ユース・キャンプで考えたこと

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日本宣教の現状を打破しちゃいます!

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ユース・キャンプでは、50代、60代の2名のビジネスマンたちが
これまでの信仰の歩みを語る時間があった。
お二人とも、日本代表するいわゆる一流企業の方々であるし、
クリスチャンとしても、どの教会でも信頼されるような
人格的にも、大変成熟した方々である。

ただ、もう一つ、このお二人に共通していたのは、
社内では特に伝道しなかった、ということである。

私はお二人を非難するつもりは全然ない。
これが日本のキリスト教の現状だからである。
つまり、伝道したくてたまらなくなるほど、
クリスチャンとノン・クリスチャンに決定的な差がないのである。

クリスチャンが「これはホントにいいっ!!」と思っていたら、
ノン・クリスチャンに伝えたくなってしまうのである。
逆に「これは伝えるほどのこともでない」と思っていたら、
ノン・クリスチャンに伝える必要性は感じないものである。

ユース・キャンプで、ある若者と家族伝道について語り合ったが、
「クリスチャンになっても苦しみは続き、
ノン・クリスチャンになっても人生に苦しみはある、
それなら、どうして、信仰を持つ必要があるのだ」
という話になった。

つまり「宗教は弱い人が信じる者であって、
同様に続く人生の苦しみを耐えきれそうもない人が信じればよい」
ということになる。

この考え方でいけば、
上記のクリスチャン・ビジネスマンたちを含めた多くの日本人クリスチャンが
積極的に伝道に出なかったことは
至極当たり前のことだと思う。

つまり、クリスチャンたちが、
多くのノン・クリスチャンが持つ
「宗教は弱い人が信じる者であって、
同様に続く人生の苦しみを耐えれない人が信じればよい」
という発想を
根本からくつがえすぐらいの福音の提示ができなければ、
伝える必然性はなくなる。

多少、空腹なときに、うまくもまずくもないようなおやつ(福音)を
積極的にあげたいとは思わない。

しかし、多少、空腹なときに、健康にもなれて、元気いっぱいになれる食事(福音)なら、
積極的に与えようとするだろう。

ビジネスマンをはじめ、日本人は見る目が鋭い。
福音が、うまくもまずくもないようなおやつなのか、
健康にもなれて、元気いっぱいにもなれる食事なのか、
彼らはしっかりと見ている。

クリスチャンもそれがわかっているので、
積極的に福音を提示することができない場合が多い。

これが日本のキリスト教の現状である。

つまりその中で、ホンモノの福音とは何だろう…と
俺は戦っているわけだ。
そして、以下のことを伝えたい…。
「今まで、人生は苦しみの連続と思っていたけれど、
福音によって、苦しみはすべて宝に変えられ、
あなたも最高に味わい深い人生を送れてしまう!!」ってね。

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牧師らしくない

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ユース・キャンプで、何名かの若い人たちに
「久保木先生は牧師らしくない。一信徒みたいだ」と言われました。

うーん、私は牧師らしくするつもりがあまりないのです。
世間の描く、また信徒の描く牧師のイメージに沿えば沿うほど、
私は、窮屈さを感じてしまいます。

もし、神が私を牧師として召し出したのなら、
私が私らしくあれば、牧師としての使命を果たせるはずです。
だから、私は、牧師らしくあろうとするよりは、自分らしくあろうとしています。

ある方から、
「あなたのようになろうとしてもなれないし、
あなたのようになろうとしたら、自分が崩壊する」
とのコメントをいただきました。

私が私らしくあろうして、
私にあるものを最大限活用しようと生きているのに、
その方がその方にあるものを最大限活用して生きるならともかく、
そうではなく、
その方が私のようになろうとしても無理があります。
それは、いみじくもその方がおっしゃったように崩壊してしまいます。

その方はその方の良さがあり、その方は自分にあるものを最大限生きるとき、
とても輝いた人生を送れてしまうのです。

私は私らしく生きたいし、
私に与えられた持ち味を最大限発揮して、
神と人に仕えて生きたいのです。

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トラブル?

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今年7月30日(土)〜8月2日(火)、
所属教団である日本ナザレン教団の青年向けの献身者奨励キャンプである、
ナザレン・ユース・キャンプに参加した。

キャンプは、静岡県伊豆での開催。
出発日の鹿児島は豪雨であった。

さて、予約していたスカイマークエアラインの飛行機は
搭乗手続きまで完了し、搭乗口前で待機までしていたのに、
豪雨のため、乗る予定だった飛行機が鹿児島に着陸できず、
結局、欠航になった。

それで、スカイマークのチケットを払い戻しして、
JAL便に乗り換えることにした。

それで、参加者がこぞって乗る貸切バスには乗れないことになった。

帰りの今日は、羽田空港の管制塔のトラブルで、
飛行機のダイヤが乱れた。

さて、そんなこともあって、
「大変でしたねぇ」という言葉をここ数日、よく耳にした。
そうやって心遣いいただく気持ちは大変嬉しいし、
ありがたいことである。

ただ、この状況を通った私自身としては、
さほど大変なことだとは思っておらず、
「大変でしたねぇ」は私自身にとっては違和感があった。

すべては神さまの御手にあって起こることであり、
自分で飛行機の発着時間をコントロールできるわけでもない。
自分という人間は置かれた状況で、できることをするだけである。

確かに「大変」とも言えるのかもしれないが、
置かれた状況で「できることをした」それだけである。

人生は想定外のことでいっぱいである。
想定外のことでいちいち落ち込んでいたら、
大変なことになる。

以前なら、想定外のことが起こると心が乱れていたと思うが、
最近、そうでもなくなった。

神さまが毎日、「内なる私」を新しくしてくださっている。
環境にさほど振り回されない人間に神さまが刷新し続けている。
私は、環境に振り回される人間なのだが、
神さまが私を新しく造っているのである。

人生は想定外のことが起こる。
想定外のことが起これば、できる範囲のことを精一杯やるだけである。

そういう生き方を自力ではなく、
神さまのほうが一方的にそういう生き方ができるようにしてくださった。

ユース・キャンプで、ある集まりの司会をして、
パワーポイントの準備もばっちりしていったし、
また賛美も、曲同士のつながりがよくなるように、
従来の曲を転調させた楽譜を準備し、
賛美の流れがよくなるようにしていた。
また、その中で、一部分、映画の上映も考え、
鹿児島教会の会員であるM氏に忙しい中、頼んで、
映像の準備をしてくださり、
M氏も大変良い仕事をしてくださった。

しかし、始める直前、パソコンの調子がおかしくなり、
準備したデータは全く使えなくなった。
ということで、徹底して準備したプログラムは全て変更せざるを
得なかった。

以前の私なら、「ここまで準備してきたのに…」と思ったのだと思う。
でも、今の私は「今の状況でできることをすればいい」としか思えなかった。
それで、置かれた状況でできることを精一杯させていただいた。

トラブルがあることはいけないことなのだろうか。
想定外のことが起こることは不運なのだろうか。

最近は全くそうは思えないのである。
置かれた状況でできるだけのことをする。
そうすれば、人生はとても楽しくなる。

準備してくださったM氏には大変申し訳ないとは思っている。
しかし、人生は想定外のことが起こるし、
準備したものがおじゃんになることがある。

ひるんでもしょうがない。
やれることだけはやる。

キリストが私の内に生きて働いているので、
そんな生き方をしてしまえるようになっている。

ただ神に感謝である。

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開設日: 2005/4/19(火)


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