スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語

我々が見ているものは事物の中にある我々の心である

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2012年2月23日

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スネコタンパコ、相も変らぬ妄執により、波久礼から寄居まで歩くこと 7

 末野神社から北上して円良田湖へ向かう。途中、保存された須恵器窯跡と金山・菖蒲沢の様子を観察したいという目論見。
 
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                               金場の集落

 ところが、当て込みのフンドシがだらりとはずれ、杉林と密生した藪で地質を観ることも、窯跡らしきを見つけることも能わず、いつの間にか逆川を渡り返してしまい、なんともあっけなく円良田湖の堰が見える地点まで登ってきてしまった。

 ここには数軒の建物があり、そのうちの一軒の玄関方向に「←かんぽの宿」という指導標があるのを発見した。しかし、どう見ても、そこは個人宅の玄関へ向かう入口としか思えず、理解に苦しむ。家に戻ってから調べたところ、「かんぽの宿寄居」の裏を大きく迂回して、ここに出る道があることを知った。ならば、金山を上ってここに出るべきであったか…が、しかし、そうとも言い切れないところが面白いところ。
 
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 最も円良田湖よりの家の物置?の裏手の藪の中に説明板らしきがが立っているのを発見。すわっ窯跡か、と近づくと母屋から突然犬が狂ったように吠え始めた。確かに、今、わたしが立っている場所は個人の所有地にちがいなく、番犬君にやかましく吠えたてられたとて文句のいえる筋合いではない。まっ、ある意味侵入者には違いないのだから。ではあるものの、町で立てた遺跡を示す看板がそこにあるのであれば、ここまで見に来ていいよ、という許可でもあるのであろうから、ここは一種の緩衝地帯であって、だからこそ所有者も母屋と物置との間に通路を設けているのだと勝手に解釈し、闖入者を退散させることができず、面目丸つぶれから、自暴自棄となって吠え騒ぐ犬をしり目に、写真撮影だけは済ませた。しかし、看板だけで、窯跡は残されてはいないのだろう。
 
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                                           手前は凍っている
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                                 円良田湖

 急坂を登り切って円良田湖に出る。ここも湖岸付近は凍りついている。にもかかわらず、たくさんの釣り船が浮んでいるのには恐れ入った。わたしは、歩いている限りは、それほど寒さは感じないが、かれらはじっと動かず、しかも湖面に浮かんでいるのだから寒さは格別だろう。もっとも、それなりに寒さ対策をしているのはまちがいなく、一様にビバンダムというよりも、マシュマロマンとでもいうべき恰好であった。

 堰上を歩き、少林寺方面へ抜ける道に向かう途中で、円良田湖から逆川への落ち口付近に小さな社があり、それがなにを祀っているのか調べようと思っていたのを思い出したが、後の祭りだ。

 最近はなにかと物忘れが激しく、部屋にある本を取りに行って、爪切りを見つけ、引き返して爪を切り終わってから、なにしに部屋に行ったのかを思い出し、再び本を取りに行く、なんてことはしょっちゅうなのだ。

 それで、こんな話を思い出した。

 ≪雪の夜中、小便つまりて目ざめ、起きて雨戸を開けようとすると、氷りついてあかず、仕方なく敷居ぎわへしゃがんで小便をたれかければ、氷り溶けてぐゎらりと開く。「よしっ」と言って出たら、何も用なし。≫

 しかし、まあ、春日武彦先生のいわゆる「忘れたということを忘れる」という認知症老人特有の症状まではいっていないから、まだ安心かな。でも、そのうち、飯を食べたばかりなのに「まだ食ってない」などと云い出しかねない自分が怖い。
 
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           円良田湖周辺にはこんな岩(おそらく結晶片岩)が露出している箇所が多い

 さて、しばらく行けば、三叉路に出る。また、それとは別に、山を登って少林寺へ下るハイキングコースもある。しかし、今日はそういう準備はしてこなかったし、林道の両側は末野窯跡第6支群となっているので、林道を下ることにする。人っ子一人、車一台にも出くわすことなく少林寺下近くまで下ると、赤く金気だった水が滲み出ているのに遭遇する。鉄の鉱床でもあるのだろうか。そういえば、少林寺は、五百羅漢とともに、千体荒神で名高く、またカシャ伝説がある。
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 カシャについてはすでに書いた。簡単明瞭にいってしまうと、カシャとは鍛冶屋のことで、鍛冶屋→カジャ→カシャと転訛した、というのがわたしの考えである。

 少林寺に伝わる「猫寺」と題する話もほぼ他のカシャ伝承と変わりはないが、一往書いておくことにする。

 ≪鉢形城がまだ栄えていたころ、少林寺の坊さまが一匹の猫をかわいがっていた。ところが何年か年を経たある晩のこと、寺中寝静まってあたりがひっそりしてしまったころ、どこともなく茶釜の蓋をたたく音がする。僧も不思議なことと思い、そーっとあたりをうかがうと、日頃かわいがっている猫が茶釜を持っておどっている。これにはさすがの僧も驚いてしまった。しかし、その晩はそのままにして、なにくわぬ顔をしていたが、翌晩もそのことが続いた。しかもあたりは灰だらけである。
 
 そこで僧もいよいよ猫を放つことを決心し、翌日猫に「これまで飼ったがもうこの寺におくわけにはいかぬから、どこへでも出ていってもらいたい」と申し渡した。すると猫は、これまでの恩を謝し、一つの数珠を贈って僧に向かい、来る何月何日鉢形城の城主が死ぬ。その葬儀に自分はその棺を奪って天にまきあげてしまうつもりだ。そのとき貴僧は天に向かって「万年山少林寺住職ここにあり」と高らかに唱えて、この数珠を天に投げつけるがよい。そのときは再び棺をもと通り戻してあげるだろう。こういったかと思うと猫はまもなく姿を消した。
 
 そこで僧も猫の怪異な予言を疑いながらも日を過ごしたが、不思議なことにその日になると鉢形城主が亡くなり、しかもその葬儀にあたっては果たせるかな宙天高く棺がまきあげられた。このとき僧は静かにあたりを払って立ち上がり、猫から教えられた呪文を唱え、天高く数珠を投げつけた。すると果たして棺は再びもとのところに舞い戻って来て、列座の人々を安堵させた。
 
 このことがあってから人びとは少林寺の坊さんは偉い坊さんだということになり、寺の寺格もおいおい高まるようになった。土地の古老は徳川の世になって、この寺が寺領十五石の朱印を受けるようになったのももとはこのことに基因すると言っている。≫(『埼玉県伝説集成』(韮塚一三郎 北辰図書))

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