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このブログは、福島市を中心とした歴史、文化などを探索するものです。

木幡山隠津島神社

 二本松市木幡字治家に鎮座する木幡山隠津島神社に行ってきました。
 木幡山隠津島神社は本殿が山の中腹にあるので、運動不足解消にもなります。

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 駐車場から出発です。本殿まで徒歩10分とされていますが、早速階段です。ちょっと体が重くなってきたので、嫌な予感がしました。

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 何とか登り切り、山道を進み、木幡山展望台に向かいました。
 木幡山展望台からみた、安達太良連峰、吾妻連峰です。

     安達太良連峰

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     吾妻連峰

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 次は、木幡の大杉です。
 さすがに大きな杉でした。でも、幹内の腐食が進み、大きな空洞が見つかり、倒壊寸前のため10数本の支柱が取り付けられています。

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 さらに山道を進むと、三重塔があります。
 室町時代の文明4年(1472)の建立、延宝2年(1674)二本松藩主丹羽光重公により修復されましたが、明治35年の大暴風雨のため第一層を残して倒壊し、大修理されたそうです。

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  案内図によれば、三重塔の上に隠津島神社の拝殿・本殿があるとのことですが、またまた階段です。

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  やっと、隠津島神社の拝殿・本殿に着きました。寛政元年(1789)造営始めとなり、拝殿は寛政6年(1794)5月竣功、本殿は寛政12年(1800)4月に竣工となり遷宮が行なわれたそうです。

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 12月の木幡の幡祭り(国の重要無形民族文化財)の時に再訪したいと考えています。
ただ、帰宅途中から膝が痛くなり、湿布しているので、鍛えなおす必要があるようです。


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高子金山の伝説と事実

 近頃、著しく運動不足です。このため、何かいいウォーキングがないかと思い、4月29日開催の「春の高子二十境と伊達・箱崎の獅子舞を巡る」(主催:高子沼を楽しむ会)に予備知識なく、ただ「歩く」ことを目的に参加しました。
 その際、見つけた高子沼(伊達市保原町高子)ほとりにあった高子沼案内図の「高子地区の山々は金鉱山だった」との記載が気になっていました。案内してくれた高子沼を楽しむ会の会員の方も、金山があったと説明していました。

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   何か、高子金山関係の資料がないか探したら、「伊達の散歩道 ほばら編」に「伊達政宗の金山伝説が残る・高子沼」として概略が記載されていました。

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   独眼竜で有名な伊達政宗は、高子の金鉱石を採掘・精錬していたが、天正19年(1591)、豊臣秀吉によって伊達郡・信夫郡などを召し上げられ、岩出山に移された際、次期領主の蒲生氏郷に金鉱の存在が分からぬようにするため、堤防を築き、精錬所跡に水を引いて沼にしてしまったという高子沼の伝説のようです。
 なお、上保原村鑑指上帳(寛保2年(1741)6月)の「金銀銅鉄山」に、以下のような記述があり、八拾年(1661年)余以前の米沢藩統治当時に高子の金山を採掘していたことが表されています。
 是者内山銀山掘跡八拾年余以前羽州米沢御知行之節、陸奥信夫瀬上村
 治右衛門申者御願申上、銀山繁盛仕堀尽、其後相止、此外金銀鉄山無
 御座候
 これは、万治元年(1658)12月16日(以御黒印奉行郡代江命令)に「金山近年不吟味故か能山不出候間借米をも致山をも見出候様に可申付事」とされており、米沢藩が鉱山開発を奨励していたことと関係があるのではないかと勝手に考えています。

   一方、「伊達政宗の金山伝説が残る・高子沼」には、高子沼の周辺には金鉱山の坑口が残っており、昭和初期には高子沼の底から中世のものとみられる鉱石粉砕用の石臼や廃鉱石が多数出土したとも記載されていました。
 ということは、高子に金山があったというのは事実ということなので、またまた資料探しです。
○ 「高子沼の伝説を科学する(田子健吉著、昭和25年8月発行)」のP23〜P30に、水路修繕のために減水した高子沼の沼底を昭和12年9月下旬から約3か月調査して、沼底から鉱石粉砕用の石臼や廃鉱石などが出土したと記載されていました。

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○ 「ふくしま伊達の名勝 高子二十境 〜高子熊阪家と白雲館文学〜(松浦丹次郎著、平成24年8月31日発行)」のP31に、高子沼周辺の金鉱山の坑口の写真があったので、現地を探したところ、残念ながら坑口は土砂採掘で消失してしまったようでした。

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                                                                  ↑ 金鉱山の坑口

