平 直行 ブログ 柔術 武術 操体

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2012年2月7日

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武道教育に思う。(私的考察)

来年度から導入される、武道教育。
直前になって、色々と問題が見えてきている。
僕は武道は、よく知らない。
 
武道教育の大半に導入されるであろう。
 
柔道に関してもそれ程は知らない。
 
僕が柔道に関して、あれこれ言える立場ではない。
 
それを承知で、書いてみる。
 
教育とは未来を創るものだから。
 
僕は武術を学んでいる。
武術と武道は、似てるようで違う。
 
武術の観点から、柔道を見てみると、気が付く事が在る。
 
古流柔術、柳生心眼流を僕は学ぶ。
近代柔道以前、明治の創設期の柔道のお話を
聞かせて頂く機会が、僕には在る。
 
その時代の柔道は、教育に関して、素晴らしいと僕は感じた。
 
精力善用、自他共栄、創始者である嘉納先生の
考えられた柔道は、近代柔道とは違う。
 
それは、古流の関係者にしか、現代では聞かせて頂けないような気がする。
組織が大きくなれば、現在の物が最高でなければ組織的にずれてしまうのだから。
 
嘉納先生が考案された、初期の柔道に関して。
僕の私的考察を書こうと思います。
 
案外知られてはいない事実が在る。
柔道の引き手は、嘉納先生が考案なされたという事を
師匠から、聞かせて頂いた事がある。
 
引き手とは相手を投げて、投げっぱなしにしない事。
相手を離さずに、袖などを持ち、頭から直接落とさない技術。
これを行えば、頭から落ちる事故はほぼ無くなる。
 
古流の柔術には、無かった概念が引き手。
在ったとしても、それを義務としてはいなかった。
 
古流の投げは投げっぱなし。
頭から落とす技は古流の投げには多くなる。
だから怪我をする事も在った。
 
古流の技は、相手の投げに無理には耐えない。
お互いが崩れれば首を痛める事や、相手に圧し掛かられる危険が増える。
古流は投げは無理には耐えず、自ら跳んで素早く先に技を返す。
 
それでもやはり、古流柔術では、首を痛める事が多く在った。
 
古流柔術では、その分整復術が発達した。
古流柔術家は、首の整復が巧みだった。
 
もしも門人が、首を痛めたら、師匠がその場で治す。
それが当たり前だった時代が武術の時代。
活と殺が、同じ場所に在り、同じ人の手に宿ったのが武術の時代。
 
門人の怪我を治せないのは
流派の恥とされた時代が武術の時代。
現代の道場と似てるようで全く違った道場がかつて日本中に在った。
 
武術を禁じられ、日本医学が禁じられた明治の時代。
 
その時代に、武術を残す為の工夫から生まれた柔道。
そこに、活法が存在出来る訳がない。
 
だから、怪我を無くす為に、柔道に引き手が導入された。
そんな風に僕には思える。
 
嘉納先生の偉大な考案である、引き手の義務化。
そこから色々と派生したように僕には思える。
 
引き手で相手を綺麗に支える。
それには投げた後の姿勢が大切になる。
投げた自分の姿勢が崩れれば、相手を支えきれない。
 
人を綺麗に投げて、綺麗に引き手で守る。
その繰り返しで創り上げた身体は、強靭でしなやかな身体になる。
 
お互いに組みながら、人体の構造を学び感じながら
崩しを持って相手を投げる。
相手の身体を使わせてもらいながら投げを磨き、受身を磨く。
 
引き手と言う、発想が在れば、危険は少ない。
投げる事で、身体は鍛えられ、受身を取る事で更に効果は大きくなる。
一人で行う何倍も効果は大きくなる。
 
バランスを意識しながら、お互いにそれを行えば
姿勢も良くなってゆく。
 
初期の柔道は、相手の投げが綺麗に入ったらそこで耐える事は卑怯とされた。
そのように僕は聞かされている。
 
綺麗な投げならば、綺麗に投げられる。
 
そうすれば、投げで崩れた末の怪我は殆ど無くなる。
そこに引き手が加われば、更に安全となる。
 
お互いの技量を磨く事が、稽古の根幹となる。
一人では出来ない、対人稽古を行なう事で、感覚を磨き技を磨く、
相手の体重という負荷をかける事で、運動の効果は高まる。
 
お互いがお互いを磨き合う。
決して一人では手に出来ない効果が得られる乱捕りは
引き手が在って初めて誰でも安全に参加が可能となる。
 
その稽古体系が在って初めて
自他共栄という精神が、芽生えるような気がする。
 
自他共栄という精神の元で、鍛えた身体は
やがて精力善用という目的に向かって歩み出す。
人と人の関係を身体を鍛えながら学ぶ事で次が見えて来る気がする。
 
初期の柔道には、組み手争いはない。
柔道はお互いに綺麗に、相手に持ちたい部分を持ってもらってから始める。
お互いがお互いを持って鍛え合うのが根幹だから、相手の持ちやすいように持ってもらって始めた。
 
そもそも、組み手争いに、武術としての意味はあまり無い。
 
武術には打撃も在るから、組み手争いの前にやるべき事が在る。
組み手争いをするのなら、殴ったり蹴ったりも入れた方が良い。
実戦を言うのなら、組み手争いは、無いと考えたほうが良い。
 
柔道とはかつて、綺麗にお互いを尊重して
お互いの身をお互いに守りあう事を皆が守って行っていた。
その上で乱捕りや試合を行なった。
 
そこに産まれ育まれる精神と肉体。
その上で育まれる肉体。
それは青少年の育成に、とても良い気がする。
 
引き手と言う概念は、柔道の宝物だった気がする。
お互いを守り、技を、肉体を、精神を、育み、鍛える。
本来の柔道は、そうだった気がする。
 
だから、柔道はあっという間に普及した気がする。
その精神が復活したら、武道教育の意義が、在るように僕は思うんです。
 
 
 
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