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山口遼子「小笠原クロニクル」(中公新書ラクレ185)中央公論新社、2005.7.10
著者が5年間に10回小笠原諸島を訪れ、様々な住民に昔の話を聞き、住民の生活、人生、歴史などをまとめたもの。
1593 小笠原貞頼が島を発見(伝説)。
1670 阿波の船が漂着し詳しい記録を残す。
1675 幕府が調査隊を派遣、無人島(ぶにんじま)と名付ける。
1830 欧米系人がハワイ・ポリネシア系人を伴い、23人が定住。
1861 幕府が調査隊(通訳:ジョン万次郎)。
1876 正式に日本領土となり、住民は日本に帰化。
以後、日本からの移民が増え、明治末の人口は4600人(現在は父島1911人、母島440人)。
第二次大戦中は軍の施設が作られる。
1944.9 全住民6886人が本土へ強制疎開させられる。
戦後、米海軍の統治下に置かれる。公用語は英語。
1946.10 欧米系住民135人だけが父島に帰島を許される。
母島は日本に返還されるまで無人島になっていた。
子供はラドフォード提督学校に通い、卒業後はグアムの中学高校に進学したり、働いたりした。
日本返還後は、日本語になり苦労、アイデンティティ混乱。
返還時にアメリカに行くことを選択した人もいる。
日本系住民は「帰郷促進連盟」結成、生活基盤がなく困窮。
1956 日本政府から見舞金1億円、1959 米国から補償金600万ドルが出るが、金の分配を巡り連盟が4つに分裂。
1968.6 日本に返還。日本系住民も帰島。
最も深刻な問題は、経済的自立が困難なこと。戦前は、農業、漁業、捕鯨が基幹産業だった。
戦後、捕鯨は禁止され、本土でハウス栽培が盛んになり農業の優位性が失われた。
観光も、空港がなく、船で東京から25時間かかる。
ダイバーにはリピーターも多いが、最低限の金しか使わない。
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話は面白かったが、著者に対して違和感を感じたところが2つある。
1つは、ブッシュ(父)元大統領が、戦争中に乗っていた飛行機が小笠原諸島の近くで撃墜され、パラシュートで脱出したという話で、ブッシュ(父)の命が助かったことに対し、著者は「なんという悪運の強さだろう」と書いている。著者はブッシュ(父)に対し反感を持っているのだろうが、前後に大統領時代の政治の話もなく、若い時の話に、いきなりこの書き方は違和感が強い。
もう1つは、注の付けかただ。著者は、数少ない注の中で、「日中戦争」「張作霖事件」「ベトナム戦争」に注を付け、日本が中国を侵略して南京大虐殺を引き起こしたとか、小笠原諸島と関係のない説明のために、それぞれ7〜14行費やしている。注というのは、本文を補足して読者の理解を助けるためのものだろう。こういう注は不要だろう。
注を付けるなら、ブッシュ(父)に注を付けて、なぜ著者は彼の命が助かったことを「なんという悪運の強さだろう」と思うのかを説明すべきだ。
(2006.5読了)
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大いに同感
察するに著者は歴史は知らないよ
2012/1/14(土) 午後 3:03 [ hatori ]