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海軍式敬礼

 先日、とある高名な海軍研究家の方に、「海軍式敬礼なるものはない」という手厳しい指摘を受けました。その方がおっしゃるには、海軍礼式令でこれが敬礼のやり方だというものの規定はなく、基本さえ押さえておけば、敬礼は個人の個性でよい、とまあ要約すればそのような内容でした。
 
 そこで疑問となるのが、ではあまたの海軍戦記ものに登場する「海軍式敬礼」はなんだったのか?ということであります。僕もその方から指摘を受けるまで、実際「海軍式敬礼」なるものが存在していたと思っており、さらに僕自身も実際に元海軍下士官の方から、海軍式敬礼なるものを見せていただいておりましたので、そのような海軍独自の敬礼がある、と認識しておりました。
 だからこそ、過去の記事にある、硫黄島からの手紙での、中村獅童さんが演じた海軍陸戦隊士官の敬礼の仕方について批判をしたのでありました。
 しかし、その方は「それは違う。決まったやり方がないのだから、敬礼の仕方は自由である」ということでした。
 
 では、その「海軍式敬礼」の出所はいったい・・・・???
 
 指摘をされた方は、こう言っておられます。
 「終戦近くなって、極端に脇を締めて肱を前に出す “おかしな” 敬礼が一部で言い出され、指導がなされたこともありましたし、またそれを習った一部の旧海軍軍人で戦後に 「海軍の敬礼は・・・・」 という者も中にはいることも確かです。

 そして、これがさも旧海軍における “正しい” 敬礼であったかのように流布されることになります。

 “狭い艦内では、云々・・・・” などともっともらしく。」
 
 まあ、僕の受け取り方としては、海軍での法令ではこれといった敬礼のスタイルはなかったのだが、終戦近くになってなぜか「海軍式敬礼」なるものの指導が行われるようになり、それが俗に言う「海軍式敬礼」のスタイルとして伝えられた、ということでしょう。
 
 まあ、ここまでは納得いたしました。しかし、その次の言葉が、僕にちょっと疑問が・・・
 
 その方いわく、ネット上での敬礼スタイルについての批判を、
 「私などからすれば、単に “聞きかじりの知ったか振りさん” でしかありませんね。」
といった言葉ですね。僕はこれにひどく憤りを覚えました。
 確かに、僕は海軍教育を受けているどころか、当時生まれてさえもいませんでした。だから、総ての軍にかんする知識は、戦後の回想録や論文、戦史叢書や聞き取り調査等の「聞きかじりの知ったかぶり」です。ということは、その方からすると、僕のような研究者は何も知らないくせに、えらそげなことを書くなといわれたようなものです。さらにいえば、その当時のことを知らない人間は海軍(あえていうなら陸軍)のことについて知ったかぶりで言うな、と僕の活動事態を否定されたようなものです。
 あと、元海軍軍人の方が書かれたことを、その方は暗に「否定」をしていることになりかねません。歴史というものは、色々な見方もありますし、これといったものがあるとは思えません。例えば、織田信長が好きな方は織田信長を称賛したしますが、上杉謙信や武田信玄が好きな方は信長を対戦相手として見なします。それによって見方はおのずと変わってきます。
 旧海軍についても同様です。海軍好きな方は、海軍を「ひいき」しますが、陸軍が好きな方はこれをよしとはしません。このように、おのずと色々な見方もできますし、これといった決まりもないかと思います。
 海軍式敬礼についても同じです。確かに法令ではそうかもしれませんが、では終戦近くに指導をされた敬礼が「正式に決められた敬礼ではない」という証拠があるのでしょうか。公式的にせよ非公式的にせよ、それが海軍部内で指導されたのであれば、それが正式な敬礼であるかと思います。また、硫黄島からの手紙での陸戦隊士官の敬礼についても、年代的にいえば、そのような海軍式敬礼の指導がなされた時期に近く、彼のようなちゃきちゃきの士官がそれを行っていないというのは、ある意味疑問ではあります。
 
 まあ、敬礼のことはさておいて、まずは聞きかじりの知ったかぶりと言われたことが納得いかないですね。そうなると、これから陸海軍史を研究される方のほとんどはこうなることは明白であり、そうなるとほとんどの方は否定されかつ研究することさえ単なる聞きかじりの知ったかぶりな者たちと一刀両断されたようなものです。
 
