月ノ浦惣庄公事置書
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「月ノ浦惣庄公事置書」岩井三四二。 松本清張賞を受賞した歴史文学である。 あとがきに「法廷ミステリ」との表現もあったが、本書は法廷ミステリではない。 きわめて良質な歴史小説である。 舞台は室町時代である。 土倉(金融屋)の手代、源左衛門は借金のカタに近江高浦の代官の地位を手に入れ、手下をつれて赴任してくる。 たちまち強権をもって高浦を支配し、さらに、隣の月ノ浦に触手を伸ばすのである。 その方法は、村人をけしかけて、入会地の山から月ノ浦の人間を追い出し、領主に月ノ浦の人間が訴えでた時に、同時に訴えを起こすというものだった。 その訴えの内容は、そもそも月ノ浦の隠田がある地域を「もともと高浦地区のもの」と強弁し、ただ永小作を認めているとして、その小作料をとる、というものだった。 そもそも入会権を訴え出た月ノ浦地区の者たちは、公事(訴訟)の内容が入会権でなく、隠田のある地区の所有権をめぐってのものになっていると知って驚く。 しかし、その地区については、律令時代から争われていたもので、月ノ浦地区に有利な裁定が下っている。 村人たちは、その支え書(証拠書類)をもって領主の前で訴える。 領主も納得し、当然、月ノ浦地区に有利な裁定がでるかと思われたが、なんと判決はひっくり返る。 源左衛門が手を回し、領主の支援者に圧力をかけたのである。 月ノ浦としては、税を納めなくてもよい隠田が生命線であった。ここで、代官によって税、さらに小作料をとられては、村人の生活が立ち行かなくなる。 困った村人は、ある手を思いつく。20石の領主におさめる税以外に、5石を毎年、寺に納めていたからである。 そこで、この隠田地区は、そもそも領主の領地でなく、寺にも権利のある三方地である、と主張することにした。 そうすれば、代官が自由に課税できないからであり、事実上、今までどおりの権利が保全できる。 しかし寺は、領主と争いになるので、この訴訟に乗ってくれない。 村人は、苦心惨憺、ついに寺僧を動かし、これを寺社奉行にあげることに成功する。 ようやく光が見えたと思われた公事であったが、なんと源左衛門は暴力で月ノ浦の者たちに襲い掛かる。 公事中に、争闘がおきれば公事は中止になる、というルールがあるからだ。 月ノ浦の者たちは、理不尽な暴力に耐えながら、沙汰を待つよりほかにない。 ところが、さらに寺社奉行が何者かに襲撃され、さらに沙汰が伸びるという事件がおこる。 あまりのことに月ノ浦の者たちは呆然とするが、一方、高浦の百姓たちも、あまりの代官の横暴に耐えかねて、ひそかに蹶起への助力を願い出てきた。 争闘中の相手からの依頼に、月ノ浦は迷うが。。。 じつに面白い。 作者は、小説賞四冠王の異名があるそうであるが、たしかにうなずかざるを得ない。 このストーリーは、実際に近江菅浦にあった記録を下敷きにしているそうで、室町時代の惣という村社会のありさまが実に生き生きと描写されている。 たしかな筆力である。 評価は☆。 歴史好きなら、読んで損なし。 昔から、境界争い、あるいは水争いというのは、どこにでもある話であるが、それだけ根も深い。 境界にせよ水利権にせよ、それは生活と直結しているからである。 なので「平和に話し合いで解決しましょう」などという話は、なかなか通じにくい。 判決を守らせるのは、何を隠そう、国家の強制力、つまり権力によるわけである。 しからば、生活を守るためには、権力を味方につけねばならない。そのために、金も使う、情熱もそそぐ、付き合いもする、おだてもするしおべっかも使う。 すべて、己の権利ひいては生活を守るためなのである。 そのたくましさが、登場人物一人一人に現れている。 こういうたくましさに、最近の我々日本人はどうも欠けているように思う。
それが豊かになったということなのかもしれないが、どうも、不安なことであるなあ。 |
