ふわっとまろやかキリスト教

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

生きる意味を考える その3

ユダヤ人精神科医であるフランクルのこんな言葉があります。
 
「人間が人生の意味は何かと問う前に、
 人生のほうが人間に対し問いを発してきている。
 だから、人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要などないのである。」
 
ユダヤ人であるがゆえに
第二次世界大戦時に、ナチスによりアウシュビッツ強制収容所での生活を
余儀なくされたフランクルの深ーい言葉です。
 
言ってみれば、
フランクルがアウシュビッツにいる意味は何かと問う前に
アウシュビッツのほうがフランクルに対してどう生きるのかを問うている、
というわけで、
 「なぜアウシュビッツにいなければならないのか?」と問うよりも
「アウシュビッツでいかに生きるか?」が問われている、
ということです。
 
私たち、それぞれのアウシュビッツがあります。
逃げたいけど、逃げ切れない運命っていうか…。
そうした試練にぶつかると「生きる意味とは何か?」と考えるんですけど、
フランクルが言ったのは
「その『生きる意味とは何か?』という問いよりも、
試練のほうがあなたに『この状況でどう生きるの?』と質問してるんだよ」
ということです。
過酷なアウシュビッツ強制収容所で生き抜いたフランクルらしい洞察です。
 
野球でたとえるなら、
7回あたりにかなりの点差で負けている状況のようなもの。
そんな時に
「何のために野球をしているのか?」を問うよりも
「この状況でどういう野球をするのか?」が問われている、
というわけです。
人生という試合を途中で投げ出すのか、
最後まで全力を尽くして、人生という試合を戦う抜くのか、
問われているのは私たちなんです。
 
ただ、アウシュビッツ収容所内で、収容前の生活をしようとしても無理だし、
圧倒的大差で負けている中で、一発逆転する以外は意味がない、と思うと
破綻しやすいのも事実。
 
野球も試合に勝つだけがすべてじゃないはずなんです。
たとえ負けても、真剣に取り組むから、感動があったり、
次の試合につながっていくものが生まれてきます。
投げ出して敗北なのか、実り多き敗北なのか、
同じ敗北であっても、試合の勝ち負けを超えた真の勝利があるはずです。
 
この辺は、人生のゴールとか道筋を変に固めてしまって
柔軟性を失うと人生を放棄しやすくなります。
ゴールや道筋が思うようにならなくても、
人生のその場、その時で得られるものは間違いなくあります。
フランクルだって、アウシュビッツ強制収容所での経験が土台となって
大戦後、彼は世界的な講演家、著作家として活躍することになりました。
 
今過酷な状況を生きていたり、当初の目標から遠く離れてしまっていたりする
あなたもその場で得られる実りが必ずあります。
今の経験が必ず生きてくるときがやってきます。
その意味でも、どう生きるのかを私たちは人生から問われています。

閉じる コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

閉じる トラックバック

生きる意味を考える その2

絵が下手なので、自分で描けないのが情けないのですが、
誰か上手な人に描いてほしいなぁと思っている絵があります。
 
それは「人生の道」をテーマにした絵です。
 
しばらく道は続いているけれど、
川があって、道は途切れているのです。
しかし、川をよく見ると、飛び石があり、
その飛び石を渡っていくと向こう岸へ行けます。
その先は、アスファルトで舗装された道があり、
自動車に乗って進んでいけますが、
やがて舗装された道は終わり、草むらになっています。
しかし、草むらをよく見ると、人が歩ける道があります。
その先も、隠し絵(林だと思って、よく見ると動物の姿だったりする絵)のように
よーく見ると、道が隠されているのです。
行き止まりのようでいて、必ず道が準備されていて、
その道は天国へつながっている…
そんな「人生の道」をテーマにした絵が
あったらいいな、と思うのです。
 
まぁ、そんな絵があるにせよ、ないにせよ、
人生の道とはそのようなもので、
ずぅーっと舗装された道を自動車で走り続けるわけには
いかないことは、私が説明しなくたって、体験済みだと思うのです。
 
要は八方ふさがりなのか、
道はあるんだけど、道を見つけられてないか、ということで、
わたしは、絶対、次の道はあると信じています。
 
ただ、自動車に乗り続けたいと思っても、
降りて歩いていかないときがあります。
場合によっては、どしゃ降りの雨の中を
階段を這って昇っていかないといけない時だってあります。
そうであるにしたって、次の道は必ずあるんです。
 
