「人生の休み時間」…愛される
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愛される
私たちが日常で着ている服。
布と糸をポンと置いていたら、
いつのまにか服になっていたわけではありません。
天変地異が起こると服になるかというと、
多分、何万年経っても難しいでしょう。
そう考えると、服よりもはるかに複雑にできている生物が
たまたまできたとも思えませんし、
人間ならなおのこと偶然の産物というには無理があるように思うのです。
誰かが人間も含めた生物をデザインして造ったとしか、私には思えません。
だからは、私はその造った誰かを神と呼びたいと思うのです。
もちろん、理科の教科書に、「神が造った」とは書けないでしょうから、
いろんな説が書かれるわけですけど、
天変地異や突然変異や自然淘汰で人間ができたとは思えないほど、
人間は精巧にできていると思います。
(別に進化論を否定するわけではありません。
進化したのかもしれないし、そうでないのかもしれません。
ただ、人間も含めたあらゆる生物が偶然の産物とは思えず、
神が造ったとしか思えないということを言いたいのです。)
神が世界を造り、私を造った、と考えると私はときめきます。
世界を造った神が私の親だと思うとなんとも嬉しくなります。
「神が親だったら、ずいぶんヒドい親だな。
世界にどれだけの悲しみがあると思うんだ!」
と突っ込まれそうです。地震、津波、テロ…
世の中にはいろいろな悲しみがあることは言うまでもありません。
ただ私も子を育てている一人の父親として思うのです。
夕食の直前にお菓子を食べたがる子からお菓子を取り上げると、
子は親をヒドい親と思います。
しかし、親は子に良かれと思ってしているのです。
子は親の良かれと思ってしていることがわかりません。
子は激しく泣いてわめきちらします。
世の中にはいろんな悲しみがあります。
人間の限りある知性で、限られた時間の中では
悲劇以外の何物でないことに確かに遭遇します。
しかし、永遠の視点で見るなら、
いつの日かその悲しみに神の深い意義や計画を
見い出すときがやってくる……
神が親ならそんな日がきっと来ると思わされています。
人生には無駄なものは何一つなく、
すべてがプラスに変えられていく……
私たちは親なる神のもとでそうした人生を送ることができます。
聖書には、神であるイエス・キリストが十字架で死ぬことが描かれますが、
それは神が命を捨ててでも私たちを愛しているしるしです。
命を捨てるほどまで愛している神が
人生に無駄なものが何一つないようにし、
すべてをプラスに導いているのです。
悩みを抱え、打ちひしがれた方々とお出会いし、
その苦しみにしばし耳を傾けることを私もさせていただいています。
ひとしきり話を伺ったあと、神の愛とそこにある希望をお話します。
すると、曇っていた表情が次第に輝いていきます。
親である神に私たちは愛されているのです。
母がその子を慰めるようにわたし(神)はあなたたちを慰める。聖書 イザヤ書六六・十三
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