも、「見て見ぬふりもできた」はずの責任を次から次へと負って、より良い世界を実現するために行動しました。マスコミの知らないところで少年デイヴの精神的な父親代わりとなってその人生を助けたり、重病の子供達に会っては生きる希望を与えたり、世界の孤児院に遊び場を作る運動をしたり、黒人の教育向上に尽力したり、ツアー収益全額を原資として財団を作って戦地の子供に救援物資をおくったり、、、。そんな彼は、「現実を受け入れられないコドモ」だったのでしょうか?それとも彼は、無垢な心で世の中を見て、理想を描き、その実現に奔走した「夢見・行動人」でしょうか?
 
私は、3人ともコドモだったのではなく、無垢な子供の心を保って理想を追求した、強い、行動する大人だったと思います
 
理想と若さの関係についての名詩を抜粋します。
『YOUTH(青春、若さ)』サミュエル・ウルマン

青春とは人生の一時期のことではなく 心のあり方のことだ。
若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、
安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する 冒険への希求がなければならない。
人間は年齢を重ねた時 老いるのではない。理想をなくした時 老いるのである。
、、、
六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の
煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心
人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。
、、、
自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、
その人は若いのだ。
 

私達の中の子供を見つけることができたらWe'll Be Startin' Somethin'

差別、戦争、環境破壊などについて、私達の中にひそむ無垢な心は実は「何とかしたい」と感じているのではないでしょうか。でもそれはなかなか行動に表れなかったりします。無垢な心の樹のまわりに、「常識」「諦め」「めんどう」のツルが絡みついて、ジワジワと真ん中にある樹を殺していっているからかもしれません
 
Wanna Be Startin Somethinの中に「Now Babys Slowly Dying(僕の中の)赤ん坊がじわじわと死んでいくよ」という叫びがあります。
 
Babyには色々解釈があり得ますね。マイケルの歌は、内省に始まり、世界への訴えへと高まる傾向があるので、この歌も最後の部分にヒントを求めてみると、「胸を張って世界に叫ぶんだ、自分の力を信じると。そうすれば真実は自然と明らかになる。誰も傷つけることはできない、自分は真実を知っているから」と高らかに歌い、チャンツへとなだれ込んでいます。
 
このラストから読み解くに、このbabyは、「僕のなかの赤ん坊の部分=理想を追う、無限の力を秘めたいのち」という意味だと思います。つまりこの歌を通してマイケルは、周囲の「利益目当てに寄って来ながら、その実、才能や芸術を信じない否定的な輩」に対して、「いつも誰かがあれこれ言っては、僕の中の才能や理想(baby)を傷つけようとするけれど、僕は自分を信じるよ!」と反論しているのではないでしょうか。
 
(↑(根拠)マイケルは自伝ムーンウォークやインタビューでも、自分が理想や願いを実現しようとするときに否定的なことばかり言う「naysayers」への苛立ちを吐露しています。)
 
私達もマイケルのように「諦め」「ごまかし」のツルを刈り払い、「真実を見抜き、理想を抱く子供の心」に従って行動できたら、毎日喜び、悲しみ、怒り、愛し、いのちを目一杯に生きられるのかもしれない、そんな気がします。

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