十日市 (上) ガマの油売り
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ひさしぶりに、大宮氷川神社の大湯祭、いわゆる十日市に行ってきた。
わたしが子供のころはね、「ガマの油売り」なんてのが来ててさ、例の口上述べてから、切るんだよ、腕をね。刀じゃなかった、出刃包丁だったと思う。すぐ隣で見てたんで、音が聞こえるんだ。あれはね、魚のウロコ落すときの音に似てたな。
よく見ると、ガマの油売りの男の両腕は傷だらけでね、そこを追い打ちかけてまた切るわけさ。もちろん切れ味のいい包丁でやったりはしない。そりゃそうさ、深手を負うからね。だって、明日はもう一方の腕、明後日は今日切った腕をまた切らなきゃならんのだから。 だから――つまり切れない包丁で切るから、痛いんだろうね、顔をしかめてさ、それでも音を立てて切るわけだ。音がするというのは包丁が切れない証拠でもある。だから、たいして血は出ないが、それでも雫となって数滴落ちる程度には出血してたな。 それから、特別な方法で抽出したというガマの油を傷口に塗って、そこにさっき切った新聞紙を張り付ける。これで、しばらくすれば治るんだ、というんだ。 その間に、今度は、おでこに「油」を塗り、相方に瓦を一枚持たせて、こいつを額で割るわけさ。それで、痛くないとアピールする。 これにわたしの仲間がまいっちゃってね、買うというんだ。かれはいつもいじめられていたから、これでなんとかいじめ返すことができるんじゃないかと、きっとそう思ったんだろう。しかも、小さな容器のじゃなくて、中くらいのランクのを買うんだと意気込んでいる。500円くらいしたと思う。お年玉の相場が百円くらいのときだよ。 ひと通り、パフォーマンスが終わると、さ、買った買った、と販売活動が始まるわけだが、わたしの仲間一人を除けば、だれも手を出さない。そのとき、男がいったことばはよく憶えているよ。さっきの傷口を集まった人たちに示しながら、ここまでやったんだぜ、これでも買わないか、というんだ。つまり、これは見世物で、あんたら見物したんだからお代をよこせ、っていいたいんだろうね。子供心にも変な論理だとわかったね。それでも、そのコトバを聞いて、何人かが買ってたね。日本人にはそういう論理の方が効き目があるんだ。 後日、友達に、瓦割れたかと聞くと、おでこをさすりながら、痛くてだめだった、と。 売る方にも、買う方にも、利益をもたらさない商売など成り立つわけがなく、その後、「ガマの油売り」を見かけたことはないね。 |
