酔月亭

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2008年6月5日

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参考文献&ウェブサイト

原稿を書く際に参考にした書籍・雑誌と、ウェブサイトのまとめ。
思い出したら付け加えます。

【書籍・雑誌】
U2 BY U2
¥ 6,300
U2 (著), 前 むつみ (著), 久保田 裕子 (著)
出版社: シンコーミュージックエンタテイメント(2006/11/1)

ボノ インタヴューズ
¥ 2,625
ミーシュカ・アサイアス (著), 五十嵐 正 (翻訳)
出版社: リットーミュージック (2006/3/24)

On the Move: A Speech
Bono (著)
出版社: W Pub Group (2007/4/3)


【ウェブサイト】
Wikipedia
 ボノ(日本語)
 Bono(英語)


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リリック・トーク "Miracle Drug"

続いて取り上げるのは、アルバム『How To Dismantle An Atomic Bomb』の2曲目、"Miracle Drug"。
この曲を語る時に、ボノはよく高校の後輩の話をします。
生まれる時のトラブルで体中の筋肉を動かせなかったクリストファー少年の話です。
周りで起きていることがわかっているのかどうかさえ定かではなかったクリストファー少年のことを、彼の母親だけは信じていました。
彼が11歳の時、やっと見つけた薬のおかげで、首の筋肉を1インチだけ動かせるようになりました。
クリストファーは、額にユニコーンのような角をつけ、タイプを覚え、言葉を操れるようになりました。
意識や感覚があるのかどうか、世界を認識しているかどうかわからないと思われていた間中ずっと、クリストファーは頭の中で詩を書いていました。
彼の最初の詩集のタイトルは『Damburst Of Dreams』。ダムを決壊するほどの、夢の奔流。
奇跡の薬によって溢れ出したクリストファーの世界そのものです。

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Vertigo Tourでは、演奏前のMCで、ボノはたびたびエッジを話題にしています。
ボノによれば、ある日、ボノとラリーとアダムの前に、宇宙船が現れました。そこから降りてきた宇宙人がエッジだったというのです。
しかも、ただの宇宙人ではなく、未来から来たというエッジに、「未来はどんな感じ?」と聞くと、彼は「今よりもいいよ」と答えたそうです。
このMCに、ボノはエッジと、彼の娘さんへの思いを込めています。
小児白血病と闘うサイアンちゃんのために、未来がよくなっていますように。彼女のための「Miracle Drug」が現れますようにと。

ボノは『U2 BY U2』の中で、「この曲はエイズやそれに対抗する薬の曲だともいえる」と語っています。
抗HIV薬の開発が進んだおかげで、今ではエイズは死の病ではなくなりつつあります。
HIVに感染しても、薬が発症を押さえ、普通の暮らしを送ることができるようになりました。
薬による治療を受けさえすれば、学校に行くことも、工場で働くこともできます。
しかし、残念ながらそれはまだ一部の話でしかありません。
HIVはアフリカの貧困層に広がっていますが、彼らの多くが暮らす農村地帯には、医療施設そのものが不足しています。彼らにとって抗HIV薬はまだまだ夢の薬なのです。
HIVだけでなく、結核やマラリヤという、日本においては過去のものとなった病気についても同じことです。
既に対抗手段が存在しているというのに、救えない命が数えきれないほど存在している。
助けられる命を見殺しにしているのです。
慈善ではなく、正義の問題です。

さて、"MIRACLE DRUG"に、「The Songs in your eyes」という歌詞があります。直訳すれば「君の瞳の中にある歌」となりますが、Kyokoさんはこれを「お前の瞳はオルゴール」と訳しました。
それを読んでワタシが真っ先に思い出したのが、ボノの講演録である『on the move』という小さな本です。

