メンタルヘルス

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魂を揺さぶる

 前回の話は分かり難かったかもしれないと思ったりします。障害者差別だと言う方もいるかもしれません。

 問題は精神障害者をむやみに興奮させる害というのを、看護側が意識していることにあります。興奮するとブレーキが効かずに抑えるのに、看護する方も本人にも大きな負担になる事に因るのだと思います。

 そういう意味では、静かな感動というか、喜びを如何にして与え、感じさせるかが大きな問題なのでしょう。だから他者から与えられるものよりも、本人自身が表現することの重要性があるのではないかと思うのです。いわゆる芸術療法と呼ばれるものです。

 他者から与えられるもの、音楽でも、映像でも、刺激にエスカレートして行く傾向は、私なんか典型かもしれませんが、強い刺激に向かって突き進んでいく傾向は強烈にあります。好奇心の産物です。
 多分、こういう刺激物に対する依存感覚が最大のポイントなのでしょう。だからコントロールをしなければならず、そういう方向に身体を向けさせないように、規制する。それは看護側もそうであるのは当然にしても、患者自身もそちらに身体を向けないようにしている、向けない努力をしている事が、実に「普通」に感じさせるものかもしれません。

 彼らの真面目さ、純真さが、異常というものを拒否させる、好奇心を抑制させることにも繋がっているのかもしれません。まだ、よく分からない。

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魂を揺さぶる歌

 この間、NKHで竹原ピストルさんを取り上げている番組がありまして、そこで初めて、こういう人がいるのだと知りました。多分、若い方々というか、30代以下の人にはよく知られているのではないかと思います。

 私らの世代では三上寛という歌手がおりまして、多分、今でも活躍されているかな? まぁ、よく分かりませんが、魂の叫びが強い声となって伝わってくるものです。アメリカのブルース・スプリングフィールも典型でしょう。

 精神障害の世界では、何故か、こういう魂を振り絞るような歌が流れる事はありません。何日か前にもとがったものが無いということを書きましたように流れるのは常に軽い音楽です。。
 よく分からないのですが、魂を震わせてはいけないのかもしれないと昨日、思っていました。変に興奮させる事が問題なのかもしれません。興奮することよりも、それが収まらないことが問題なのかもしれません。

 精神障害者が自身の思いを何人かの前で話をする形の治療があり、そういうものに参加したこともあるのですが、そこでほとばしり出る思いというのは、心打つものがある場合も少なくないのですが、それは共感を呼び起こす事はあっても魂を揺さぶるものではないのかもしれません。揺さぶられるのは健常者だからかもしれません。

 ここらは意外なほど難しい問題を孕んでいるのかもしれないと思ったりします。

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狭い世界

 リタイアした人々は、ひどく狭い世界中で生きている場合があります。一番ひどいのは家からあまり出なくなるというくらいですが、地域内、住んでいる市内とか、隣あった町くらいの狭さです。
 まぁ、私も金が無いものですから、近県くらいまでは行くのですが、泊りがけや新幹線に乗るというのは、昨年、母親を温泉に連れていったぐらいしかありません。

 狭ければ狭いほど、残念ながら心身への影響が避けられないのも、人間という動物、動く事が習性となった生き物にとっては良くない事が発生する様です。

 まぁ、こんなことを書いているのも、具体的な話があるからなんですが、あまり書きこむと、こんなブログを読んではいないでしょうが、それでも差し障りもあるかもしれませんので抽象的にごまかして書いていますが・・・。

 狭い世界で生きるというのは、誰かが支えてくれているからできるのであって、そうでなければできないと思われます。そういう支えに対する甘えを濃厚に感じるのであって、そこでの感情は子供じみたものになっています。

 ある種の気持ち悪さを感じさせるところがあり、そんな年になって、拗ねるとか、ひたすら文句を垂れ、不満を口にする態度とか、オヤオヤと思わないではありません。勝手にやってろ、くらいの気分で見ているだけですが・・・。

