フォノン通信

PH(ポスト・ヒロシマ)67年☆♪☆菜園の緑増してる五月かな

初期詩編

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「死霊に捧げる葬儀の設計図」のための覚え書

「死霊に捧げる葬儀の設計図」のための覚え書



日々、死が背をつつく

死のうよ、死のうよ、もう死のうよ

そう言っている、ぼくの中のもうひとりの狂気が居る

死が希望であるところにしか、ぼくの生は輝かない

また、きた

また、ぼくを襲う死への強迫

きみ、きみの・・・・だよ  きみの希望はどこにあるんだ

きみは何をめざして生きはじめてしまったのだ

死が、肺臓をしめつける

死のうよ、死のうよ、もう死のうよ

生きながら ぼくは 去年の秋に死んでいる

こんどは、霊肉を抹消させようとするのか

死が輝ける希望であるところにしか、はたして、ぼくの命は、震えないのだろうか


     *          *

出口は二つある 少なくとも

  死に至る詩を口づさみながら死んでしまうか

  魂を売り渡し、行きつづけるかだ

自我の復権とは、死ぬることや、それとも生きることや

                            (1972年4月25日の手記より)


◆付記

☆これは、21歳の時の手記から抜粋した。手記を記したノートのタイトルが「死霊に捧げる葬儀の設計図」である。その冒頭に書いてあったのが、上の詩の様なフレーズである。

♪☆僕の21歳の精神は、確かに病んでいた。それが、本当に神経を病むことになるのは2年後であった。


◇いつになるか分からないが、詩集を出すことにした。詩を書き始めてから40年以上になる。

いままで3つの同人誌に詩を発表してきたが、詩集として出版したことはなかった。

そのために、何を詩集に載せるのか、初期の詩編から読み始めた。

手記は、18歳の頃から書き始めた。手記の中から詩は生まれる。

中学時代には日記帳を買ってもほとんで書かなかった。高校になり、いろいろな悩みが出てきた。

あふれる苦しみから逃れるために、言葉を吐き出すように手記を書くようになった。

初期詩編の多くは、このブログ状に掲載してあるが、掲載していないものも多い。

だから、今、手記を読みながら20代前半の自分と向き合っている。

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ある日の感傷の歌

ある日の感傷の歌




感傷は処女の香気をただよわせて

傍らを通り過ぎていった

昔日の慕情は

恋の妖精との再会に輝きを失ってしまった

非情な時の移ろいに

吾が魂に腐敗の臭気が満ちている

繊細な感覚に錆がこびりつき 

感傷の涙痕は、頬の奥深くにうもれてしまった




身をさいなむようにつかれた熱情も冷えきってしまい

ただこの身は波に漂う一葉の寂しさ虚しさ

前途は時間の玩弄物

自ら創ることはない

すべて運命とやらの波間に身をゆだねるだけの自堕落

もう狼もなかない

野良犬が歩いてゆくだけ


「こんな感傷なんです」



この世界から

一瞬のうちに消えてしまったら

一条の閃光を蒼穹に残してなくなってしまたら

掌に握った雪片が

ぬくもりにあっという間に水になってこぼれるように

あっという間に大地にすいこまれていったら

涕を流す誰があるでしぃうか



地獄の闇を魂が漂流する

魂の天国









◇付記1

「詩」が、自分の中にある思い、苦しみ、悲しみ、喜び、寂しさなどを外に出すために適した表現方法なのだなと感じたのは中学一年生のころであった。小説のおもしろさを知り、本屋の書棚の文庫本を探しに前橋の中心にある大きな書店通いを始めたのも中2、中3のころだった。でも、文学の好きな少年という感じではなく、小6以来、ラジオが鳴る原理に魅せられ「ラジオの製作」に凝ったりもする工作オタクでもあった。部活は、陸上部、棒高跳びの選手でもあった。

 高校に入り、現代詩に興味をもった。入学した高校は、萩原朔太郎の母校にあたる。また、詩人・萩原恭次郎もその高校が母校である。前橋は、かれら二人以外にも詩の世界に名を残した詩人が幾人かいるために詩の街と呼ばれている。(内実は、前橋のイメージアップのために行政や商業関係者が勝手に「詩の街」と宣伝したにちがいないと僕はおもっている)

 高校生のときに思潮社の発行している「現代詩手帖」を買って読み、難解な現代詩に接近していった。大学進学は、理系と決めていたが、当時は理系志向の高校生の中にも文学や哲学(特に僕は実存主義に興味をいだいていた)、マルクス主義関連の本(僕の大学受験の一年前が東大闘争のピークのとき)などに興味を持ち、理論武装訓練をしている奴もいた。僕は、レーニンの「国家論」にかぶれ、柳田謙十郎の弁証法の本も読み、ホームルームでの討論で「革命」という言葉を発し、変人と思われていた。