 ※上の写真の左上の箱崎の愛宕山と中央の大きな家を目印に見当をつけましたが、ちょっと場所がずれているようです。

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 なお、高子二十境については、後日「ふくしま伊達の名勝 高子二十境 〜高子熊阪家と白雲館文学〜」を参考にして、ご紹介することにしています。



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紫神社 その3

 5月7日、goo地図(航空写真)、Yahoo地図(航空写真)及び県北都市計画図(1:2,500)23を持って、福島市大笹生字宮に行ってみました。ところが、現地に行ってみたら、工事中の側道があり、持参した資料とは違った光景となっていました。

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 仕方がないので、5月17日に出直しました。
 初めに、近くの地形の確認です。
 側道脇の田んぼは、持参した資料と形が一致(瓢箪を半分にした感じ)したので、側道脇の水路升にあった3級基準点を測量の起点としました。

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県北都市計画図(1:2,500)は4mmが10mですので、約13mの印〜印(旧紫神社入口)間は約32mになります。

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このうち、印〜印(側道と東北中央自動車道敷地境界のフェンス)側道は、幅員が約8mでした。

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 残りはフェンスから約24mですので、印(三角表示板)が旧紫神社入口ということになります。

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 次に、県北都市計画図で旧紫神社入口〜紫神社は6mmですので、印から北に15m先の三角表示板から西24mに紫神社がみえたはずです。

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 また、県北都市計画図の東北中央自動車道を表す赤線は、東北中央自動車道の路面と勝手に解釈しました。

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 ということは、大体、東北中央自動車道の法面の先にある路面、具体的には流路溝の上の路肩あたりに御神木があったのではないかと考えられます。

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季節外れのりんごの花

近くのりんご畑を覗いたら、小さいりんごの実が付いていました。

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ところが、所々に白いものが付いていました。
よく見ると、りんごの花でした。

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 どうして、今頃、りんごの花が咲いたのでしょうか。

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  いかにんじんは、信達地方(福島県福島市、伊達市及び伊達郡)のシンプルな郷土料理です。なぜシンプルかというと、その名のとおり具がスルメとにんじんだけで、醤油、日本酒及びみりんで味付けしたものです。

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                           ※ 写真はお借りしました。

 福島市飯坂町出身のタレント佐藤B作さんが、テレビでいかにんじんを地域の名物として紹介したことをきっかけにちょっと有名になりました。ネット検索で「いかにんじん」で検索したら、佐藤B作さんの実家らしき商店もヒットしました。
 
 さて、本題です。
 なんと5月9日から「いかにんじん」の味わいを再現した『ポテトチップス いかにんじん味』が地域限定・数量限定・期間限定(東北、関東(茨城県 栃木県 群馬県 長野県 新潟県)、販売予定数:約15万袋、6月上旬終売予定)ですが、発売されたという画期的な出来事がありました。

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 いつも買い物に行く地元スーパーY・BのY店では、すぐ完売、入荷未定という状況です。

『ポテトチップス いかにんじん味』は、スルメのうま味と素朴な味わいが特長なので地元民としては、もうちょっと数量を増やし、期間も延長してもらえればと思っています。



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紫神社 その2

 平成28年1月23日に記事で福島市大笹生字宮地内にあった紫神社が東北中央自動車道建設区域となり、平成20年7月〜10月の間に大笹生字中寺地内に移転、御神木は伐採されたことを紹介しています。


今回、移設前の紫神社と御神木の具体的な場所探しをしました。道標や道路元標は移設されている例がありますが、元の場所がどこだったのかという話になると?????ということが多いのが現状です。そこで、移設前の紫神社と御神木の場所を記録できないか試みることにしました。

図書館などで資料探しでは、全然手掛かりは掴めませんでした。
次いで、ネットの地図(航空写真)です。
goo地図(航空写真)で「福島市大笹生字宮」で検索すると、大笹生の田園地帯が広がります。

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この航空写真は他地図の航空写真より更新されておらず、ある意味で“紫神社探し”では貴重でした。というのは、航空写真を拡大していくと、東北中央自動車道建設区域内に針葉樹が確認できました。

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前回も参考にした「福島の歴史あっちこっち 星宮神社と紫神社」にある伐採直後の場所と合致するようです。

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        ※写真はお借りしました。
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         ※写真はお借りしました。


次は、県北都市計画図(1:2,500)23です。
着目したのは地図記号です。紫神社は石祠(せきし)なので地図記号は路傍祠、御神木は杉だったはずなので地図記号は針葉樹林になります。 

