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写真の土器の形態図は中国新石器時代の馬家浜文化の土器の代表例です。
写真上段左から1、『豆』2、『鼎(かなえ)』 3、『腰沿釜』
写真下段左から4、『壷』5、『缶』6、『盆』7、『豆』 という名称が付いています。
このうち、我々になじみ深いものは、釜と壷でしょう。盆は『覆水、盆に還らず』という
言葉で有名ですが、現在では写真のような深い容器のイメージはありません。
中国は漢字の国ですから、物には漢字の名前があり、意味があります。物の形状が漢字の基
にもなっています。
例えば、一番と七番の『豆』という漢字は、こうした土器の形に由来しているそうです。
そういえば、何となく似ていると思いませんか。用途は食べ物を盛ったり、スープを入れる
容器といった使用法でしょうが、火にかけて使用した例もあるようです。
壷の使用法は酒や水や食料、種籾を入れる容器に間違いないでしょう。最も、使用する気に
なれば、お湯だって沸かせるでしょう。
五番の『缶』は瓶(かめ)と同じ用途のようです。<水瓶座>という星座がありますが、
水などを入れる容器が主たる使用法でしょう。今でも、空き缶、空き瓶というように、容器
としての名称として使用されています。
ただし、缶や瓶は湯を沸かすための入れ物という意味もあります。薬缶や土瓶という言葉
に、その事が表れています。
鼎(かなえ)という器具は三本の高い足が付いている事からも、調理器具である事が判ります。
『鼎の軽重を問う』という言葉だけは有名ですが実物には無縁です。
三番の『腰沿釜』は、なつかしい形です。戦後になっても、竃でこの形の釜を使用していました。
金属器での、こうした羽の付いた釜は日本で生みだされたものだそうですが、土器では中国の
新石器時代にすでに登場していたようです。
この釜の使用法は形態から、調理器具である事は明かです。
こうした鼎や釜の形態の調理器具は日本の弥生時代には、なかったようです。
土器の容器に三本の足を付ければ、下から薪で加熱出来て、効率的になるのに、何故弥生時代
には出現しなかったのでしょうか。
弥生時代にも、『豆』はありますから、足を付ける事自体は技術的には可能だったはずです。
全くの推測ですが、鼎や釜が登場するためには、キッチンがリビングから独立する必要が
あったのかも知れません。
深鉢や瓶の形態は、囲炉裡のように絶えず熱灰や炭火が存在する環境には適合した調理器具
のように感じます。昔から囲炉裡には、鉄瓶がつきものでしたが、弥生時代にも囲炉裡に、
カメ型土器があって、いつも湯が沸かされていたのかも知れません。
縄文時代の調理器具としての深鉢よりも、弥生時代の調理器具としてのカメ型土器が小さく
なった理由は、案外調理場所の変化も一つの理由であるような気がします。
(注)写真の土器の形態図は『中国陶磁通史』より引用させていただきました。
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土器といえば、考古学的見地が優先されると思い込んでしまうのは、あまりにも短絡的でした。目からうろこです。確かに、数千年前の「暮らし」に関わる研究ですから、いろんな方向から探りを入れないと駄目なんでしょうね。科学を結集して結論付けても、考古学的見解がくつがえされる場面がしばしばありますが、多方向からの検証が不足だったのかも知れませんね。
2005/9/24(土) 午前 6:03
私は素人ですから、自由に何でも調べられます。ただし、現物を除いてですが。。この間行った博物館では、弥生時代のカメ型土器が、ガラスケースの中の壁に掛けてあって、内部は全く見る事が出来ない展示方法になっていました。もう少し、展示方法を考えてもらいたいものです。
2005/9/24(土) 午後 10:20