 僕の当時の愛読書は、大江健三郎だった。『大江健三郎全作品』を買って読んでいたのも高校時代だった。同時に、量子力学や相対性理論の科学教養書も読んでいた。大学進学の目的は、『量子力学』を学び研究するためと決めていた。当時は、理系だろうが文系だろうが、よく本を読み、教養を高めようとする姿勢はごく当たり前のことだった。
 
 当時の高校教師の幾人かは、読書が大切と授業で強調してくれた。担任だった生物の教師曰く、「20歳までに読書の習慣がつかなかったら、その後、読書の習慣をつけることは難しい」と。

 読書を通じて、その内容の難解さなどから自分の語彙の少なさ悟り、語彙を増やそうと辞書を引く。分野の異なる本を読むことから、分野間、知識間の関係を知り、社会や世界に今ある問題を解決するには何を大学で学ぶかのヒントも読書がくれたりもする。

 
 時代は大きく変わった。特に高校の教育現場が大きく変わった。学力テストの成績向上、難関大学への進学数(特に東大へ何名合格させたかが評価基準)が高校評価のバロメーターとなり、「将来のため、教養を養うための読書が重要だ」という教育の基本姿勢が、教育現場からほとんど消えてしまったのだ。明らかに、今の進学校というところは、大学受験予備校になってしまった。

 いろいろな意味で「日本沈没」は始まっている。


☆付記2

 この掲載した詩は、19歳か20歳のときのものである。青春の蹉跌、失恋、東京での生活、大都会がくれた憂鬱・・・・・・・・
その詩語には、当時、深く影響された萩原朔太郎の詩や大江健三郎の小説の言語感覚がにじみ出ているような気がしている。

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母さん これが僕と母さんを結ぶ見えない糸だよ

前を向いて歩き出す足に細い糸がからみつき

地面からもれるあかりに鈍く光っている

吐き出す糸をからませあって

見えない姿をみつめている




母さん、これが僕と母さんを結ぶ見えない糸だよ

母さん・・・






☆付記
先日、11月29日に母が84歳で天寿をまっとうして、別世界へと旅立った。
この詩は、僕が20歳か21歳のときに作品である。
母への哀悼の念をこめて、サイバー空間に放つことにした。

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詩『ガラスの街』

ガラスの街




風にさそわれて丘に立つこともあった
暗闇の中を通りすぎる音に身をまかせた
まきこまれるままに渦巻かれ
ひとの声に目を覚ました


人ごみの通りを太陽に焼かれながら歩き
街の中に影を見た
コンクリートの壁のむこうに砂の原を思った
ひかりながら去ってゆくガラスの街にこころを閉ざした


手の中に鳥の羽毛を握りしめ
頭をうずめた
空にはり付けられた鳥の姿は
パラパラと落ち始め
破片の中に靴跡をつけた


少しばかり光の中に身体をおきながら
ねじれて見えない未来にふと目を閉じていた









◇付記

これは、21歳か22歳のときの詩である。もともとこの詩に題は付いていなかった。
ブログ掲載にあたってタイトルを付けた。
この詩を読み返しながら、20代前半の孤独な、そして精神的に不安定な日々を
思い出した。そして、孤独な日々を送る現代の青年たちのことを考えていた。

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初期詩編 『志向涅槃の感傷曲』

志向涅槃の感傷曲





東京人間に恐縮して

肩をすぼめて

気づかれないようにして

人いきれのすきまをぬって

足音を忍ばせて

東京の街頭を

憂鬱を焦燥で積分したような

悲愴な面を

額の前面にぶら下げて

俺は歩く

俺の魂の風が

通りぬけてゆく



嫌悪

東京

怨念

東京

東京新宿異邦人




すべての魂と魂は

反発力を及ぼし合い

永遠の彼方に離散してゆく

魂と魂は結合しない



俺の魂は

萎縮して

発声することもできない

魂のエネルギーは

異魂人間の前では

その露呈を躊躇する



魂は疲れる

魂は慟哭する

魂は青ざめて

魂は滅びてゆく



あゝ

逃げ出せ

屈従の空間の憂き目の悲愴感から

逃げ出せ

瑣末の生命の鬱屈の宿命感から

逃げ出せ



そして

夢想せよ

瞑想せよ

来るべき

魂の平安の無の恍惚感を

魂の涅槃の永遠の慰安を







◇付記

☆18歳のときの作品。関東の田舎から大学で学ぶためにやって来た東京。そこになじめずに、その環境に精神が拒絶反応している。これは、そんな18歳のときの恥ずかしい作品である。ずっと、ブログに掲載はしまいと決めていたが、少し心境が変化した。この「精神の拒絶反応」が、自分の詩の原点であると自覚するようになったからかもしれない。


☆ポエジー、詩情、詩魂を持続させることは難しい。いまでは、それが涸れそうで、精神の砂漠化が進んでしまった。それでも、詩への思いは続く。だから、書き続けよう思う。

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