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県北都市計画図の大笹生字宮地内を眺めていたら、東北中央自動車道建設区域内に路傍祠、針葉樹林の地図記号が並んでいるのを見つけました。ということは、路傍祠、針葉樹林の地図記号が並んでいる場所(写真の中央)が移設前の紫神社と御神木の場所ということになります。

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続きます。次回は、現地編です。


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   国道4号の岩谷下交差点から相馬市に通じる国道115号に入り、文知摺橋を渡って直進、ほどなく右カーブを過ぎた箇所(岩谷下交差点から約2km)にある岡山小学校前(現在のセブンイレブン福島山口店前の花壇)に「信夫毛ち摺観世音」の道標(印)があります。

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   この道標は、嘉永2年(1849)5月、「今日楽行年70歳」なる者が、「ひと毎に 忍ぶこゝろ越 もち摺や 老裳わす連ぬ こひのみちのく」の歌を刻んだ「信夫毛ち摺観世音」の碑を五十辺村茶屋下(現 福島市松山町)の奥州街道から岡部の渡しに向かうところ(印)に建立されたとされています。

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     岡部の渡しに行く道の方向です。
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  ※ 五十辺村絵図には、道標設置場所(印)から岡部の渡しに行く道路に「文字摺通」と記されています。

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 その後、場所を2回移転し、平成9年に現在地に落ち着いたとされていますが、前2回は現在地の近くに設置されていたようです。
○ 明治18年(1885)6月に五十辺村の岩谷観音と山口村の文知摺観音を結ぶ直線道路が完成、同22年(1889)5月に岡部橋が完成したことから、五十辺村茶屋下に設置されていた信夫毛ち摺観世音の道標は存在価値がなくなりました。大正元年(1912)11月、文知摺観音を管理する曹洞宗香澤山安洞院の14世瓦嶽玄彰和尚が貰い受け、山口村舘越(印)に移設されました。

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   ※ 明治24年の地図(迅速測図)の印の箇所に移設されました。

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 この道標の裏には、次のように刻まれているようです。
  斯碑旧在五十辺茶 店下部落協賛寄附
  之捩摺仍移建山 口区内焉 玄彰誌
  大正元年十一月  
 
○ 昭和54年12月3日に国道115号の文知摺橋が完成などの道路事情の変化、また、平成元年4月23日の芭蕉みちのく300年を記念した「芭蕉の銅像」の除幕に合わせ、信夫毛ち摺観世音の道標も前日の4月22日に文知摺観音境内入口(印)に移設されました。

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 平成9年に至り、文知摺観音境内入口に移設された信夫毛ち摺観世音の道標は国道115号から約500mも離れ、道標の機能が十分発揮されていなかったためか、現在地(印)に移設されました。その際、道標の汚れが落とされ、信夫毛ち摺観世音と刻んだ部分がペイントされたようです。このため、最初に見たときは比較的新しいものと思ってしまいました。
 ※ 文知摺観音境内入口のどこに移設されたのか確認できませんでした。

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 なお、信夫毛ち摺観世音の道標の「音」の左脇に漢字「不」に似たマークの「几号水準点」があります。詳細については、先輩ブロガーの山口屋散人さんのブログ「山口屋的文化MEN類学」の几号(きごう)水準点ご覧下さい。

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(注)「信夫毛ち摺観世音の道標」の説明文作成に当たっては、「ふるさと 歴史読本 −福島 岡部大壇−」を参考としました。

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中島の地蔵桜

二本松市内の桜の名所の一つ、中島の地蔵桜です。
説明は、次の写真を見ていただくことにします。

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4月9日(土)
午後3時15分〜3時40分頃

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 遠方の山は、安達太良連峰です。

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午後5時20分〜6時40分

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 ライトアップの桜はうまく撮れませんでした。

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“同じ道”の道標

 道標とは、みちしるべともいい、道ゆく人に正しい方向と目的地への正確な道のりを教え示すものです。
 福島市内の道標については、「福島市の文化財(福島市文化財調査報告書第13集)」(昭和48年3月発行)に写真付きで紹介されていますが、道標の全ては網羅していないようです。

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 何気なく「道ばたの文化財」(昭和53年5月20日発行)という本を読んでいたら、“同じ道”の道標というタイトルを見つけました。

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“同じ道”の道標は、福島市渡利字欠下地内の三叉路にあります。

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  「道ばたの文化財」の“同じ道”の道標によれば、自然石の道標に「左右 をなじみち」と刻んである。

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 つまり、この二股の道は右へ行っても左に行っても、やがて同じ道ですよ、という変わった道標。事実、300メートルほどで二本の道はまた一緒になるとされています。

