「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

自由にも不自由にも首を絞められそうになってる糞爺のブログ (偽サイトにご注意!)

全体表示

[ リスト ]

「与太話」

 
  与太話
 
 この木なんの木、気になる木・・・命の木とは?
 2017/3/20(月) 午前 8:53
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27999776.html
 
 
引用とシャローム氏のコメントです。砕けた話の的外れから、ガサツで押しつけがましい話へと、ひどい話の進め方の悪い見本だと思います。
 

寝たままで床ごと運ばれてきた中風の人にイエスは「起きて歩きなさい」と言われました。
すると、その人は立ち上がって、寝床を取り上げて、歩いて皆の前を出て行きました。
この話は、イエスの言葉にいのちがあることを表しています。
どう思いますか。

 
命について聖書を語るのに、中風の人が歩いた、という奇跡の話を先に持ってくる人の信仰に疑問を覚えます。信仰って奇跡で病気が治る話ですか、もちろん皮肉です。
 
>“この木、なんの木、気になる木”ですね。
>“見たこともない木ですから・・・”
>日立のコマーシャルに出てくる、大きな傘のように枝葉を広げている木は
>ハワイ・ホノルル郊外の公園にあるのを見ました。
 
CMソングの木を旅行で見た話まで書いていますが、聖書の語る命と何の関係があるのでしょう。大きく広がって、人が集まったり、雨をよけたり、という話がネットにはあるようです。また、検索してみると、歌詞の他の部分に、
 
「 見たこともない花が咲くでしょう
  ・・・
 いつか葉が繁って 幹が大きく育って
 根を広げて 森になる日が未来
 その日を その日を みんなで待ちましょう
 夢見て 夢見て その日を待ちましょう
  ・・・
 なんともふしぎな木になるでしょう
  ・・・
 みんながあつまる実がなるでしょう
  ・・・
 その日も その日も あなたに会いましょう
 この木の この木の 下で会いましょう
  ・・・
 見たこともない花が咲くでしょう
 
 花が咲くでしょう 」
 
といった言葉が並んでおり、信仰の比喩に、何となくですが、よいような気もしないではありませんが、彼、シャローム氏は、自慢話と、この木なんの木、の引用以外には関心がないようです。詩心とまでは言わないが、情緒や情感を味わうという感じ方を持たない人なら無理もないと言うべきなのでしょうか。彼は、
 
>善悪を知る木だけでなく、これも食べてはならない木だったのでしょうか。
 
ということから語り始めます。
 
>神の言葉である聖書の言葉は聖書によって理解した方が良いようです。
 
聖書によって正しく理解する読み方を彼は知りません。聖書から、無罪信仰なんて、あり得ませんから。
 
>善悪の木の実を食べた結果、正しいと思う人の言葉である知識や理解では
>もっともらしい理解は出来ても、否定しあう相反する理解も必ずできるのですから、
>論争になるばかりです。そのためにたくさんの神学論争が起こり、
>教派、教団が生まれ、ついには血で血を洗う宗教戦争も繰り返されてきましたし、
>今も互いに批判し合うことで、分裂と争いの種となり続けています。
 
批判を忌まわしいものと思って嫌っている彼の見方がよく表れています。言論である批判も論争も、あってはならないものとして否定している、彼、シャローム氏は、代わりに言論ではなく強制力によって、彼のブログにあったすべてのコメントとコメント欄を削除してしまいました。
 
そして、こともあろうに、互いに批判し合うことで分裂と争いの種となる、と言っています。詐欺師の詐欺師らしい詭弁です。血で血を洗う宗教戦争も、そのせいにしています。恐ろしい曲解と矛盾です。論争になることではなく、論争を拒否する勢力がキリスト教内部にあって、まさに、彼、シャローム氏が、その典型のようですが、それによって、論争どころか、議論も話し合いもしなくなり、批判禁忌という不文律がまかり通ってしまったことを考えるべきです。
 