 この僕の主張、皆様どう思われるでしょうか。
 ちなみに、僕の陸海軍研究に対するスタンスは、「個々の方の証言や回想録、記録は、多少の事実誤認や自己弁護があったとしても、それが証言者や執筆者の見て体験したものであり、すべてが事実である。それを検討して自己の見解を披瀝するが、相反する記述があってそれを知ったならそれも併記すべきである。また、世の中総ての資料や証言、記録、回想録は完璧ではない。これを判断するのは個々の自由であり、勉強次第では、その後の記述内容の変更も必要である」ということです。
 海軍式敬礼についても、僕の意見としては「基本の形さえできれば、あとは個人の自由裁量に任されていたのは理解します。しかし、終戦近くになり海軍式敬礼なるものが内部で指導をされるようになったのであれば、それも一種の正式な敬礼であり、これが海軍式敬礼だと主張しても差し支えない」ですね。
 あと、僕も含めて、戦争を知らない世代が単なる本や資料で得られた知識は、どんなに頑張っても単なる「聞きかじりの知ったかぶり」に過ぎない、ということか・・・

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虎巨人様

大尉の発音の仕方についても、戦後では濁るか濁らないかとの論争がありましたが、それもしょせんは聞きかじりの知ったかぶりに過ぎないことになります。海軍の法令のどこをみても、そのことについての決まり事はないので。そうなると、当時の人の好みで使い分けられていた、ということになるので「公式」ではないでしょう。ただ、当事者たちの体験したことを考慮すれば、「正式」な言い方の一つ、ということもいえます。

とある方が言っておりましたが、終戦後も戦争前からの伝統を守り抜くことに精魂を傾け一種独特の雰囲気を持っているのが海上自衛隊だそうです。戦後におけるGHQや対外的なことでの主導権を握るためにあえて組織維持を放棄してでも取り入った旧陸軍幹部たちと違い、旧海軍幹部は自らの組織保全に力をいれた結果、終戦後におけるGHQとの交渉や政治的な面の活躍はなされず、いまだに終戦後の旧海軍軍人の活動はよく分かっておりません。そのため、自衛隊発足時には、陸上自衛隊は全く旧軍とは違った組織になったが、海上自衛隊は海軍の伝統を継承した、といえるそうです。

2010/7/4(日) 午前 8:42 [ へたれ海軍史研究家 ]

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桜と錨様の言い様に少々御怒りであった御様子ですが、あまりお気になさらないように。あの方はもと海上自衛官であり、砲の事のプロフェッショナルですが、旧海軍軍人でもなければ、実戦に参加された訳でも御座いません。「所詮聞きかじり」なのは一緒です。
日本の場合、一般の軍事知識がお粗末過ぎる為、一部の自衛官(元自衛官)は、一般の研究者を根拠も無く見下す態度を取ったり、素人扱いする傾向があります。私の知る限り、桜と錨様は大変よく研究されている方ではありますが、やはりその様な雰囲気がある様に思えます。 削除

2010/11/5(金) 午後 9:51 [ 風間陣 ]

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えーと、少し説明を加えます。
自衛官は、自分の職務に関する事項については勿論詳しいし正確なことを知っていますが、他のことであれば同じ自衛隊の事であるにも拘らず、全く知らないことも多いです。それでも外の人に聞かれると知ったかぶりをしてしまったりします。
これは自衛官だけではなく帝国陸海軍の方も同じでしょうし、軍事以外の他の業種にも当て嵌まると思います。
研究される際、特に当事者等からの体験談を聞く際は、あくまでも「その人にとっての現実」であり、必ずしも『全て』とか『一般的』である訳でないことに留意して下さい。

それでは、今後もご研究を頑張ってください。 削除

2010/11/5(金) 午後 9:52 [ 風間陣 ]

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風間陣様

当方へのブログ来訪ありがとうございます。
聞き取り調査をしていると、現代のような情報があふれている時代と違い、個人の方が知り得ること、体験し得ることの範囲は狭かったようです。そのような状況で調査をしているとどうしてもウラを取ることを忘れてしまいます。現に私も聞き取り調査をしていて、戦後の戦記物の内容と酷似すること即ち自らの体験ではないのにさも自らの体験のように語る方もいます。このあたりの見極めが大変です。
桜と錨様のおっしゃることも実は「正論」であり、正しいのであります。かといって、戦争体験者の方の言うのも「正論」であり、では「真実」はどこにあるのか、といえば、総てが「真実」だと言わざるを得ません。ここらあたりが何か堂々巡りであるのですが、そうなった土壌はどこかにあるわけで、そこを何とか見つけ出そうと今しているところです。
戦後世代の我々が、海軍式敬礼なるものがあると誤認する原因となった書物は恐らくこれでは・・・と思うものがあります。ここから我々戦後世代は吸収したのだと推定しております。

