Ashley事件から生命倫理を考える

世の中は想像していたより、はるかにコワイ・・・

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3月12日のエントリー
「どんなに重い障害のある子どもでも、一定の年齢になったら親元から独立して、
それぞれにふさわしい支援を受けながら、それぞれの形で自立して暮らしていける社会」と、

「そのような社会に向けて、
子どもも親もステップを踏んで自然に親離れ、子離れができるような支援」について
書かせてもらいました。

こういう言葉で書いたのは初めてですが、
これまでいくつものエントリーで書いてきたことを、ここでまとめた、という面もあるので、
私自身の総括メモとしても、これを機にこれまでの関連エントリーを
一度、整理しておこうと思います。

なぜ親が一番の敵にならざるを得ないのか、
親が一番の敵にならなくてもすむ社会と、そのための支援のあり方について
自分なりにぐるぐるしてみた過程のようなエントリーたちです。


【Ashley事件との関連で介護について考えたこと】



【障害のある子どもの親のナラティブ(語り)として書いたこと】



【私が考えさせられた他の親・介護者のナラティブについて書いたこと】



【障害のある子どもの子育てや介護一般について考えたこと】



【こうあってほしいという支援の在り方について考えてみたこと】



【英国の介護者支援について書いたエントリー】



【その他の国の介護者支援について】

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閉じる コメント(2)

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12日のエントリーにコメントしようと思ったんですが、先日これから障害者教育の仕事に携わろうとしている友人と会って、まさに親と子について話をしてたところだったりしたんです。だから考えが次々に湧いて来て頭が一杯になってしまって。
こちらの記事を彼女に紹介したいです。

2010/3/15(月) 午後 1:20 [ MoranAoki ] 返信する

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モランさん、こんにちは。そんなふうに思っていただけたということが、とてもうれしいです。ありがとうございます。

2010/3/15(月) 午後 3:23 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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