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 しかし、この分岐点から未舗装の道を行ったら、300メートルになっても同じ道にはなりませんでした。

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        道が途中で行き止まりとなっていました。
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  一方、福島市文化財調査報告書第39集福島の村絵図Ⅰに掲載されている渡利村絵図で茶屋沼の北側と南側を通り、その先で交わる“同じ道”を見つけました。

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 また、2万5千分の1福島北部においても同じく茶屋沼を挟んで通る“同じ道”が確認されました。

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  300メートルは1000メートルの誤植のようです。
 
  なお、この道には、明治のころまで、右と左に仲よく塩問屋が1軒ずつ、有力者の家が3軒ずつあって、どちらの道も同じように栄えていたとされており、“塩の道”であったことも分かりました。

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  土日を利用して資料整理していたら、昨年10月末、福島市後援の行事に参加した際にいただいた「福島市民憲章」というリーフレットが資料の山に埋もれていました。

 福島市民憲章には、次のことが記載されています。
わたくしたちは、みどりにつつまれた信夫山と清い流れの阿武隈川をもつ福島市民です。福島市は、地味豊かなしのぶの里に古くから開けた人情の美しいまちです。
わたくしたちは、平和で、さらに住みよく希望にみちたまちをつくるため、この市民憲章をさだめます。
一 空も水もきれいな みどりのまちをつくりましょう。
一 教育と文化を尊び 希望に輝くまちをつくりましょう。
一 親切で愛情あふれるまちをつくりましょう。
一 きまりを守り、力をあわせて 楽しく働けるまちをつくりましょう。
一 子どもからおとしよりまで安全で健康なまちをつくりましょう。

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  さて、本題です。
  福島市の木・花・鳥が制定されているのを知りました。

   市の木はケヤキです。平成元年3月に制定されました。
堂々と根を張り、枝を繁茂させる旺盛な樹勢と美しい樹枝は、「伸びゆく福島」を象徴するもので、進展するまちづくりとあいまって、心豊かな市民性と郷土愛をはぐくむ、県都の木としてふさわしいものであるとされています。
市の花はモモです。平成元年3月に制定されました。
春、市の郊外を美しく彩るモモの花は、信夫野の風物として市民の心を和ませ、希望と活力を与えてくれます。くだものの里として恵まれた自然や風土、心豊かな福島市民を象徴するのにふさわしいものであるとされています。
 
市の鳥はシジュウカラです。昭和62年3月に制定されました。
市制施行80周年を記念し制定されました(明治40年(1907)市制施行)。四季を通じて市内に生息し、身近に見られ、他の鳥と識別しやすく、広く市民に親しまれている鳥で、福島市の良好な自然環境を象徴する鳥としてふさわしいものであるとされています。

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次に、福島市歌です。
何と作詞が北原白秋、作曲は山田耕筰という凄いコンビにより昭和11年11月22日に作られています。
それにしても詞は何とも格調高いものです。特に詞の中にある「東北の関門」とは東北地方を縦断する東北本線と奥羽本線が分岐する重要な駅であること、「桑田」とは日本銀行出張所が東北で最初に設置されたように福島市を含む県北地方が養蚕業・生糸製糸業の発展がめざまし、東北の経済・金融の中心地だったことを表していると考えられます
 
1.     霊山の雲は高く (りょうぜんのくもはたかく)
かがやく朝光 (かがやくあさかげ)
生々の気運ここに (せいせいのきうんここに)
殷賑今ぞ勢ふ (いんしんいまぞきおう)
東北の関門 若き我が都市 (とうほくのかんもん わかきわがとし)
栄えあれ福島 我等開かむ (はえあれふくしま われらひらかん)
 
2.     阿武隈の水は清く (あぶくまのみずはきよく)
後あり大仏 (のちありおさらぎ)
脈々の誠夙に (みゃくみゃくのまことつとに)
産業競ひ奮ふ (さんぎょうきそいふるう)
東北の関門 若き我が都市 (とうほくのかんもん わかきわがとし)
栄あれ福島 我等興らむ (はえあれふくしま われらおこらん)
 
3.     青空の下は廣く (あおぞらのしたはひろく)
沃えたりこの土 (こえたりこのつち)
累々の果実枝に (るいるいのかじつえだに)
桑田いよよ霞む (そうでんいよよかすむ)
東北の関門 若き我が都市 (とうほくのかんもん わかきわがとし)
栄あれ福島我等仕へむ (はえあれふくしまわれらつかえん)



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