2010/11/5(金) 午後 10:16 [ へたれ海軍史研究家 ]

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風間陣様への続き
では、戦中派の方は・・・というと、昭和18年に海軍に入った学徒出陣の方が海軍式敬礼をなさっていたので、少なくとも昭和18年までにはいわゆる海軍式敬礼なるものが指導されていたのでは・・・と推定しております。で、うがった見方かもしれませんが、海軍側の陸軍に対する「差別化」に端を発していたのではないのか・・・と思っています。これも、証明する一次資料がないために、古書店やヤフオクを血眼になって探しております。

2010/11/5(金) 午後 10:19 [ へたれ海軍史研究家 ]

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風間陣様

桜と錨氏の厳しい指摘に対し、私としては確かに最初はいい気はしませんでしたが、後から考えると多くの教示を弱輩の私に与えてくれたと思っております。自衛官に限らず、戦争をしらない私たちの世代も、視野は狭くなり他人をさげすむ傾向があります。学問というものは常に謙虚にならなくてはなりません。そこからはじめて学ぶということができ、歴史においてはとくに当時の人物と「会話」ができると思っております。歴史というものは残酷で、後世の後知恵で評価をしてしまいます。そうではなく、本当に当時の人の立場や環境を考えれば、簡単には批判はできないのです。そのことを気付かせてくれたことは私にとって大きな収穫であり、桜と錨様に感謝はしても憎しみは全くありません。

2010/11/5(金) 午後 10:24 [ へたれ海軍史研究家 ]

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風間陣様

風間陣様のアドバイスもよく理解できます。研究者というのはとかく、自己の考えに陶酔しがちであります。一つの資料でさもそれが唯一の事実である、となりがちであり、かくいう私自身もそうなっておりました。私にとって「海軍式敬礼」の件は、そういったことに対してまさに「目を覚まさせる」きっかけとなりました。おかげで、海軍史を見るために、陸軍側の視点から見るとどうなるのか?ということからはじまって、今では陸軍側の戦史を専ら勉強しております。

このブログをやってよかったと思うのは、私のようなまだまだ未熟な者で、時として鼻を高くしがちな者に、桜と錨氏や風間様のような方がアドバイスをしてくれることです。これは何ものにも代え難い、私にとっては大きな励みともなっております。まだまだゴールは当分先のようですので、お二方の言葉をしっかり胸に刻み込んで、謙虚に精進していきたいと思います。

風間様、ありがとうございました。これからもご来訪いただき、いろいろとご教示を御願いいたします。

2010/11/5(金) 午後 10:31 [ へたれ海軍史研究家 ]

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はじめまして。日本の将来に不安を感じていましたが、
へたれ様が桜と錨のブログ・コメント欄で、立派なご返答で締めくくられていらっしゃったのを拝見して、
この国も捨てたもんじゃないな!と勇気が出て参りました。
どうぞこれからもお元気で。 削除

2011/1/18(火) 午前 0:34 [ おたんこナース ]

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おたんこナース様

はじめまして、へたれ海軍史研究家と申します。桜と錨様のブログでのやりとりは、賛否両論あったようです。当方としては、最初から桜と錨様と争う気は毛頭なく、単に今までそう言われてきたことがなぜ違ったのか、ということを知りたかっただけだったのですが。歴史というのはどこかで間違って伝わっている可能性が多く、その原因を突き止めるのも研究のために必要だと思っております。特に、太平洋戦争という、日本人にとってとても不幸な歴史がなぜ起こってしまったのか、ということについて、自虐的でも否定的でもなく掘り下げることが、過去の戦争に対する最大の「懺悔」「贖い」、さらに亡くなられた方への「供養」になるのでは、と日々思っております。
僕のような、戦争を知らない三十代半ばの人格形成もままならない人間に、とことん付き合ってくれた桜と錨様には感謝しております。
おたんこナース様、こちらにも気楽に来訪していただければ、と思います。コメントありがとうございました。

2011/1/18(火) 午前 6:33 [ へたれ海軍史研究家 ]

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ご親切にレス有り難うございます。

史実について自虐でも否定でもなく掘り下げる・・・とても大切な事で素晴らしいと思います。
感情や思いこみなどの主観とは分けて、
どんな時でも客観的事実を一つ一つ積み上げていければ
戦争という大きな「ミス」は防げるかも知れないです。