 多分、引きこもりというのが問題視されるのは、こういう精神状態に疲れることにあるのかもしれません。 

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思いの塊

 こういうブログを何年にもわたって書きまくるというのは、自分の中に、私の今、直面する過去から現在に至る人生の中にある満たされざるものの塊があるのだろうなぁと昨日、考えていました。

 ボランティアをしている人達には、今でも仕事をしている人もいますし、もう仕事とは切り離れた人達、こちらの方が圧倒的に多いんですが、年齢というよりはコンピュータのネット環境が、若い人に比べて劣っているし、何かネットに働き掛ける人が多くない。
 多分、ブログをやっている人は、2%もいるかどうかでしょう。もっと少ないかもしれません。家に引きこもっている人の方が、もしかすると%は上がるかもしれませんが・・。

 自分でも、どんな塊を抱えているのか分かりません。なかなか自分として、巧く行かない人生であるという事なのか、普通の人の価値観と大きな差異があり、そのギャップの激しさが老年と共に、エネルギーを喪い、これしかなかったという覚悟が揺らいでいるのかもしれません。

 あるいはそういう自身を押し殺し、演技する事にも、老いが作用して苦しくなっているのかもしれませんし、行動力が落ちているために、自身の好みのものに行き当らなくなった、満たされる事が少なくなったことにあるのかもしれません。

 あるいは話を聞いていれば他人様というのは不幸というのは滅多に無いことなんだなぁと感じる事しばしばであることも影響しているのかもしれません。

 胸の中にあるゴロゴロとした何か。もう一つのブログで展開する流通の話にしても、誰にも評価されず、組み立てた論理もなにごとも実現することの無かった思いを引きずっているのでしょう。何も無い、それが人生というものの姿だとしても、仲間すら作りえなかった悲しみを孕んでいるのでしょう。
 

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とんがったもの

 障害者社会復帰施設の利用者達の話を何度も書いてきました。その中で、普通過ぎる好みに、戸惑う私自身のことも触れてきました。この謎は解けてはいません。そして考えるのです。何故なのか。

 特異な傾向はみることができない。音楽は常に軽やかな曲が流れています。それもほとんどが80年代のポップスであり、私が聞く事の無かったというか、興味を抱くようなものは何もない。アイドルものも非常に少ない。現代的なものはアニメ・ソングくらいでしょうか。こっちは私には分からないですが・・・。

 多分、心に染み込むような音楽を拒否しているのではないかと思うのと、私が聞いていたような音楽は病的なものとして医療機関から否定されていたのではないかと思わないではありません。

 絵画でも同じです。印象派マネとか、ミレーとか、少し後のユトリロくらい。シュールレアリズムのマグリット、ダリくらいがやっとです。すごく狭い。ムンクの絵は皆知っていますが、それは排除する方が強い。

 とんがった趣味嗜好は完全に排除されている感が強くあります。これも精神科医の指導とか、家族が許容しないせいなのか、内部にあっても表出できない圧力があるのかもしれませんし、自身で封じ込んでいるのかもしれません。
 病の醸し出す独特の風景、うなだれてじっと座る姿、何かブツブツ言いながらフラフラと歩く姿、うつろな目で苦しみなのか、妄想の世界なのか、表情の無い姿など、は個性ではないけれど、何か訴えてくるものがあります。

 人の性格の中にあるとんがった部分を潰しているのは、病の力なのか、医療機関や家族なのか、その差異すらも分かりません。
 この施設の中で、最も異様な趣味、キャラを持っているのは私なんだろうと思わないではありません。

 他のボランティアでも、外にそんな顔は見せませんが、価値観の差異というか、辿ってきた人生の違い、今の環境のギャップの激しさは変わりはしないのです。どちらにしろ、そのことを察する様な人は誰もいません。リタイアした世界では、どうでも良い事の一つでしかないのです。

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