93歳ブログ「紫蘭の部屋」

1月3日、また一つ馬齢を重ねて93歳になり、来訪者も43万名を越えました。老いの一徹であと少し頑張るつもりです。よろしく。。

日々の出来事

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(33)金印の発見

       (33) 「金印の発見」    2月23日  1784年(天明4年) 2月23日 に、福岡の志賀島で百姓の甚兵衛が用水路の手入れに出かけて鍬を入れたところ、堅いものにぶっつかりました。取り出してみるとキラキラ光っています。なんと金無垢の印鑑だったのです。  驚いた甚兵衛はそれを役人に届け、群奉行はそれを藩主の黒田候に取り次ぎました。黒田家ではこの金印を家宝とするとともに、甚兵衛は白銀50枚を頂きました。  まるでおとぎ話の花咲じじいの 「ここ掘れわんわん」 みたいな話ですね。一度裏の庭を掘ってみようかしらん?    一辺が2センチくらいのこの金すべて表示すべて表示

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(68)回国の塔

2017/1/20(金) 午前 11:36

       (68) 回国の塔    〇 「回国の塔」  今から300年ほど前の享保年間の事である。 ある年の秋、佐賀市北川副村の福万寺に仏像を背負った一人の男が一夜の宿を求めた。出迎えた老僧は男のおずおずとした態度に何か深い理由があるに違いないと思い、身の上について優しく尋ねてみた。男の名は諦賢と言ったが、実名は明 ...すべて表示すべて表示

(67)悲劇の女性「秀の前」

2017/1/19(木) 午後 5:54

    (67) 悲劇の女性「秀の前」   「竜造寺隆信」 は佐賀一帯の豪族から身を興し、五州二島の太守として広く北部九州を治めた高名な戦国武将だが、若い頃から何度も肥前を追われた経緯からか、疑心暗鬼にかられやすい冷酷な人物であったと言われている。そのために 「肥前の熊」 という渾名をつけられた。  一方で、そうした ...すべて表示すべて表示

(66)竜造寺氏の盛衰

2017/1/18(水) 午前 11:53

        (66)竜造寺氏の盛衰 (佐賀城・鯱の門    画・南窓さん)    武家社会が発展した鎌倉時代には、各荘園に鎌倉幕府から地頭が任命されたが、肥前の国には高木、竜造寺、於保、八戸,河上などの豪族が現れ、これらがそれまでの荘園領主と争い起こして、領 ...すべて表示すべて表示



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