世界日本化計画

ブログタイトルを「silkroad_desert9291」から「世界日本化計画」に改名した。(2008.12.16)

全体表示

[ リスト ]

「周縁から見た中世日本」

大石直正、高良倉吉、高橋公明「周縁から見た中世日本」(日本の歴史、第14巻、中世史の論点)講談社、2001.12.10

1.北の周縁、列島東北部の興起(大石直正)

●東北地方は、中世には、日本の東の端(東山道の端)と考えられており、「日之本」(ひのもと)と呼ばれていた(北の端は北陸道の端である佐渡)。
●奥州藤原氏は、アイヌと交易し、アザラシの皮や鷲の羽を京都に納めていた。
●鎌倉時代末期、津軽でエゾの反乱→日蓮は、蒙古襲来と同次元で考え、東西から日本を襲う国難とした。
●アイヌは、大陸に渡り元軍と交戦。
●1456年、夷島(えぞがしま、北海道)でコシャマインの蜂起。戦いは1525年まで続く。
●十三港(とさみなと)が交易の中心として栄え、安藤氏(後の安東氏)が「日之本将軍」といわれる。
●若狭の武田氏が、下北に渡り蠣崎氏となり、さらに北海道の松前氏となる。江戸時代の松前氏は、石高のない特殊な大名となり、アイヌとの交易を独占。

2.琉球の形成と環シナ海世界(高良倉吉)

●沖縄では、縄文土器は大量に出土、弥生土器は少なく、古墳はない→時代が下るに連れ、日本の影響が薄れる。日本書紀等では、種子島、屋久島以南は「南島」と呼ばれ、統治区域外。先島は、沖縄、奄美と異なり、縄文土器も弥生土器もなく、シャコ貝の加工やストーン・ボイリング(石焼)など南方文化だった。
●琉球は、明と日本の海禁政策の下で、活動できなくなった中国の貿易商人に取って代わり、中国、日本、朝鮮、東南アジアの多国間貿易ネットワークの中継地となる。
●尚真が、地方で力を持っていた按司(あじ)を首里に移住させ、中央集権制を固め、宮古、八重山を征服。文字は、漢文と仮名文を用いる。
●海禁に逆らう民間パワー(倭寇)が増大→貿易が民間に奪われ、琉球の力が低下。東南アジアへの渡航は1570年が最後。

3.海域世界の交流と境界人(高橋公明)

●海域世界では、国家の境界があいまい。
●朝鮮は、倭寇対策として、対馬、壱岐、北九州の海賊的武士、商人に、受職人という官職と印を与えていた。対馬の宗氏は、朝鮮から文引(パスポートやビザのようなもの)の発給権を認められていた。
●済州島の海賊は、倭人の言語や衣服を用いる。遼東半島の南の海浪島(ヘランド)が、済州島民の根拠地となり、漢人、女真人、逃亡した罪人などと雑居。
●耽羅(済州島の古名)は、大和朝廷に毎年使節を派遣(679年、新羅に服属後も2回派遣)。高麗になっても独自の政治秩序を持ち外国と扱われた。12世紀から高麗に組み込まれ、役人が派遣された。元の滅亡後も、すぐには高麗の支配に服さず、モンゴル系人などの反乱が起きる。

(2006.5読了)

閉じる コメント(0)

コメント投稿
名前パスワードブログ
投稿

閉じる トラックバック(1)

トラックバックされた記事

沖縄貝塚文化〜古琉球〜グスク時代〜第一尚氏王統

沖縄貝塚文化    貝塚時代は、 縄文時代 にあたる貝塚時代前期と、 弥生時代 から 平安時代 にあたる貝塚時代後期に大きく分けられる。  前半については本土の縄文時代中期頃から遺跡がみられるようになる。狩猟採集経済で縄文土器に類似する波状口縁の土器をもつことなどから「縄文時代」の名称を使用する場合もあるが、縄文時代・縄文文化とするかは意見が分かれる。  後期は、海岸砂丘上に遺跡立地が移動し、主に漁撈を中心とした生業と考えられている。弥生時代の特徴に稲作(水稲耕...

2012/1/29(日) 午前 0:45 [ 水・土壌汚染、アジア史を現場で考え真実を伝える ]

トラックバック先の記事

  • トラックバック先の記事がありません。


.

世界日本化計画
人気度

ヘルプ

Yahoo Image

  今日 全体
訪問者 9 66894
ブログリンク 0 8
コメント 0 61
トラックバック 0 27
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

開設日: 2006/5/24(水)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.