正宗寺蔵「達磨像」
「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士の白嶺と原の白隠」
4月29日、静岡県沼津市原にある 「白隠さんゆかりの松蔭寺」 を訪ねた。
恒例となっている年に一度の、所蔵の書画が虫干しを兼ねて一般公開される日なのだ。
この日、岡本光平先生の白隠禅師の名蹟を訪ねるバスツアーに34名が集った。
禅がなかったら、今の日本文化、懐石料理も活け花もなく、利休も、芭蕉も、武蔵もいなかった。
京都に禅寺や枯山水がなかったら、どんなに寂しいことか。
日本人にとって、禅は空気や水のように身近にあるのだが、いざとなると分かりにくい……。(岡本)
バスの中では岡本先生のレクチャーが行われ、インドから達磨によって中国へ、そして日本に伝わった禅にまつわる歴史を体系的に学ぶことが出来た。
座禅堂
白隠さんが修行し、眠る松蔭寺で、ところ狭しと飾られた書画を拝見した。
84歳で亡くなるまでの晩年に書かれた作品は、野太い線が異様なくらい迫力満点。
「筆の遊びは線自体を深刻さから救い、軽妙で奔放な造形へと向かわせる。そこにユーモラスな白隠画が生まれてくる」 とは、近世日本絵画にくわしい安村敏信・板橋区立美術館館長。
大著 「一遍」 や 「一休」 では手ごわかった栗田勇氏だが、「謎の禅師、白隠の読み方」 は、タイトルからもわかるように、大変読み易く面白かった。
書と画がずば抜けて有名な白隠さんだが、心身の健康法についても偉大な研究者だったことをこの本で知った。
今回、白隠さんの丹田呼吸法を読んだ後で、 「動中の工夫は静中に勝ること百千億倍」 この書を見たら、それまでユニークなデザインだなとしか感じなかった掛軸が俄然、深遠なる世界に見えて来た。
「丹田、つまり下腹部に力を込めて、足を踏みしめて腹式呼吸をする。その時に足は大地につながり、吐く息は口から宇宙へ広がり、吸う息はむしろ踵が大地から吸い上げるというイマジネーション……」(栗田)
「中」 の野太い線が、足の裏から吸い込んだ息を丹田まで、ずう―っと吸い上げて、宇宙までつなげている感じに見えて来た。
白隠さんの太い線で書かれた書や画は、丹田呼吸法によって表現された宇宙エネルギーの波動なのである。
ここで一番驚き面白かったのは、臍下丹田呼吸法では足の裏から息を吸って、口から吐き出すということ、やってみると妙に納得出来る。
龍澤寺蔵 「中」 字
栗田勇氏の次の指摘には、さらに興味が湧いた。
「人間は死ぬまでに自動的に呼吸を続けている。
人間の身体には意識で制御できる部分と制御できない部分がある。
ところが、無意識にいつも勝手に運動しつづけていて、しかもそれを意識で止めたりコントロールできるものは呼吸しかない。
ということは呼吸というものが、意外にも人間の身体とそれ以外のものとをつなげる糸口ではないか……」
「丹田」 について白隠さんが記した 「夜船閑話」 の中に見つけたスーパー禅僧のエッセンスを、栗田氏の現代語訳で最後に紹介させていただく。
丹というものは、生命の磁場のように宇宙に偏在していて、それが神、すなわち無意識の意識、自己暗示と体の呼吸の操作によって、自らのうちに凝集し、気海丹田を充たすということなのです。
丹は、個人的な体の中に蓄えられているものではない。
ひたすら意識を腹に下ろして、丹田に置くことをつとめることだ。
気は個人の皮膚、体を通して宇宙全体に偏在し、流通している。
それを丹田に集中凝集することだ。
大気、天気など、「気」 は宇宙の無に充満している生命エネルギーそのものなのではないでしょうか。
出かけるまで、ほとんど理解していなかった禅の逆説的哲学が、白隠さんの書画と呼吸法によって、朧気ながら垣間見えて来たような気がする。
「君が代」 にも詠われている “さざれ石” が松蔭寺の境内に奉納されていた。
|