ゴルフ・ルールの潔さ
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昨2日の日本経済新聞の記事です。 野球って、そうなんですね、ルールはルールだけど、判定は判定。それを都合の悪いときの隠れ蓑に使えるのだそうです。極端な言い方なのかもしれないけれど、それってズルイ。永年野球で飯を食ってきた筆者は、そのことを充分に弁えているから、この投書にドッキリとしたのでしょう。 その点ゴルフは違いますね。「ゴルフの審判は自分だけ」です。と言うことは、ズルイことをしようと思えば、いくらでも出来る、誤魔化せる。でも、それは自分の良心を完全に否定・抹殺することになります。人間として失格ですね。 逆に言えば、人がどう判定しようと、自分自身の判定・判断でゴルフをプレー出来る。勿論、判定の基本となるルールは存在しますが、ゴルフのルールの精神は、自分に有利になることはしないです。 いくらライが悪くても、ノータッチを徹す! あるがままを打つ それが本来のゴルフ! お気楽隠居はこの基本精神でゴルフに取り組んでいますが、これでやっていると、ボールを6インチでも動かすことがとんでもない「罪悪」に思えてきますから不思議です。 しかしながら、この潔さによって、この前の豪雨の中のゴルフでの、カジュアル・ウォーターの処置を怠ったようにも思います。お気楽隠居の心には、ルールで認められているカジュアル・ウォーターの処置も奇異に映ってしまうのです。 それくらいの水はワザワザ動かさなくたって打てるではないか、動かすことで自分に有利になるのではないかな? それよりそのまま打つのが本来のゴルフだ、って思えてしまうのですね。ルールで許されているのだから、有利になっても構わないし、スコアを競うなら絶対に動かすべきだと言うのが、当然の意見ですが。 デモね、人が何と言おうと、この潔さが、ゴルフでは、特にアマチュアゴルフでは一番大事なところだとお気楽隠居は思うのですが、行きすぎですかね??
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