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これは2006年、ワシントンで行われた「THE NATIONAL PRAYER BREAKFAST」祈祷朝食会での、ボノの講演を記録した本です。
ムスリム、ジューイッシュ、クリスチャンと、ボノが「CoeXisT=共存」を訴える3者 それぞれから代表的な立場の人が集うのがこの「朝食会」です。
収録された講演も素晴らしい内容ですが、ワタシにとってはそれよりももっと待ち望んだものがこの本におさめられていました。
1985年、エチオピアを訪れた際にボノが撮影した写真です。

"Miracle Drug"の冒頭の歌詞は「I want a trip inside your head」、あなたの頭の中を旅したい、そこで何日も過ごして、あなたが聞くものを聞いて、あなたが見るものを見たいというものです。
これはそのまま、ワタシの望みでもあります。
ワタシはボノが見る世界が見たかった。

エチオピアで撮影した写真を、ボノは1988年に一冊の写真集「A String Of Pearls」にまとめました。
その存在を知った時に、これこそ望みの一端を叶えてくれるものだと思いました。
写真というのは、その人が見た世界を切り取るものです。
ボノが撮った写真を見るということは、ボノが見た世界を見ることに他なりません。
残念ながら「A String Of Pearls」はたった2500部だけの出版で、唯一ネット上で流通している1冊には、500ポンドという値がついていました。
『on the move』はもっと簡単に、ワタシの望みを叶えてくれました。

ボノはエチオピアにカメラを持っていったものの、目の前の現実の厳しさに、はじめのうちは写真を撮る気にはなれませんでした。
滞在も終わりに近づいた頃やっと、健康状態の良い人たちの写真を撮ったのです。
ボノ曰く、彼らの顔には威厳があり、確かにシバの女王の面影があるそうです。

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『on the move』には何枚かの、子どもたちの写真が掲載されています。

Kyokoさんの訳詞「お前の瞳はオルゴール」に、ワタシはこの子たちのカメラを見つめる瞳を思い出しました。
もちろんそれはボノが見つめた瞳、ボノを見つめる瞳です。

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この瞳の中に、歌があった。
この子が瞬きするたびに、オルゴールのふたが開いて音楽が流れ出したのだと思いました。

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"Where The Streets Have No Name"、あの力強い歌は、この瞳から生まれたのかもしれません。

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自分の中にある歌に、産声を与えてくれた美しい瞳の数々が、今でもボノを動かしているのだと、そう思いました。

アフリカ問題の中でも、ボノが最も力を入れているのが、子どもたちを感染症から守ることと、子どもたちに教育を与えることです。

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1985年にボノが見た瞳の持ち主たちの生死は定かではありませんが、これから出会う瞳の持ち主たちは、一人たりとも死なせない。
そのために、彼らを殺す極度の貧困を、なんとしても終わらせたい。
ボノにとって、歌の生まれる理由と、アフリカを助ける理由は、同じところにあるのだと思いました。

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私はボノを通してアフリカ問題に興味を持ったに過ぎません。そんな私にアフリカ問題そのものを語ることは到底できませんが、ひとりのU2ファンとして、ボノの来日をきっかけに、アフリカについて考えることはできるのではないか。
そう思ってこのイベントに臨んだ次第です。

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2006年の来日公演で、ボノがステージの上から私たちに投げかけたメッセージは、「We’re so much more powerful when we work together as one./もっとすごい力が出せるんだ、君が傍にいてくれれば」というものでした。
私はボノの傍にいたい。ボノの力になりたい。強くそう願っています。

長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました。

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リリック・トーク "Where The Streets Have No Name"

ここからはU2の曲、ボノが書いた詩について、お話ししたいと思います。
まずはU2ファンにとって最大のアンセムともいえる曲、"Where The Streets Have No Name"についてです。

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LIVE AID終了後、ワールド・ヴィジョンという団体から、「エチオピアの現状を見に行かないか」と誘われたボノは、アリとともに「人生を変える冒険」に旅立ちました。
1985年9月、ふたりはエチオピアを訪れ、難民キャンプのボランティアとして6週間滞在しました。
その間に想を得て、「エア・インディアのエチケット袋」に書かれたのが"Where The Streets Have No Name"です。

