もうひとつのネコの手
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今週ネコは職場の展示会のために、毎日電車で1時間かけて横浜まで通っています。展示会は明日の日曜日までなので、残念ながらネコは明日の礼拝には出られません。ということで先月同様、ネコのお父さんが助っ人として教会に来てくれることになっています。
「○子(ネコ)がいないと○夫さん(シロクマ)一人で何かと大変でしょう。私がお手伝いに行って、皿洗いでも何でもやりますよ」と言ってくれて、前回に続けて明日も礼拝に来てくれることになっています。
明日の朝からネコの実家まで車で迎えに行ったり、礼拝の椅子並べから食事の用意まで、すべて私一人で準備しなければならないので、ちょっと大変だな…と思っていました。ところが昨日の夕方、私たちの教会に集っておられる主婦のKさんから突然お電話をいただきました。
「先生、日曜日のお昼は私がカレーとサラダを作って持って行きます。」
実は今週の礼拝の報告の時間に、来週はネコが仕事のために不在になる分、前回同様ネコの父が来てくれることを皆さんにもお伝えし、父の救いのために祈ってくださいとお願いしてあったので、Kさんは「牧師一人で準備をするのは大変だ」と配慮して下さったのでしょうね。私からは何もお願いしてもいないのに、自発の心で申し出てくださいました。それはもう本当に大助かりです。ここはお言葉に甘えてお願いすることにしました。
Kさんは今までにも何度も料理やケーキなどを作っては教会に持って来て下さいました。しかもまた料理がお上手な方で、どれもおいしいんです。
私は教会の開拓を始めて以来、教会の方々に「これをしてください」とお願いしたり、「あなたはこの奉仕をしなさい」と命令したことは一度もありません。「私からは言いません、自分がしたいと思った奉仕があれば自由にやってください。したくないと思う奉仕は無理にしなくてもいいです」と指導しています。言われなければ動かない、言われたから嫌々する、という奉仕はあまり好きじゃないんです。牧師に命令されたり頼まれたからする奉仕と、自分から喜んで「私はこの奉仕をしたい」とやる奉仕は、やっていることは一緒でも、中身と価値が全然違うと思うんですよね。この考え方にはもちろん賛否両論があるでしょう。私もすべてにこれが当てはまるとは思っていません。内容によっては、嫌でもしたほうが祝福につながる時もありますし、時と場合によっては牧師として「これをしてください」と指導しなければならないことだってあると思います。でも基本的には私はこのスタンスです。本当に成長した大人のクリスチャンであるならば、たとえ嫌なことでも自分がするようにと示されているならば、それに喜んで従うことができるようになります。単に霊的な 好き嫌い を容認しているわけではないので誤解なさいませんように。
だから自分で言うのも変ですが、私たちの教会の人たちはみんな自由でのびのびしています。私がお願いしなくても、奉仕をしたい人がどんどん積極的に、率先して動いてくれていますし、体力的に疲れている人や、その奉仕が苦手な人は何もしないでゴロンと横になっていても誰もさばきません。その人は他の分野で忠実に奉仕をしておられます。互いの賜物を認め合い、互いの存在と気持ちを尊重しあえるって素晴らしいことだと思いますね。
ですから今回のKさんの申し出も、自分が喜んでしたいと願ってして下さる奉仕なので、私は本当に嬉しいのです。
神様は必要な時にちゃんと必要な人を遣わして下さり、助けてくださいました。ほんの小さな出来事かもしれませんが、私にはこれが感謝で感謝で仕方がありません。一見、小さくて気づかずに素通りしてしまいそうな出来事の中に、私は大きな大きな神様の愛を感じています。そしてそういう中でイキイキと教会生活を喜んでいる皆さんの顔を見ているのが大好きです。
明日もそんな優しい神様の愛の中で礼拝がささげられることが楽しみです。
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