PS. 前回自レス「ご返答で締めくくられていらっしゃった」・・・二重敬語&ざぁます系ですみません^^;
正)「締めくくっていらっしゃった」です。 削除

2011/1/27(木) 午前 0:48 [ おたんこナース ]

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おたんこナース様

歴史というものは、感情や思いこみ等が先に立って形成されていくものです。その前提に立って、客観的に見ていくには、自国の歴史だけでなく、他国の歴史も掘り下げる必要があります。太平洋戦争が起こったことについて調べるには、少なくともアメリカ、ドイツ、イギリス、中国、ソ連の当時の状況についても調べなくてはなりません。それぞれの国の思惑と情勢を把握してでなければ、あの戦争を理解したとはいえません。かくいう僕も理解をしているとは思っておりません。

2011/1/27(木) 午前 5:28 [ へたれ海軍史研究家 ]

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海軍式敬礼については、その後何人もの元海軍下士官兵さんたちに聞き取りをしたのですが、どうしても海軍式敬礼の動作と名称を使用されます。いつからですか?と聞くと必ず、最初っからだ!とのこと。いったいいつごろから海軍式敬礼が指導され始めたのか・・・もう歴史の中奥深くにいってしまったようですね。推測なのですが、本土決戦が現実化した大戦末期に、陸軍と海軍とを合体させようとする動きがあったのですが、その過程において海軍が反発をしたことによる連鎖反応だったのでは・・・と思っております。これも確たる証拠がないのであくまで僕の「推測」に過ぎないのですが・・・

2011/1/27(木) 午前 5:31 [ へたれ海軍史研究家 ]

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はじめまして
128万円の大和の模型に付属している人形が肘をはった敬礼をしているのが気になってググっているうちにここに辿り着きました。
私は全く旧海軍の方と接点はありませんが30年ほど前に祖父から敬礼は陸軍はこうで海軍は狭いところでするから隣に当たらないようにするんだといわゆる海軍式の敬礼を教わりました。
ただ祖父は「陸軍」の「伍長(と書かれた写真が残っています)」で「大陸に行っていた」というので教育で習ったとは考えづらいのですが・・・。逆にだからこそ一般的にはそういう形で定着していたのではないかと思いもします。まあまさに知ったか振りではあるのでしょうが祖父に聞いたことを頭ごなしに否定されたくはないという想いもありますが・・・。
ところで大和は艦内が広いので敬礼は陸軍式だったという話を聞いたことがあるような気がするのですがもしそうだとすると規則云々は違うということになってしまいますね。
全くもって好い加減な聞きかじりの話ばかりですみませんが・・・。 削除

2011/5/1(日) 午前 8:12 [ ずんだもち ]

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ずんだもち様

128万円の大和模型ですか!すごい買い物をされたようですね。

海軍式敬礼については、今現在も調査中です。仕事柄、たくさんの方にお会いでき、中には従軍をされていた方もいますので、ここぞとばかりに聞き取りをしております。元海軍下士官兵の方も、人数は少ないのですが、聞き取りをしておりますが、やはり「海軍式敬礼」の話になると肘の当たらないような敬礼をします。しかし、戦争当時の写真をみるとそのような敬礼をしているのに遭遇しません。いったいこれが何を意味しているのか・・・ミステリーの一つですね。

好い加減な聞きかじり、でもないですよ。実際に戦争に従軍された方から聞いた話ですから、立派な聞き取りです。今の時代、戦争について語れる人間が少なくなってきてますから、むしろそういった聞き取りをどうやって後世に伝えていくかが重要になってきます。もしよろしければ、おじいさまのお話を書き込んでいただければ、と思います。

2011/5/1(日) 午後 10:06 [ へたれ海軍史研究家 ]

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レスをありがとうございます。
すみません、128万、ムリです。
紛らわしい書き方をしてしまいましてごめんなさい。
新聞に一面広告で出ていたので気になって調べていました。
ちなみに「銀座国文館」という通販屋さんの商品です。

祖父の戦争体験なのですが小学生の孫に聞かせるにはきつすぎたのか、ほんとにのんきな話だったのか今では確認しようがありませんが揚子江で船が沈んだけど泳げなくて船にしがみついていたので返って助かっただの、銃撃戦が起きた時は後ろのほうで逃げまわっていただのとへたれ海軍史研究家さんが取材された従軍経験者の方からは怒られちゃいそうな話しか聞いていないのでちょっとお役に立てそうにありません。
重ね重ねすみません。 削除

2011/5/2(月) 午後 11:55 [ ずんだもち ]

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ずんだもち様

戦争体験というのは、勇壮な話ばかりでは、表現が悪いですが、面白くありません。逃げ回っていた、というほうが現実的で親近感が持てます。僕が聞き取りをしている方たちの多くが、実は戦闘中は涙目でガタガタ震えていた、とか、何かわけの分からないことを叫びながら引き金を引いた、とか、とにかく怖かった、と証言されております。実際そうなんでしょう。そういったことも、実は貴重な証言なんですよ?ぜひとも次世代へ語り継いでいってください!

