スネコタンパコ、相も変らぬ妄執により、波久礼から寄居まで歩くこと 6
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末野神社
末野神社は字金場というところにある。カネバ、あるいはカナバ、もしかするとカンバと読むのかもしれない。さまざまに想像をたくましくさせる地名である。
『埼玉の神社』は、末野神社について、つぎのように記している。 ≪元来末野には鎮守が三社あり、それぞれ氏子区域を異にしていた。その三社とは、西から飯玉神社(江戸時代には飯玉明神社)、箱石神社(江戸時代には箱石権現社)、諏訪神社で、いずれも創建の年代は不明ながら、古くからそれぞれの地区の住民に厚く信仰されてきた。 これらの鎮守三社を政府の合祀政策に従って地内の各地に祀られていた他の無格社と共に明治四十二年に飯玉神社に合祀し、更に同社を末野神社と改称した。≫ そして、飯玉神社の祭神は豊受姫命、諏訪神社の祭神は建御名方命としているものの、箱石神社についてノーコメントなのはどうしたわけか。 『新編武蔵風土記稿』には、≪箱石権現社 村の鎮守なり。神體詳ならず、箱の形に似たる盤石上に鎮座す、由て此名あり 少林寺持≫とあり、『武蔵國郡村誌』には、一切なんの記載もなく、正体不明。 ところで、末野神社の境内にある石碑「末野神社」に、明治四十二年の合祀にかかわったすべての神社が記載されている。その二十四社は以下のとおり。 字金場の村社飯玉神社、字諏訪東の村社諏訪神社、字関根の稲荷神社・八坂神社、字蔵屋敷の稲荷神社、字関口の天御中主神社・稲荷神社、字羽場の山神社・水神社・大天白社・稲荷神社、字上大正寺の稲荷神社・白山神社、字浦山の稲荷神社・八幡神社、字八王子の山神社・天手長男神社・琴平神社、字箱石の浅間神社、字竹原の天神社、字日山の二柱神社・稲荷神社、字東日山の神明社、字山神の山神社。 これから推測すると、箱石の浅間神社というのが箱石権現社のことではあるまいか。とすると祭神は大山祇命の娘木花咲耶姫命ということになろうか。 箱石の岩峰
百庚申とでもいうのかな
箱石浅間神社
箱石権現社の旧別当少林寺を南に下りきった一帯が小字箱石で、ここに屹立する結晶片岩の岩峰上に、浅間神社の石碑が今もある。『新編武蔵風土記稿』のいう≪箱の形に似たる盤石≫とはこの岩塊のことではなかろうか。 結晶片岩は寄居の隣町長瀞の岩畳で有名だが、円良田湖周辺にも多くみられる岩石で、しばしば銅や鉄の鉱床を有するという。 それかあらぬか、上に列挙した神社群のなかに金尾と同様に山神社が多いことに気づく。その他にも興味深い神社が何社かある。 飯玉神社は埼玉県北部に見られる神社で、祭神豊受姫は単なる穀神とは思えない。稲荷神と同じような意味合いがあるのではなかろうか。金場に鎮座したということもそれを裏付けているように思える。 熊谷市(旧江南町)千代(せんだい)にも豊受比賣を祭神とする飯玉神社があり、この神社の南にある御池に棲む魚は片目という伝承がある。片目の魚伝承はことわるまでもなく鍛冶伝承である。そしてそれを証するかのように飯玉神社一帯を含む宮下遺跡からは奈良、平安期の須恵器と共に鉄滓が出土している。 千代飯玉神社
御池
御池は西から東へと流れていた川の――たぶん荒川の――名残だろう。 さいたま市浦和区岸町に鎮座する式内小社調(つき)神社の祭神は、天照皇大御神・豊宇気姫命・素盞鳴尊で、この神社に伝わる七不思議にも片目の魚伝承がある。 調神社
≪調神社の御手洗の池は、俗に瓢箪池と呼ばれていた。この池に魚を放ち飼いにすると必ず片目になるという。この池はもと同町の辻村牧場の中庭の位置にあったが、今は埋め立てられてその跡方もとどめていない。ここは調神社の旧飛地境内であった≫(『埼玉県伝説集成』(韮塚一三郎 北辰図書)) 調神社が岸町にあることから、この神社の創建には、渡来系氏族の調吉士(つきのきし)がかかわっていたのではないか、という説がある。 『武蔵國郡村誌』によると、字関口の天御中主神社の祭神は月夜見命だが、かつては妙見神を祀っていたのではなかろうか。大天白社については以前書いた。 http://blogs.yahoo.co.jp/sunekotanpako/27930709.html |






片目になっちゃうんですか!?
百庚申?すごいですね。
今度、神社検定なんてものが、あるらしいですよ。
2012/2/23(木) 午前 0:48
いや、いや、百庚申というのはわたしが勝手に考え出したこと。というのは、少林寺には、五百羅漢と千体荒神というのが名物となっているから、それにあやかったわけです。
神社検定?世界で初めて開催されるものなんでしょうかね。わたしのは妄執ですから、神社検定の意にそぐわないものと思われます。
2012/2/23(木) 午後 6:19