ボノが生まれ育ったアイルランドや、ツアーで訪れた欧米諸国では、車が入ることが出来ないような路地に至るまですべての通りに名前が付けられています。
通りの名がそのまま場所を指し示す住所であり、ときに建物の名になります。
U2のレコーディング・スタジオも、かつてのウィンドミル・レーンは風車通り、ハノーヴァー・キーはハノーヴァー通りと、スタジオがあった通りの名がつけられています。

"Where The Streets Have No Name"。「通りに名前のない場所」。
それはどこにあるのでしょう。

『U2全曲解説』の中で、ビル・グラハムは「歌の生まれた場所」であるエチオピアのことだと言明しています。
これはアフリカを歌った歌だ。
そう思いながら"Where The Streets Have No Name"を聴く。
ワタシたちにもたらされるのはどんな感情でしょう。
高揚感と解放感。これにつきます。

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Band AidとLive Aidを通して、飢餓に困窮するエチオピアへの支援を訴えたU2。
その直後に赴いた現地で、ボノが過酷な現実を目の当たりにしなかったわけはありません。
しかしこの曲を聴く限りではそこにエチオピアの飢餓という暗い影を見ることは出来ないのです。

アルバム『The Joshua Tree』発表から20年を経て、私たちにはもう1曲、エチオピアの歌が届けられました。
"Waves Of Sorrow"。20周年記念の『The Joshua Tree』リマスター盤、限定版のボーナス・ディスクに収録されています。
ほんの少し、さわりだけを聴いてみましょう。

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"Where The Streets Have No Name"にはエチオピアどころかアフリカのアの字も出てきませんでした。
"Waves Of Sorrow"の歌詞には、はっきりとエチオピアを指し示す、二つの人名が出てきます。
一つ目の「皇帝メネリク」はエチオピアの歴史上ふたりいます。
メネリク一世は紀元前2世紀頃の、エチオピア初代の王。
メネリク二世は19世紀末、エチオピアを欧州支配から守り、アフリカ諸国で唯一植民地化を免れた国にした英雄です。
もう一つの「シバの女王」は旧約聖書に莫大な宝物とともにソロモン王を訪れた女王として登場します。
いずれもかつてのエチオピアの栄華を象徴する名前であり、"Waves Of Sorrow"では「失われたもの」として歌われています。

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また"Waves Of Sorrow"には、エチオピア滞在中にボノが経験した具体的な出来事が描かれています。
ある日、通訳と話しているボノの前に、息子を連れた一人の男がやってきて、ボノにこの子を引き取ってほしいと言った。
「私と共にいればこの子は死んでしまう。あなたがアイルランドに連れて帰ってくれればこの子は生きのび、教育を受けることさえ出来るだろう」。彼はそう言いました。

2004年に発売された『How To Dismantle An Atomic Bomb』に収録された"Crumbs From Your Table"に、次のような一節があります。
「Where you live should not decide Whether you live or whether you die」
「生きる場所によって人の生死が決定される。そんなことがあってはならないんだ」
ワタシはこれを、アメリカでは容易に入手できる安価な薬がアフリカでは十分に行き渡っていないと言う、エイズ対策の現状を歌っているのだと思っていました。
それが間違っているわけではないにしても、この歌詞が生まれた根底には、あの時にボノが出会った少年がいる、
父親とともにアフリカにいれば死んでしまうけれども、ボノとともにアイルランドに渡れば生きることができると言われた、あの少年の姿があるのだと、今は思います。

ボノ自身、このエピソードをしばしば取り上げ、あの時の少年が自分の人生を変えたとまで言っています。
「たまに自分の中に激しい怒りが込み上げることがあるけれど、そんな時にはたいていそのこのことを考えている」。