2011/5/4(水) 午後 8:47 [ へたれ海軍史研究家 ]

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お久し振りです。
「海上自衛隊 礼式参考」(海上自衛隊新聞社刊)という本を入手しました。
これによると、挙手の敬礼についての具体的な動作として

「右手を上げ手のひらを左下方に向け、人さし指を帽のひさしの右斜め前部にあてて行う。」

とあり、これは訓令に基づくものの様です。これだけであれば桜と錨様の仰るとおりなのですが、この記述に続いて、

「(解)基本教練教範には、「右手の人さし指端と中指の間が右眼の右上と帽子のひさしとの交差点付近(ひさしのない帽子の場合は、帽子の前部下縁との交差点付近)にくるように、右手を軽快に直路を得て上げる。ひじは、右肩先の右斜め前約45度方向にして前腕と手をまっすぐに伸ばし、5指をそろえて手のひらを左下方に向ける。この動作と同時に頭を受礼者の目(受礼点)に向け注目する。」とある。」

とあります。 削除

2011/11/20(日) 午後 5:29 [ 風間陣 ]

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続きです。

つまり、法令、訓令的には桜と錨様が主張されるように、細かくは規定されていない訳ですが、教範レベルでは所謂「海軍式敬礼」を具体的に規定し、その様に、教育、統制している事が解ります。
直接的な証拠ではありませんが、帝国海軍でも同様であったと思われ、海軍礼式令で規定されている以上に具体的な要領が教範(陸軍式に言うなら操典ですが、海軍で何と言っていたかはしりません。)の様なもので、規定され、教育され、統制されていたと考えて差し支えはないでしょう。
機会があればあらためてお知らせいたしますが、陸軍や陸上自衛隊も同様ではないかと思います。

なお、「海軍式敬礼」という言葉自体は、正式のものではなく、俗称でしょう。人数的にも陸軍の敬礼を教育された人の方が圧倒的ですし、おそらくは警察や消防等他の組織も敬礼は陸軍式であったと思われます。それらと異なる海軍独特のやり方として「海軍式」という形容が為されているのだと思います。 削除

2011/11/20(日) 午後 5:30 [ 風間陣 ]

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風間陣様

書き込みと貴重な所見ありがとうございます。実は僕も海上自衛隊の「礼式参考」を購入しているのですが、読むというところまでにはいたっておりません(汗)。
教範類で敬礼の仕方を規定しているのはある意味当然のことであり、娑婆とは違った生活をすることになる軍隊において、ある一定の尺度をもって訓練するためには必要な教科書であるといえます。しかしながら、旧日本軍において「敬礼」に関する教育規定については、礼式令以外では見たことがありません。いわゆる陸軍式敬礼や海軍式敬礼についても、こうだ!ということが書かれた史料や教範を見たことがありません。

2011/11/21(月) 午前 7:43 [ へたれ海軍史研究家 ]

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続きです。

海軍式敬礼についてはおそらく「俗称」だと僕も思います。実際に、元陸軍歩兵の方がまだ入営前に学校教練を受けた際、近所の海軍将校の敬礼のまねをしたら、教練指導をしていた予備役陸軍士官から制裁を受けたそうです。正式な敬礼ではない、ということで・・・
ということは、陸軍礼式令等で規定されている敬礼が本来の敬礼方式であったともとれますし、単に陸軍では違う、ということともとれますし・・・真相としては前者が表向き正しく、その後海軍側が陸軍への対抗意識なのか、それとも単なる格好つけなのかは分からないのですが、変化していったのではないか・・・と思います。それが戦後にまで尾を引いて、なぜか「海軍式敬礼」なるものの俗称が生まれた、ともいえます。その辺、戦後の自衛隊創設にも関係するのかな・・・と愚考してもいます・・

2011/11/21(月) 午前 7:43 [ へたれ海軍史研究家 ]

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