「死霊に捧げる葬儀の設計図」のための覚え書
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日々、死が背をつつく 死のうよ、死のうよ、もう死のうよ そう言っている、ぼくの中のもうひとりの狂気が居る 死が希望であるところにしか、ぼくの生は輝かない また、きた また、ぼくを襲う死への強迫 きみ、きみの・・・・だよ きみの希望はどこにあるんだ きみは何をめざして生きはじめてしまったのだ 死が、肺臓をしめつける 死のうよ、死のうよ、もう死のうよ 生きながら ぼくは 去年の秋に死んでいる こんどは、霊肉を抹消させようとするのか 死が輝ける希望であるところにしか、はたして、ぼくの命は、震えないのだろうか * * 出口は二つある 少なくとも 死に至る詩を口づさみながら死んでしまうか 魂を売り渡し、行きつづけるかだ 自我の復権とは、死ぬることや、それとも生きることや (1972年4月25日の手記より) ◆付記 ☆これは、21歳の時の手記から抜粋した。手記を記したノートのタイトルが「死霊に捧げる葬儀の設計図」である。その冒頭に書いてあったのが、上の詩の様なフレーズである。 ♪☆僕の21歳の精神は、確かに病んでいた。それが、本当に神経を病むことになるのは2年後であった。 ◇いつになるか分からないが、詩集を出すことにした。詩を書き始めてから40年以上になる。 いままで3つの同人誌に詩を発表してきたが、詩集として出版したことはなかった。 そのために、何を詩集に載せるのか、初期の詩編から読み始めた。 手記は、18歳の頃から書き始めた。手記の中から詩は生まれる。 中学時代には日記帳を買ってもほとんで書かなかった。高校になり、いろいろな悩みが出てきた。 あふれる苦しみから逃れるために、言葉を吐き出すように手記を書くようになった。 初期詩編の多くは、このブログ状に掲載してあるが、掲載していないものも多い。 だから、今、手記を読みながら20代前半の自分と向き合っている。
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