それぐらいボノにとっては衝撃的な出来事だったのです。
しかし、『ジョシュア・トゥリー』に収録されたのは"Where The Streets Have No Name"のほうで、そこには具体的な経験はいっさい歌われませんでした。
それはなぜなのか。

考えるに、ボノにとっては"Where The Streets Have No Name"に歌ったアフリカの姿の方が、より大きな衝撃だったのではないかと思うのです。

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焼けつくような日射し、頭上を覆い尽くして広がる青空。雲を跡形もなく追いやる強風。
今までの人生で一度たりとも経験したことのなかったような、剥き出しの自然。
そこに立つ、ひとりのただの人間としての自分。

当時U2の人気はうなぎ上りだったのに加え、Live Aidのパフォーマンスとそれがテレビ放映されたことで、誰もがボノの存在を知るようになっていました。
そのことで窮屈な思いをするようなこともあったでしょう。
そんな状態のヨーロッパを離れてエチオピアを訪れると、通りに名前がないばかりか、自分にも「名前がない」。

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「U2のボノ」というロックスターではなくて、どこかヨーロッパあたりから来た、髭を生やした歌のお兄さん。女の子みたいに髪を伸ばした、へんてこな。
「髭を生やした女の子」。それがボノに付けられたあだ名だったそうです。

前述の、ボノに子どもを託そうとした男性も、おそらく彼がどんな人間であるかは知らず、ただ、自分たちを助けてくれる白人で、きっと豊かな暮らしを送っている人だから、この子を生かすことができる。
そう思ったのではないでしょうか。

ボノが"Where The Streets Have No Name"に歌った解放感や高揚感は、ここから生まれたのではないかと思うのです。
冒頭の歌詞、「I want to run, I want to hide/逃げ出したい、隠れたい」自分を取り囲む壁をうち破りたい。
そうして辿り着いた「通りに名前のない場所」。
そこでは、ボノにも「名前」は必要なかった。名前に伴う名声もプレッシャーもなく、壁はうち払われ、生身の人間としての日々を過ごすことができた。

だからボノは、エチオピアでの記憶を留める曲として、"Waves Of Sorrow"ではなく"Where The Streets Have No Name"を選んだのではないでしょうか。

そしてこの曲は20年間歌われ続け、愛され続ける名曲になりました。
そのことが、ボノがエチオピアで受け取った物の大きさを表しているのだと、ワタシは思います。

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まずはボノの足跡追っかけ編を上げました。皆さんに協力してもらった年譜をもとに、あちこちから記録を引っ張って書いたものです。
リリックも上げた後、参考文献・サイトをまとめようと思ってます。
実際に喋ったのはこの半分くらいです。
できるだけ話があちこちしないように、要素を搾って、DATAの活動(+そこに至る経緯)中心に喋りました。
そっちを上げた方がいいのかなと思わないでもないんだけど、「完全版上げます」って当日言っちゃったし、文字になってる分には多少あちこちしても大丈夫かなと。
当日端折った分をリリック・トークに入れた部分もあるので、重複しますが、まあいいかと。

少しでもスライドのイメージが出るように写真もつけましたが、音はつけられないんですよね。
BGM無しで、ひたすら喋りまくったんですが、唯一、ONEスピーチでは、ボノのスピーチ(さいたま2日目)を流して、同時通訳っぽくKyokoさんの訳を読みました。

この原稿のために、『U2 BY U2』と『ボノ・インタビューズ』を、飛ばし読みながらも再読しました。
そうすると、あの時に気づかなかったことが見えてきたりします。
ワタシにとってとても大切な発見もありました。
それはイベント報告ではなく、今回のボノの来日を振り返る中で、改めて書こうと思います。

今日、民主党の予備選で勝利宣言したバラク・オバマ氏が、「この勝利で一つの旅が終わり、新しい旅が始まる」って言ってたけど、ワタシの旅もそう。
ボノの来日で認識を改めて、新しい旅に出る。そんな気分です。

では、リリック行きます。

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