まぁ、私たちのほうが「これは道でない」と決めて、
閉ざしてしまうから、
八方ふさがりに思えてしまうんです。
 
長年、王貞治元監督が「乗り越えられない試練はやってこない」と
よく言っていたそうで、
城島健司選手をはじめ、その言葉に励まされた選手は多いそうですけど、
ちなみに、王さんの言葉の元ネタは聖書なんです。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものは
なかったはずです。…試練と共に、それに耐えられるよう、
逃れる道を備えていてくださいます。」
と元ネタにはあるんですね。
まぁ、ともかく、試練で八方ふさがりのようでいて、
道はふさがらないんですね。
 
ずっと自動車に乗り続けるんだ、と思うと道がなくなることがあります。
でも、舗装された道がないなら、歩けばいい、と思えば道はあるんです。
そして歩けば、運動不足も解消し、周囲の自然も楽しむことができます。
自動車に乗るだけが人生じゃありません。
 
ここで自動車を降りるべきなのか、どの道をどう歩くのか、
しばし立ち止まって思い悩まざるを得ない時があって、
見極めにしばらく苦しみ、時間がかかる時はあります。
それでも次の道は開かれています。
 
だから、書き忘れてましたけど、
冒頭で書いてみたい絵の本当のタイトルは
「最善の人生の道」なんです。
いろいろ思うようにいかない人生ですけど、
ちゃんと最善につながっていると私は信じています。
 
今は歩くのがしんどい…と思っても、
いずれ、ああやって歩くのも悪くはなかったなぁ…。
あれで鍛えられた足腰がその後、役に立ったなぁ…と思える日が
やってきます。
 
だから、人生はいつも最善につながっているんです。
次の道はちゃんとあることを大事にしたいのです。

閉じる コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

閉じる トラックバック

生きる意味を考える その1

ロシアの作家ドストエフスキーが自らのシベリア体験をもとに執筆した小説
「死の家の記録」に流刑地でのこんな拷問について書かれています。
 
小さな部屋の一方の端にあるバケツの水を他方のバケツに移し、
次に他方のバケツの水をまたもとのバケツに戻す。
それを何日も繰り返していると大抵の囚人の頭がおかしくなる、
というのです。
 
つまり、やっていることに意味を見い出せない、ということですね。
 
ただ、もし、このバケツの水の往復を1週間続けることで、
恋人や家族の不治の病が治るのなら、
はたまた、一生遊んで暮らせるお金が入るのなら、
同じバケツの水の往復でも、
続けられる人はそれなりにいるでしょう。
これだと、やっていることに意味を見い出してますから。
 
何のために生きているのか?
という問いは、生きている意味を見失っている姿と言えます。
なんだか、無意味にバケツの水を往復させているかのような気分とも
言えるでしょう。
 
順調なら、生きている意味なんて考えません。
恋人とラブラブな瞬間に「なぜ生きているのか?」なんて
絶対問うはずがないし、
友達と意気投合して心から盛り上がっている瞬間にも
人生の意味を問うことはまずありません。
 
うまくいかないときに
なぜ生きているのか?
なんのために生きているのか?
という問いが、ぽよんぽよん と出てきます。
 
ただ、わたしは思うんです。
人生に無意味なものはない、と。
無駄なんて何一つないし、
無駄と思えたって、経験は一つ増えたわけです。
この経験も財産です。
 
わたしの最初の子は流産でした。
生まれてくることはありませんでした。
激しいショックで、心の芯がグニャリと曲がったような思いになりました。
1年ぐらいは心の中がなーんかおかしくて
歩いているだけで、涙がポロポロ出てきて、しんどい日々でした。
 
でも、今は、天国でその子に会うのが楽しみです。
将来会うんだからと思うと、
メゲそうなとき、投げ出しそうなとき、
「顔向けできんなー」と思うと、もうひとふんばりできます。
今一緒に暮らす子どもたちのことで
思うようにいかないことがあっても
ただ生きているだけで有り難いと思えてなりません。
そんなこんなで
生まれてこれなかった子にわたしは支えられながら生きています。
 
無駄だ、無意味だ、と言いたくなることが
いろいろあると思います。
ほーんとつらいですよね。
ただ、そのつらい経験の中にも
深い意味や人生の財産が隠されていて、
見つけられるのを待っている…
そう思えてならないのです。

