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洋楽の奇妙な和訳
こんなブログを読もうとするなんて・・・。シブイねェ…まったくおたくシブイぜ

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ノースブラザー島、それは大都会ニューヨークにある廃墟の島です。
1885年にこの島に病院が建てられました。
天然痘の患者を隔離する為の病院です。
 
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美しい螺旋階段。
 
 
 
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のちに他の感染症の患者も受け入れるようになります。
(結核、コレラ、ハンセン病等)
 
 
 
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1950年代、病院は薬物依存患者のリハビリセンターになりました。
 
 
 
 
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しかし、1963年にリハビリセンターは閉鎖。
 
 
 
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病院は閉鎖され、廃墟になりました。
 
 
 
 
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現在は立ち入り禁止となっています。
 
 
 
 
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ここは捨てられた島。
 
 
 
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1970年代、投資家に島を売却しようとしたが買い手がつかなかったそうです。
 
 
 
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理由は島を開発するのにお金がかかり過ぎるから。
 
 
 
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島なので資材の搬入も大変。
 
 
 
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クイーンズ区にあるラガーディア空港の騒音の問題も。
きっとこのまま廃墟の島なんでしょうね。
 
 
 
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煙突のある建物が素敵です
誰かが置いたのか椅子とテーブルがありますね。
 
 
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この島に隔離された患者でメアリー・マローンという女性がいます。
メアリーはアイルランド出身。
14歳の時にアメリカに移住しました。
 
 
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彼女はニューヨーク周辺で家事手伝いとして働いていましたが、やがて料理の才能に目覚め、住み込みの料理人として富豪宅に雇われます。
 
 
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彼女は他の使用人よりも高給を得ていました。
料理の腕だけでなく人柄も良かったのです。
 
 
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20世紀初頭、ニューヨークで腸チフスの小規模な流行が散発的に発生します。
メアリーが雇われていた家の人間も被害に見舞われ、メアリーの献身的な介護の甲斐も無く症状は重くなる一方でした。
 
 
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メアリーは1900年から1907年迄の間に勤め先を何度か変えていますが、分かっているだけでもメアリーの身近な人間が22人も腸チフスに感染しています。
 
 
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そのうちの一人、洗濯婦をしていた女性が一人死亡しました。
 
 
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これらの富豪の一人から腸チフスの原因を解明する為にジョージ・ソーパーという男が雇われます。
彼は疫学的な調査を地道に行い一つの事実を見出します。
 
 
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それはメアリーが雇われた家庭のほとんどで、彼女がやってきた直後に腸チフスが発生しているという事。
 
 
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この結果からメアリーが腸チフスの保菌者ではないかと彼は確信します。
1907年、ジョージ・ソーパーはメアリーが雇われていたニューヨーク近郊の富豪宅に向かいました。
 
 
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彼は調査の為にメアリーに糞尿の提出を求めますが激高したメアリーに追い返されてしまいます。
 
 
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しかし、自分の調査結果に確信を持っていたジョージ・ソーパーはニューヨーク市衛生局に勤めていたハーマン・ビッグスに自分の仮説を告げて相談しました。
ビッグスもソーパーの仮説に賛同し、医師のジョセフィン・ベーカーをメアリーの元に赴かせ、再び説得を試みました。
 
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しかし、メアリーは金属製のフォークを持って暴れ抵抗しました。
三度目の説得の時には警察官が5人一緒に赴き5時間の捜索の末、クローゼットに身を潜めていたメアリーを発見、 強制的に彼女の身柄を確保します。
 
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ニューヨーク市衛生局で細菌学的な検査が行われた結果、彼女の便からチフス菌が発見されました。
このため、彼女はこの島に収容、隔離されます。
 
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しかし彼女は腸チフスを発症した事はありません。
彼女は健康保菌者だったのです。
 
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保菌者であるという自覚の無いまま、周囲の人に感染を広げていたという訳です。
 
 
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しかしこの検査結果を突き付けられてもメアリーは納得しませんでした。
 
 
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彼女はそれなりに教養を身に付けてはいましたが、健康保菌者が存在するという考えは当時の社会一般から見ればあまりにも突飛なものであったため彼女は受け入れる事が出来なかったのです。
むしろ「いわれのない不当な扱いを受けている」という思いを募らせるばかりでした。
 
 
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不衛生なスラム街に住むアイルランド系などの移民を疫病の原因と考えていた差別に対する反発もありました。
 
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隔離から2年が経過した1909年に、メアリーは市衛生局を相手に隔離の中止を求めて訴訟を起こします。
 
 
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この訴訟の間もメアリーは隔離されたままでした。
 
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訴訟は衛生局側の勝訴で終わりましたが、この訴訟によってメアリーには隔離から解放されるきっかけが与えられる事になります。
 
 
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そして1910年、(1)食品を扱う職業にはつかないこと、(2)定期的にその居住地を明らかにすること、という2つの条件を飲むことで、メアリーは隔離病棟から出ることを許され、再び自由を得たのです。
 
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釈放されてしばらくの間、メアリーは衛生局との取り決めを守り、洗濯婦など食品を扱わない家事使用人としての職に付き所在を定期的に連絡していました。
しかし、やがて連絡が途絶え消息がつかめなくなります。
 
 
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彼女の居場所が明らかになったのは、釈放から5年後の1915年、再び腸チフス流行の感染源として見つかった時でした。
 
 
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そのとき彼女は調理人として、しかもニューヨークの産婦人科病院で、偽名を使って働いていたのです。
 
 
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そこで引き起こした腸チフスで25人の感染者と、2人の死者を出してしまうのです。
 
 
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この事件をきっかけに彼女は再びこの島の病院に隔離されました。
 
 
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亡くなる迄の23年間、この島から出る事はありませんでした。
 
 
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メアリーは病院内で看護師、介護人、研究室の技術補佐員としての仕事をしていたことが記録に残っています。
 
 
 
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1932年に心臓発作から身体麻痺になり、その6年後の1938年、子供たちの声が聞こえる小児科病棟の近くに移されたベッドで息を引き取りました。
 
 
 
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メアリーはこの島に隔離され、どんな気持ちで最後を迎えたのでしょうか?
 
 
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助けてくれ
俺の意志に反して俺はこの場所に拘束されている
 
いずれこの島は自然に還るのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 

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