議論には、議論の作法とかやり方がありますし、また話し合いが民主的であるためには、批判を許容することが大きな要素として含まれているのですが、彼、シャローム氏は、論争はいけないと言論を戒めながら、強制力で自分のブログに有無を言わさない言論統制を敷いている、ということになります。彼は、今まで見てきたことから、民主主義も自由な言論も認めない権威主義者です。
 
>命の木・・・どんなに医学、医療技術が進歩し、
>鋭利なメスや顕微鏡が進歩しても、命そのものを解明し、
>命そのものは神ご自身に属する領域である命を造ることは
>出来ないのではないでしょうか。
 
どう思いますか・・「出来ないのではないでしょうか」と、新提案いかが?というように書いてくる白々しさ、分かるでしょうか。常識的に、出来ないだろう、ということくらい誰でも推測していることでしょう。こんなことをわざわざ書いてくる彼の幼稚さを覚えてください。それでも、彼、シャローム氏は、微塵も反省する気などないのです。彼の記事は、読者が真剣であればあるほど、無駄に疲れさせる要素で溢れています。
 
それと、また詭弁に利用されては困るから言うのですが、「神ご自身に属する領域である命」とは、神が命を創造したという創世期に基づいていることで、そういう、人間にはとても届かない神の領域のことです。間違っても、人間の命は神の領域にあるから、神のようになれる、といったような、詭弁が出てきても頷かないでください。
 
ここで次に、彼は、唐突に話題を代えて、バイメタル、サーモスタット、ブレーカーなど電気の話をします。電気製品の危険性でも言うのかと思ったら、それを、強引に、創世記の話に持ってゆこうとするのです。
 
>電気ではなく、神からの命の流れを調整するバイメタルと考える時、
>神が張り合わせて一体とされたものがありますが…なんでしょうか?
 
>アダムとエバ、男と女、夫婦、結婚・・・が思い浮かびます。
>神のみことばを喜び、受け容れて生きているときは
>神との関係もアダムとエバの関係も、神の被造物を思いのままに喜び、楽しむ、
>エデンの園は神とともに歩んでいたアダムとエバの姿がありました。 
 
>「人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。」
>(創世記・2章25節)
 
>しかし、神のみことばを退けてしまい、
>善悪を知る木の実を食べた時、神の恵みと祝福を失い、神を恐れ、自分を恥じ、
>アダムとエバの関係も破たんし、地は呪われたものとなりました。
 
>アダムとエバの子カインは弟アベルを殺し、
>カインはエデンの園での生き方を失い、人と死の恐怖を抱え、苦しみ呻きながら、
>地上の放浪者となりました。私たちはカインの末裔なのです。
 
罪を犯す前と、罪を犯した後の、人間共通の在り方の話が失楽園ですが、その前と後を、バイメタルのサーモスタットやブレーカーに喩えたつもりなのでしょうか。
 
アダムとエバの話は、遠い昔の先祖のこととして受け取るのではなく、根も葉もないお伽話として受け取るのでもなく、根も葉もある今の人間の存在の由縁と今の在り方に通じるものとして受け取るべきことです。この実存的解釈というものについては、私が求道者であった高校生のときに教会で学んだことで、今も、他に考えようがないということで肯定している解釈です。
 
自分の罪を一切認めない彼、シャローム氏としては、罪を自分に結び付けたくないので、アダムとエバ、あの者たちが罪を犯したばかりに、その後の歴史は悲惨になった、という他罰的思考に徹しているようですが。ということは、残念なことに、彼、シャローム氏のもとに集まった信徒たちは、この実存的解釈を学ぶ機会はないわけですね。しかし、代わりに無罪信仰をすり込まれるなんて、それこそ悲惨で、可哀想です。出会いが、一生を決めてしまう実例になりそうです。
 
アダムとエバの関係が、助け合うべきところを、罪のために、うまくいかず、関係が破たんして、罪が引き継がれた、という話になるのでしょうか、ブレーカーのように?・・。よしてくれ。・・いったい、何のために喩えという表現方法があると思っているのでしょう。別のものになぞらえることで伝わりやすく分かりやすくするためです。金属ブラシで歯を磨くようなことは止めてください。
 