閉じる コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

閉じる トラックバック

宗教はコワい? その3

キリスト教は安全ですか?
と尋ねられたら、
どうでしょう?
としか答えられません。
 
恋愛もそうだし、お金もそうですけど、
良いか悪いか、なんて、簡単に言えないんです。
現実逃避的な恋愛をして、
学業や仕事を放り出し、社会的な責任を投げ出したら、
悪い恋愛でしょうし、
お互いを高め合い、成長させ、
二人もラブラブだけど、それぞれ自分のなすべきことをして、
周囲にも良い影響を与える恋愛だってありますよね。
 
お金も、使い方次第で、困っている人を助けることもできれば、
ナイフを買って人に斬りつけることだってできますよね。
 
キリスト教も、その人がどう向き合うかで
プラスになったり、マイナスになったりもします。
 
キリスト教原理主義者だと言って、
暴力を肯定する人もいれば、
マザー・テレサのように
人々に仕え続けたキリスト者もいます。
 
敵を愛するようにとキリストは言ったけれど、
そこは都合良く無視して、現実逃避して、相手をやっつけようとする人もいれば
現実から逃げずに、敵のような相手も愛していこうとして、
よりよく生きる人もいます。
 
キリスト教やイスラム教のような一神教だから戦争になる、
という人たちがいますが、
じゃあ、仏教や神道の人は戦争しないか、してこなかったか、というと
歴史を見れば、そうじゃないことはわかりますよね。
第二次大戦時は、日本では皇居に向かって宮城遥拝してましたし、
「天皇陛下、万歳」と叫んで、戦争してきたわけです。
 
別に、仏教や神道を批判するわけじゃなくて、
キリスト教でも他の宗教でも、現実逃避的か、よりよく生きる道か、
人の受け取り方で大きく変わるということです。
 
そういう意味で、宗教は危険だし、コワいもの。
それはまた、火のようなものとも言えます。
火は、火事になる危険もあるけれど、
火があるからこそおいしい御飯が食べれて、
車も走るわけで、火の恩恵はいっぱいです。
 
火に向き合うように、宗教にも向き合う…
そんな姿勢を大事にしたいと思うのです。
 
 

閉じる コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

閉じる トラックバック

宗教はコワい? その2

宗教やっている人って、独特の異様さがあったります。
(牧師がそんなこと言っていいのか、と言われるかもしれませんが…)
 
周りの声を聞いてなくて、
自分の世界に入り込んでいて、
目が血走っていて、ひたすら突っ走っているような…。
 
そういう姿を見ると、
「宗教ってコワいなぁ」と
牧師のワタシでも思います。
 
現実を生きるって厳しいですよね。
いろんな責任を背負ったりして…。
だから、そんな現実から逃げるために
宗教に陶酔する、埋没するってあたりが
宗教やっている人の異様さなのかなぁ…と思うのです。
 
健全な宗教って、よりよく生きるためのもの、だと思うんです。
それは信じる人自身がよりよく生きるようになったり、
社会で弱っている人、困窮している人がよりよく生きられるようにできることをする、
そういうもののはずなんです。
 
ただ、現代って、
なんだかんだ言って、
生きづらさが増していると思うんです。
自死者数は毎年3万人以上出続けていますし、
心病む人も増えているようで、
苦しさを抱えている人がいっぱいいて、
そうなると、今苦しんでいる人にとっては
「よりよく生きる」というよりも「現実逃避」にギアが入っちゃう…
というですね、それはあるかな、と。
 
「現実逃避」にギアが入っちゃうと
その宗教の人って異様になっちゃうんです。
なーんか、かつて白装束集団とか、あったじゃないですか。
現実逃避的で、異様でしたよね。
 
そうじゃなくて、
「よりよく生きる」ほうにギアが入っていると、
多少、違和感があっても、変な異様さはないと思うんです。
 
まあ、でも、その辺も、
わたしが説明しなくても、
だいたい多くの人は、感覚的にかぎ分けておられるか、とも思うんですけど。
ただ、家族とか友人とかがそういう変な異様さを持つ宗教に
のめり込むってことはありますよね。
 
でも、それは、その人にとって、
「現実逃避」しなくちゃならないくらいの切なさはあったんだなと思います。
 
変な宗教を止めさせるのなら、
現実逃避せざるを得ない切なさも受け留めていく姿勢は
すごく大事です。
 
それから、現代はいろんな宗教があるから、
本物を嗅ぎ分けるセンスって必要だと思うのです。

閉じる コメント(0) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

閉じる トラックバック

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
  今日 全体
訪問者 31 182105
ブログリンク 0 51
コメント 0 2578
トラックバック 0 48

人気度

ヘルプ

Yahoo Image

ブログバナー

検索 検索

開設日: 2005/4/19(火)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.