フォノン通信

PH(ポスト・ヒロシマ)67年☆♪☆菜園の緑増してる五月かな

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森田芳光論の・ようなもの(8)「森田監督の早過ぎる死を悼む」

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森田芳光監督、ご冥福をお祈りいたします



☆昔のように「森田さん」って呼ばせてもらいます。

☆森田さんと会う機会をくれたのは、僕が同人として参加していた同人誌『海とユリ』の同じ同人だった詩人Y・Jさんでした。ずいぶん昔のことになりますね。


☆それは、森田さんが当時22歳か23歳で、僕が21歳か22歳のときでしたね。詩人の彼女から「8ミリで自主映画を作っているいい人がいるから、今度紹介してあげるわ」の一言から僕たちは会うことになりましたね。


☆確か街の外で会ったのではなく、森田さんが当時住んでいた渋谷のご自宅に案内されて会ったのだと記憶しています。

☆それから、森田さんから僕の詩についての感想の手紙をいただいたり、互いに好きだったジャズについて語ったり、時には森田さんの部屋でレコード・コンサートもしましたね。わずか5年ほどの交友期間でしたが、森田さんからいろいろと刺激を受け、また大切なことを教えていただきました。


☆森田さんが監督としてデビューしたときには、僕たちの交友は立ち消えになった状態でしたが、以来ずっと、森田さんの映画はほとんど見てきました。


☆そういえば、いっしょに飯田橋の名画館『ギンレイホール』でバイトしていた時のことをとても懐かしく思い出します。一日おきに森田さんと僕が、『ギンレイホール』でバイトしたのですよね。僕は、都合があって東京から急に郷里・群馬に戻ってしまい、それが契機になり、僕たちは音信不通の関係になりました。(「ギンレイホール」で森田さんがバイトをするきっかけを作ったのは僕でした。)


☆『ギンレイホール』でのバイトの経験は、きっと森田さんが映画監督としてデビューすることにおおいに役立ったのではないでしょうか。当時の『ギンレイホール』の館主(僕は、社長って呼んでましたが)は、あの日活で営業取締役まで経験された方でしたから、社長からの情報はきっと役に立ったことでしょう。


☆森田さんは、1950年1月生まれ。僕は、1951年10月生まれ。学年は、2年違うのかな。森田さんは日大芸術学部を卒業後、定職にはつかず8ミリ映画を作っていました。その頃出会ったんですね。森田さんの8ミリ作品をいくつか見て、才能を感じました。『映画」というタイトルの8ミリ作品を自分の部屋の壁をスクリーンにして映写してくれたことをよく覚えています。森田さんの家に一泊させてもらったこともありましたね。


☆61歳は、早すぎます、森田さん。これから60代、70代の作品を楽しみにしていたんですよ。

♪今まで多くの素晴らしい映画を見せてくれてありがとうございました。
そして、今でも僕の人生に役立っている「処世訓・人生訓」をいただき、本当にありがとうございました。

◆掲載した画像の一枚は、森田監督の著作『思い出の森田芳光』(1985年キネマ旬報社刊)

 もう一枚の画像は、森田監督の8ミリ作品への彼から来た案内状と森田さんからもらった年賀状の中の一枚です。ジャズの話題が書かれています。(森田さん、こういう形で直筆のものを掲載して、ごめんなさい。)


「映像は嘘をつかない」と言っていた森田監督の言葉を思い出しました

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有能な監督が亡くなったのですね。
読売新聞の文化面で「失楽園」の脚本をした筒井ともみさんの追悼の文を読んで知りました。
その監督とフォノンさんが若い時に感性を磨きあった仲間だとは。
監督も感性の鋭い人だったのですね。
私はこの「感性」について関心を持ち、また問題意識を持っています。
感性は創発の原動力と考えています。
感性は若い時の鍛錬、オタクにより、また小さい時や老人は生活習慣により磨かれて行くのかなと考えたりしています。
若い時に共に感性を磨きあった人は忘れることが出来ませんね。
フォノンさんの心の中には何時までも「森田さん」は生き続けるのでしょう。

2011/12/25(日) 午前 10:20 [ ame**34 ]

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ameniさま:温かいコメントいただき、ありがとうございます。
森田芳光さんが、映画監督としてデビューする前の彼の年齢でいうと、23歳から28歳までの5,6年間になりますが、交流がありました。森田さんには、自分は映画では誰にも負けないという自負がありました。「自分が創り出す映像に対する絶対の自信」といった方がいいのでしょうか。
彼は、31歳で監督デビューしてから30年間に渡り、実に精力的に休むことなく、多くの作品(監督した作品は27作品)を作ってきました。その他、脚本で制作にかかわった作品や製作・総指揮をとった作品もありました。
来年3月に公開予定の遺作となった作品『僕達急行 A列車で行こう』を早く見てみたいと思っています。
とにかく、彼は電車、列車が好きでした。『水蒸気急行』という8ミリ作品は、電車と列車の映像で構成されている作品でした。私が書いた電車についての詩について森田さんから手紙をもらったことから、私たちの関係はより親しいものになったのでした。

2011/12/26(月) 午前 3:30 phononjk

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フォノン様 今年もいよいよ大晦日となりました。
本年はいろいろとご指導をいただき有り難うございました。
私の仕事はこの「感性」周辺の仕事ですので、来年もよろしくご指導のほどをお願いいたします。

2011/12/31(土) 午後 5:33 [ ame**34 ]

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ameniさま:年があらたまりました。昨年は、多くのコメントをいただき、ありがとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
こちらこそご指導のほどお願いいたします。
私も感性を大切に創作活動をしていきたいと考えております。

2012/1/1(日) 午前 4:15 phononjk

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