罪というものを、自分に当てはめたことのない者の言です。比喩表現も話の進め方も全くの思い付きでしょう。小学校レベルの連想ゲームでももっとマシじゃないか、と思える話です。
 
金属に喩える必要がどこにあるでしょう、人は意思を持つ生き物です。神が自らに似せて造った、という聖句の箇所を引用したことがあるのに、どうして、こんな愚にもつかぬ話にしてしまうのでしょう。金属と電気で喩えて、譬えない場合と、どのように分かりやすくなると言うのでしょう。思いつき、でまかせ、与太話・・に過ぎないでしょう。作文としては、主旨不明、表現悪ふざけ、0点ではないでしょうか。よくも書けたものです。また、それをよくも投稿したものです。彼は、まさかと思うが、インテリジェントな話をしたつもりなのでしょうか。
 
ちなみに、私は専門分野に進もうとして挫折した者であり、インテリとは言えない者ですが、それゆえに、言葉についても、信仰についても、真剣に考えているつもりです。非常に腹が立ちます・・と言っておきます。少しさかのぼって
 
>昔フランケンシュタインという映画があり、人間が人造人間をつくり、
>人造人間フランケンシュタインが人間に逆襲をするという映画だったと思いますが、
>私はその舞台であったと伝えられるドイツの城跡に行ったことがあります。
 
何のために、この話を、わざわざ挿むのでしょうか。彼は、そういう人、・・というのが、どんどん、表れてきています。ドイツに行ったことがあるのですか、すごい、とでも言われたいのでしょうか。
 
>命の木とはなに?
>私の全く的外れな、まただれから聴いたことでもないのですが、
>最近、あることがず〜っと心にかかっています。
>思い切って書いてみます。
 
虚栄心と自慢癖が常軌を逸して激しいシャローム氏、あなたは、的外れだと思うなら尚更、少なくとも信仰について、思い切って書いてはいけない人だと思いますよ・・。
 
>さて、命の木とは何でしょうか。
>今日の聖書のみことばの黙想とのかかわりがあるように感じますが、
>あなたはどう思いますか?
 
命の木について、彼のこの滅裂な理路の記事で分かる人はいないし、そもそも反省する気もなくて、学ぶ気のない訂正不能の人に問われたくもないし、学ぶ気のない人から教えてもらう気もない、ということです。彼は、ただただ信仰について語る者としての不適を向けられるしかなくなっているのです。人が与えなくても、神が語る自由を与えると思っているのでしょうか。
 
彼は、神に対しても罪を犯してきたことは既に何度も書いてきました。そのたびに詭弁をぶつけてきますが、今も神に対する偽りを止めません。よくも何もなかったかのように、ふざけたことばかり書いてくるものだ、とでも言うべき厚顔ぶりです。表現の自由は、自由に対する責任を果たす者にのみ与えられます。無責任の者に与えられる自由は、どこからもありません。
 
彼が、これで分かった気になり満足しているなら、彼は、カインの末裔ではなく、カインそのものになりそうな気がします。命なき気、シャローム氏、人と神をモノ化して語る・・彼に当てはまりそうです。あえて言うなら、彼こそが、人間の心と信仰の流れを遮断する、自動調節の利かない錆びたメタルの遮断器つまりブレーカーでしょう。
 
彼、シャローム氏は、今までも、無益な造語の与太話や、露骨に突拍子もない嘘を書いたり、あざとい詭弁と妄想を吐いたりしてきましたが、何度吐いても、今回も、彼は懲りないのです、平気でいるのです。そして、作文の練習ではなく、福音伝道をする聖職者のつもりなのです。こういう人に、30年も牧師職を任せていた教会があったというのは、キリスト教もキリスト信仰も、天国や終末ではなく、おしまいに向かっているのでしょうか。彼、シャローム氏の、丁寧語の裏側に巣食っている傲慢不遜な人格を見抜けなかったのでしょうか。
 
 
(2017年03月21日、同日一部修正)
 
与太話(よたばなし)
頷く(うなずく)
尚更(なおさら)
 
 

 

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


みんなの更新記事